よんたまな日々

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言い訳と自意識過剰

2007年08月19日 | 読書
僕は米澤穂信が嫌いである。
本屋で平積みになっているのを見るくらいであるから、人気のある作家であることは理解しているし、うちの奥さんが買ってきて薦めるので、何作か読んだが、嫌いなものは嫌いである。
このブログを読みに来る奇特な米澤穂信ファンがそんなに多いとは思っていないが、もし、これを読んでいるあなたがファンであるなら、ここから先は不愉快なことをいっぱい口走ってしまいそうなので、他のちゃんとしたファンサイトを読みに行ってください。

うちの奥さんにも米澤穂信は嫌いだという話を何度もしているのに、なぜか、うちの奥さんは僕に米澤穂信ネタを振ってくる。こないだ、うちの奥さんと飲みに行った時も、その話になった。
うちの奥さんにその時に言われてショックだったのが、
「あなたが米澤穂信を嫌いなのは、同類嫌悪だ。」と言われたことだった。
僕は嫌いな人・モノについては、敬して遠ざけておく主義なので、嫌いな人を友人にはしないし、嫌いな蛇やごきぶりとも一緒に住まないし、嫌いな本や著者は読み終わったら適当に悪口をブログなどに書き散らして、とっとと忘れておくことにしている。
だから、嫌いな人は自分から最も遠い場所にあると思い込もうとしているし、嫌いな人間が自分に似ていると言われると物凄くイヤだ。

うちの奥さんは問う。「米澤穂信のどこがそんなに嫌いなの。」
僕は答える。「自意識過剰なところ」
「どこが自意識過剰?」
「一生懸命小市民になろうとしたり、自分がどこにでもいる平凡な人間だと見せたがっている割に、巻き込まれて、結果、名探偵をやっている。しかも名探偵をやっておきながら、あれはいやいややらされたんだと言い訳しているところ。」
「言い訳がイヤなの?」
「だって、言い訳をいっぱいしなくちゃならないのは、自意識過剰だからでしょ。」
「じゃあ、あなたが言い訳をしたがるのも、自意識過剰だからね。」
と言われて、クリティカルヒットしました。うが!

言い訳ということについては、ちょっと幼時体験がある。僕は、うちのいとこや兄弟達の中では一番年長だったので、みんなでいたずらをした時には、決まって僕が代表で怒られていた。しかも、しばしば実行犯達は別だったりする。
怒られることに不満ですごく言いたいことはいっぱいあったのだけど、相手が怒っている途中で何か言おうとすると、「言い訳はするな!」とますます大人の激しい怒りを買ってしまうことを学習し、僕は自分に言い訳を禁じるよう心がけるようになった。それで、どうも「良い子」としての自分を確立してしまっていたようだ。

それが大人になって、色々な人とコミュニケーションを取って仕事とかプライベートとかを過ごすようになってくると、どうも言い訳を完璧にしないでいると、自分の立場がどんどん不利になっていったり、相手に正しく理解してもらえなかったりすることがあることがわかってきた。

言い訳というのは、しばし不必要に長かったり(でも、相手が誤解するような微妙なシチュエーションであるため、きちんと説明するためにはどうしてもある程度の言葉を使わざるを得ない。)、あるいは相手にとって不愉快な事実を指摘することであったりする(しかも、それは僕にとっての「事実」であり、相手にとっての「事実」ではない!)ので、やはり人間関係をスマートにするには、ある程度言い訳を飲み込む必要もある。

その言い訳を「自意識過剰」から出たものと切って捨てられたので、かなりきつく感じた。

引き続き、うちの奥さんが問う。
「なぜ、『時をかける少女』や村上春樹の自意識過剰は許せて、米澤穂信の自意識過剰は許せないの?」
「『時をかける少女』や村上春樹って、自意識過剰?」
「『時をかける少女』は、本当の自分ならもっとうまくやれるはずだって、過去に戻るでしょ。だから、自意識過剰。村上春樹の主人公も同じように『自分は平凡でありきたりだ。』と言いながら、女の子に引っ張られて冒険に巻き込まれるでしょ。その自分では何もしていないのに、女の子がってとこが自意識過剰。」
「『時をかける少女』は、自分では何も説明せずにただやっているだけじゃん。確かに、自分はもっとやれるはずだというのは、自意識過剰かもしれないけど、あれは言い訳していないから許せる。村上春樹は自意識過剰だし、言い訳もするけど、最終的には離陸して自分で何とかしようとしているから許せる。」
と、説明しながらも、さらにショックを受ける。

自分ならもっとうまくできるはずとか、自分は誰かから構われる存在だと思うだけで、自意識過剰なのか。
ウツになるというのも、自意識過剰の単なる裏返しかも。
じゃあ、世の中に自意識過剰でない人がいるのか.....。

というか、仕事のモチベーションとか、コミュニケーションの快感とかも、全部自意識過剰の為せるものにしかならないじゃん。
そうだったのか!がーん!

と、酔っ払って、奥さんと議論しながら、心の底でものすごいショックを受けていた。

こんなに議論が大風呂敷になっているのは、酔っているからでしょうけど、ずっとここが引っ掛かっている。

気がつくと米澤穂信がどっか行っているが、僕が米澤穂信を嫌いなのは、きっとそういう僕が抑圧している言い訳する自分を、米澤穂信はある種の手放しの天真爛漫さで描いているからに違いない。嫌いなんで、二度と読み返したくはないが、やはり同類嫌悪なんだろうか。
何だかイヤだなぁと、ずっと心の底で気になっている。


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