城北文芸 有馬八朗 小説

これから私が書いた小説をUPしてみようと思います。

慇懃無礼part1

2022-04-22 11:04:30 | 小説「慇懃無礼」


 自己紹介の時はいつも職業と趣味を言わなければならない。中でも職業はその人を表わす重要なポイントだ。年齢を言わないですむのは、ここが英会話教室だからなのである。
 「私はある労働組合の事務所で働いています」
 実はこれでは仕事の種類を表わしていないから本当は不適切な表現なのだが、いつもこれで通している。働いているところです(アイムワーキングフォー…)というと英語では、今はここで働いているがあまり長く勤める仕事ではないというニュアンスがあるそうだ。もともと英語圏では一つの会社に定年まで勤めるという日本での「常識」がないようなのだ。そういう事情の中でもこう言うと、もっと流動的なニュアンスがあるそうである。
 アルバイトというのも悪くないのだが、アルバイトという言葉は英語でないので、パートタイムジョブと言わなければならない。それもこの場合ちょっと実情を表わしていないから、パートタイムはアルバイトより使いづらい。パートタイムというのは一日の労働時間が短いということで、私のように正規の賃金をもらっていない、社会保険等の保障のない労働者という身分を表わす言葉ではないのである。こういう身分を表わす言葉を英語で探し出すことは不可能らしいのだ。
 三十代になってアルバイトですというのも恰好悪い。「なぜアルバイトなんかしてるんですか」と突っこまれたら話が長くなる。
 というわけで、英語の「アイムワーキング」という言葉はちょうど都合のいい言葉だ。
 インストラクターはカリフォルニアから来たというアメリカ人としては小柄な青年だった。私は彼からカリフォルニアの学校の様子を聞く機会があった。彼は高校の課目で自動車の運転を習い、十七歳の時に運転免許を取得したと語った。免許を取る費用は手数料程度のごくわずかな金額ということであった。私が、日本では四十万円くらいかかると言うと彼は大へん驚いていた。私は当時、自動車教習所に行くと、免許を得るまでに四十万円くらいかかると思っていたのだった。日本でも自分で練習して都道府県公安委員会の定める試験場で実技テストを受ければ、そう大してかからないのだが、まず、アメリカのようには簡単に受からないらしい。いきおい、高い授業料を払って、実施試験免除の教習所に通うこととなる。
 だんだんカリフォルニアも日本のようになる傾向だと彼は言った。学校で習って免許が取れたのは自分たちまでかもしれないと彼は言った。
 私は彼と話をしていて、ホウと思ったことがある。彼の姉は週六日働いているというのだ。私はちょっと変だと思った。アメリカというのは週五日労働で、六日働いている人はいないはずだ。彼の話では、昔は五日だったのだが、事務的仕事の人では六日働く人が増えているというのだった。低賃金長時間労働で作られた日本製品の輸入がアメリカ人の労働条件を押し下げているんじゃないかと私が言うと、そうかも知れないと言って、彼は笑った。
 「私も週休二日になったら、土曜はバイトをするわよ」
とアパレルメーカーに勤めているという女性が日本語で言った。

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慇懃無礼part2

2022-04-22 11:03:07 | 小説「慇懃無礼」

 自動車教習所の人が組合事務所に勧誘のビラを持ってきた。隣の支部からの紹介だという。私の働いている支部は組合員の減少で専従者が置けなくなり、自動車を運転する人がいなくなってしまった。毎日使われない自動車を見ていると、早く免許をとったほうがいいと思うようになっていた。バイクで三十分程かかるのだが、他支部の紹介だから悪いところではなかろうと思い、行ってみることにした。
 郊外だから多少地所は広いのかと思って行ってみると、さして大きくもない川のふちにあって、狭そうな教習所だった。大雨が降ると川が氾濫して水びたしになりそうなところだった。教習所ってのはこういうところにつくられるものなのだろうかとふと思った。事務所は二階にあって、一階は待合室だった。これなら川が氾濫しても大丈夫だ。
 受付の女性は若くて、ちょっと魅力的だった。パソコンのようなものに向かってキーボードをたたいていた。私が彼女の前に立っても気がつかないのか、キーボードをたたいていた。色白のグレーの制服がピタリと体の線に沿っていた。私は二十年前に会ったことのある大スーパーの支店の事務員を思い出した。その人は黒い服を着て、黒い網タイツをはいていた。
 カウンターのうしろを見ると、年配の女性の事務員が書類を見ていた。涼しそうな薄水色の半袖シャツを着ていた。下は白っぽいスラックスだったか、黒のスカートだったか、思い出せない。シャツは腰の外に出ていた。実用以外の何も感じない。二種類の制服があるらしい。ずいぶん感じが違うものだと思った。
 受付の女性は私と向き合うと、「紹介ですか」と尋ねた。私はなぜかドキッとして頭が混乱した。組合事務所に営業に来た人は、これから組合員優待のチラシを作るので職場に配ってもらえないかと言っていた。「紹介です」と言えば少し安くなるのかなという思いが、取り乱した頭の中で点滅していたが、私の口からは「紹介ではありません」という言葉が発せられていた。
 渡された袋の中身をあとで家に帰って見てみると、「紹介カード」というのが入っていて、そのカードを持って行った人は料金が割り引かれることになっていた。
 黒っぽい背広を着た男性社員が受付の女性を呼び止め、何事かささやいていた。

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慇懃無礼part3

2022-04-22 11:01:28 | 小説「慇懃無礼」

 コンピュータというやつは融通のきかないものである。模擬運転の教習が終わった時、「ATを最初に二時間予約して、そのあとマニュアル車を予約して下さい」と言われて、二階の予約カウンターに行った。コンピュータの前にはだれもいない。カードを差し込む。が、すぐ吐き出されてしまう。画面に「予約がされていません」と表示がでている。
 うしろの方で若い女性の笑っている声が聞こえる。振り向くと女の子が口に手を当てて笑っている。日にちか時間をまちがえたと思っているらしい。他人がすべってころんだりすると思わず笑ってしまうことがあるが、当の本人には愉快なものではないんだな、でも、相手がうれしそうに笑っているから許されるか。こんなことがきっかけで恋がめばえないとも限らないからな、と思ってみる。
 しばらくコンピュータを遠まきにして様子を見てみる。若い女性がきて、カードを入れている。長い髪の毛が肩までたれて、広がっている。途中からカールさせている。やや乾燥気味の淡い髪だ。スカートから膝小僧の後側が見えている。濃紺のミニスカートからくっきりとこぼれている輝きは目にまぶしかった。ジジッ、ジジッと音がして、スーパーのレジのような紙片が箱から出てきた。彼女はその紙片を受け取ると、その場を立ち去っていった。
 女性といえば、ある時、私は二階のロビーから教習場の練習コースを走っている車を見ていた。自分の走る番がくるまでだいぶ時間があるのでロビーで待っているのだった。ロビーには大型テレビが置いてあって、いつでもついていた。
 夜だった。連なって動いているヘッドライトがくるくるとまわっているのをぼんやりと見ていた。教習場が見渡せるように全面ガラス張りになっていた。私はそのすぐそばのクッションに腰かけた。へやの中は次の教習を待つ人たちでだんだんと混んできた。
 私から一人分離れたところに若い女性がすわった。何色のスカートだったか忘れてしまった。しかし、そのミニスカートからはみだした小麦色のムチムチとした膝頭は忘れようにも忘れられなかった。窓ガラスが暗いのでだれの足でも暗くなるのだが、前面のガラスに映って、いやでも私の目に飛び込んできた。何か言いたそうにこちらを向いている。よくもまあ、務所帰りのような人相のおれのそばに平気ですわっているなあ、と私は感心して、顔を見てみたいのだが、あまりおどろかしてもいけないなと思ってみる。しきりにミニスカートの端を引っぱっているところをみると、やはり平気ではないらしい。

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慇懃無礼part4

2022-04-22 10:59:27 | 小説「慇懃無礼」

 バイクで三十分ほどの教習所に向かう。途中の道路にはまだ車がいっぱいつまっている。仕事の帰りなのかトラックも多い。歩道との境界線が石で区切られているところなど、道幅が狭く、危い思いをする。数殊繋ぎの自動車の列から吐き出される排気ガスのかげろうがゆらゆらと目の前にゆらめいている。ケツのまっ黒なトラックの後にきたもんなら最悪だ。ようやくの思いで教習所に到着する。
 自動車に気をつけながら、待合室のドアを開ける。若い女性が二、三人丸テーブルを囲んですわっていた。自分はやや晴れがましい気分になった。なぜかニヤニヤしそうになる。ポーカーフェースを装い、自動販売機でカレーパンとリンゴジュースを買った。カレーパンなどしばらく食べていない。中学生の時、学校の購売部で昼食用によく買ったのを思い出した。そんな時はパンを買いに行くと、もう何人もの生徒が我先に押し合ってパンを買い求めていた。紺の制服姿の女生徒の後姿が目に浮かぶようであった。
 学科の教室の前のベンチに腰かけて始まりを待つ。まだ、だれもいない。
 時間近くになると、教室の中の人の数も増えてくる。それでもイスの数の三分の一もいないだろう。なぜか男性は後の方にかたまっている。私はまん中へんの比較的人が多く並んでいるところに席を占めた。中年の男性は私を含めて三人くらいである。
 私の隣にいた女性が席を変えて、前方の席に移ってしまった。比較的多く並んですわっているといっても空席のたっぷりある並び方なので、彼女がいなくなると、私は孤立してしまった。手の届くところに人がいないと書類を回わす時に都合が悪い。かといってあの女性の後を追って行くわけにもいかないし、席を変えてまた違う女性に逃げられたら…、次々とそんなことが起こったら、などという変な思いにとらわれた。で、結局、そのまますわって、書類がくるたびにわざわざ立ち上がって、受け渡しをすることとなった。
 講師がくると、まず、へやの前方の隅にあるコンピュータになにやらインプットする。受講証とプラスチックのカードを持って受講者が列をつくる。三分の二は女性である。それも若い女性が多い。プラスチックのカードをみぞの中に入れて抜き去るだけで登録が終わる仕組なのだが、はじめてやってみると、これがうまくいかなかった。ちゃんとピッという音が鳴らないのであった。何度か繰り返すことになった。最後が若い男の一団であった。自分たちの若い時も、昔はああだった。教室ではやっぱり後の方にかたまっていたものである。
 講師もそれぞれ教え方に特徴がある。教科の内容はあまりしゃべらず、もっぱら雑談的な話で時間をついやす人、眠気をさますためか、試験のむずかしさを強調して、大きな声で何度も注意を呼びさます人、はじめての講義で一所懸命に話す人、等々。
 今日の講師は社会派とでもいおうか、雑談の中にその時々の新聞、テレビ、ラジオなどで取り上げられる話題を挟んでくる。教習所の内幕なども話してくれるので興味深い。教科の内容は忘れてしまっても、こちらの方は忘れずに憶えている。
 教習所の草取りをしている人の話。白い軍手をはめて草を取っている。掃除専門の人だとばかり思っていたが、仕事の手の空いてしまった教官の姿だったとは思いもよらなかった。
 私はK製薬に勤めていた頃を思い出した。仕事が閑になり、三日に一日仕事のない日がやってきた。構内の雑草取りに始まって、コンクリート打ち、ゴミの埋蔵処分、使っていないトレイの整備など、あまり必要とも思えない仕事をつくり出して、やらされた記憶がある。あの仕事ほどやりがいのない仕事はなかったような気がする。肉体を動かす仕事はそれなりに「やった」という充実感があったが、あの種の仕事はただ時間を食いつぶしていただけで、あとに残るたしかな手ごたえがなかった。
 「これからは教習生の数が減っちゃうんです。今までみたいにともすればふんぞり返って教えていたというイメージ、これではお客さんがこなくなっちゃうんです。よそのイメージのいい教習所に行ってしまいます。ですから、そういう教官には、本当は会社はやめてもらいたいと思っているんですよ。だが、まあ、そういう人はなかなかやめない。年食ってるから、給料は高いんだ、そういう人は」
 昼間の疲れが出て、どうしても夜は眠くなる。ななめ前にいる若い男性は、うつぶせになったっきり、一度も起きていない。耳では聞いているのだろうか。中にこういう話題を挿入することによって、退屈させないようにしているのだろう。
 「この間、NHKテレビでこういうのをやってました。ドキュメント番組なんですが、みなさんの中にも見た人がいるんじゃないかと思いますが……」
 あっ、あれか。この間見た。アメリカに輸出された車と日本国内で売られる車は外見は全く同じなのに、輸出された車の方が目方が何キロか重い。どうしてだろうかと、双方の自動車をバラして見ると、アメリカに輸出した車の方にはドアの中に鋼板が入っていた。その分だけ重くなっていたということである。ところが、太平洋を越えた船賃がかかっているにもかかわらず、アメリカで売られる車の方が、外見は全く同じの日本で売られている車よりはるかに安くなっているというのである。危険な車を高い値段で買っているとは。
 「腹が立ちませんか。ベンツは何であんなにいい車だとされているか知っていますか。安全なんですよ。トラックに横から当てられてもドアが破れないんです。がんじょうにできているんですね。日本の車の事故の写真を見たことがありますか。高速道路なんかに行くと、サービスエリアでよく事故の写真が掲示されていますよね。たいていドアが大破しています。アメのようにグシャッとなって、内側にめりこんでいます」
 「自動車作ってるのは同じ日本人なんですよ。腹が立ちません? 同胞により危険な自動車を高く売っている」
 教習生はみんな静まり返って聞いている。矛盾、不合理、不正、わかっていても皆諾々と黙々と従っていくことの何と多いことか。

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慇懃無礼part5

2022-04-22 10:56:42 | 小説「慇懃無礼」


 実施訓練。はじめて自動車を運転する。
 横に男の人が背を丸めてすわっている。ATはやさしいのだが、最初はブレーキの加減がわからないので、急ブレーキになる。教官が肩を丸めてつんのめっている。
 みきわめ印がもらえないと、何度も同じ練習をくり返す。くり返す度に余分の教習料を払うことになるので、教習料をふんだくるためにわざとむずかしくしているのではないかと腹立たしくなることもある。
 仮免前に二度も連続失敗して、いつまでたったら終わるのか、今度もだめかと思いながら、親切そうな教官に当たることを夢見ていた。来たのはこわそうな顔をした男だった。ブルドックという言葉がよく当てはまりそうな顔だった。ちなみに、私の知る限り、すべての教官は男だった。
 「そこは急に曲がっちゃいけないって、何度言ったらわかるんだよ」
 教官の中には不快な印象を与える人もいる。もっとわかりやすく教えろと言いたくなる。待合室で若い女性が友だちらしい女性に、嫌いな教官の話をしていて、「涙が出てきたよ」と言っていた。さもありなんと思った。
 人は見かけによらぬもの。人相とは丸きり違うことがままある。ことに男の場合は何例も見てきた。こわい男でも、一面ではやさしい面を見せることもある。おれ自身がこわい顔をしている。が、外では話もできないほどのシャイである。
 「ラインを踏んでるぞ。ポールの位置が離れ過ぎている」
 やれやれ、まただめだなと、おそるおそるこわい顔をのぞきこむ。ブルドックのような顔をした教官はむずかしい顔をして何やら紙に書いている。そして、おもむろに、シャチハタを取り出し、ハンコを押した。その時、ちらっとニャッとした。

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