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【関東大震災】朝鮮人虐殺は真実か?~当時の新聞を読む2

2012-06-28 | 【政治ニュース】テレビではやらない真実
【関東大震災】朝鮮人虐殺は真実か?~当時の新聞を読む2

と、いうことで、今日も大正12年・1923年9月4日の地元の新聞を読んでみます。


▲ 1923年(大正12年)9月4日の新聞(地元紙)※昨日の続きです

▼ 記事を書き起こしました。●は読み取れなかった字です


【大塚火薬庫付近で不逞鮮人と青年団格闘
 火薬庫を爆発の陰謀】

 本所区を根城とする不逞鮮人約三百名は二日の夜丸の内方面に
向かい一方約三十名の同団は大塚火薬庫を爆発の陰謀はあるなど
の風評が傳ったので万一を慮り宮城付近は近衛騎兵隊が警衛の
任に當り各地から上京した青年在郷軍人團等不逞者に一歩も
足を踏ませまいとの意気を揚げ丸の内方面には何等変事を
生じなかったが火薬庫附近では不逞鮮人と青年團との格闘を
起し数名の重軽傷者を出したと噂専らである


【検挙した鮮人約二百名、殺した者六十名】

東京市にては今迄に不逞鮮人約二百名を検挙し抵抗して已むを得ず
殺した者六十名以上である


【宮に不逞鮮人潜入説 夕刻迄怪鮮人四名引致 又罹災民は続続
入込在郷軍人全部招集警備】


 宇都宮市では帝都に於ける震災の罹災民を救助すべく二日川崎市長
は緊急各課長及青年團長を招集して協議を凝らした結果青年團員を
派遣することとなり先発隊は伊藤學務課長指揮の下に二日午後六時
出発し続いて三日猪瀬主事補三十名を指揮して出発した 一方二日
より東京市の罹災民は陸●として宮駅に来たり同日夜は市内の
寶蔵寺●福寺林松寺等の寺院に約四十名を収容し負傷者には
夫々手当を施し特志家の炊き出しを受けて食料を給しているが
三日は避難者之に倍し宮駅ホームには憔悴せる哀れな人々が
あの恐ろしいのろひの追憶におびへながら處女会員の炊き出しに
空腹を満たし落ちゆく先を案じている其の光景は悲惨の極みである

 着の身着のままの避難民は
『私は長男だけを連れて来たが、妻と長女とは何処へいったか
別れません』といふ様な人々ばかりでさながら狂人のやうである
宮驛は之●の避難民と身内の者の安否を気遣ふ宮市の人々が若しや
此の汽車では来はせぬかと空頼みに集まる人々で埋められ其の
混雑は名状し難い又東京方面と連絡ある不逞鮮人が宇都宮へ入ると
云うので宮署の巡査十数名と消防常備隊は宮驛に非常線を張り
日光線ホーム及び一般出入口を取り締まっていたが三日午後二時
半頃三名の鮮人が下車したのでスワこそとばかり逮捕し自動車
にて直ちに宮署に引致した次いで又一名の鮮人が逃走せんとする
所を取り押さえ直ちに身体検査を行ない宮署に引致したが之を
知った群衆は『叩き殺せ、殴れ!』と押し寄せ辛うじて巡査の
制禦で事無きを得た●くして宇都宮市は不逞鮮人の繰り込む
所となり之が為め市の在郷軍人分●は全員招集され宮市の
警備に当たることとなった


【不逞鮮人と宮市の夜間警備】

 當市にて今迄に不逞鮮人を逮捕した者六名に及び尚続々入り込む
形勢あり之が為宮署及び消防隊は三日より夜間警戒をなす事と
なれり(午後四時半)


【大久保で鮮人が井戸に毒を投じ二百名死亡
 倉庫を襲ひ金庫を破壊】


不逞鮮人が大活動を開始し井戸に毒を投じ之が為め大久保にて
其の毒水を呑み二百名死せり或いは家屋に爆弾を投じて全市を
火の海に化せんとしつつあり 日暮里の米穀倉庫の米掠奪せんとし
襲撃したる鮮人三百名検束され二日朝神田を中心に焼けた金庫を
爆襲し在中の金を自動車に積何れかに持ち出し去れり


【不逞鮮人疲労し死物狂ひとなる】

 三日午後惨事発 不逞鮮人は疲労と食料缺乏の為め今夜辺り
死に物狂となり暴動を起こす惧れありと


【水道に毒薬は虚説だ 白襷隊を組織 警護に當たる】

多数避難民に交じり不逞鮮人宇都宮市に入り込み水道に毒物
を投げ入れたりとの報誰いふと無く傳はり馬場町の如きは
水道を使用せざるやう言ひ傳へを為し警察にも●否を聞き
ただすもの多く水道部にても万一を慮り警戒し居るも虚説
にて折柄数名の鮮人停車場方面にて検束され警察に同行
取り調べたるため噂は一層拡大せしも何等不審の點無く
直ちに放還され塙田町にても不逞鮮人取り押さへられ爆弾
二個携帯し居るとの報を警察に●すものあり消防及び
巡査出張取り調べたるに支那人にて薬の行商人と判明
中央小学校附近にも鮮人現れたりの報あり刑事出張取り調べ
たるに●所菅谷七郎が泥酔して倒れ居たるも物を言はざる
ため鮮人と誤認されしものと判明したるが●●●にては
大久保登正氏外二十名白襷隊を組織し市内の警護に當たる
事となり警察は消防と協力し十時より非常巡査を招集
して市内の警護を為したるが他管内よりも十名の巡査
同夜宮署に助勤のため来宮せり


【救助より防火あり 不逞鮮人の検擧 爆弾の音絶えず】

現在の東京附近は爆弾の音絶えず避難民の救助よりも
火災の防火より不逞鮮人の検擧に向かって各方面に於いて
じん力しつつあり

…と、まあ、不逞鮮人(暴徒と化した朝鮮人)という言葉
が出てくる記事がたった1ページ中にこれだけあります。

簡単に分類してみると…

① 東京、横浜等の罹災地(地震の被害を受けた地域)に於ける
朝鮮人の暴虐ぶりを伝える記事(噂、風評を含む)

② それらの事件が新聞等で伝わり、『こちらでも被害を受ける
のではないか?』と恐慌状態になり、手当たり次第(避難して
きた朝鮮人を含む)に朝鮮人を逮捕、検挙する地方都市の
人々

③ 一方で朝鮮人に対して恐慌状態の市民の暴走を抑える官憲

こんなところでしょうか。

しかし、それ以前の疑問として…

『不逞鮮人』などという言葉が、

この関東大震災を機に出来たと考えるのはあまりにも不自然。

また、当時朝鮮は併合中であり、扱いは植民地であった台湾
とか、大陸の支那人よりも(同じ日本人という立場であり)
格上だった筈。

この『不逞鮮人』という言葉が、この事件を紐解く鍵に
なりそうです。

…いつ頃から使われていた言葉か…もう少し歴史を遡る
必要がありそうです。


以上。レキのニューススクラップ  
(つづく)※リンク、拡散はご自由に!!

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