一言で言って大変な本です。
世の中には、様々な個性の人がいて、個性というと聞こえはいいが、そのぶれが大きければ大きいほど、世の常識に合わせて生きるのが困難になる。
僕自身も、平均的日本人像からはわりと外れるほうだと思うので、時に色々と生き難いことがあるのですが、僕よりももっと大変な人も結構いることが、最近わかってきました。
この著者もそういうタイプの人で、その生きにくさの根幹について、正面から考えている本です。自分の不幸について考えるとき、しばしば、その不幸を不当に一般化したり、あるいは逆に特別なものと思い過ぎたりするものですが、この人は思考にそういうぶれがなく、そういう意味ですごい人だと思うのですが、その大変な半生をずっと読むのは、結構辛いです。
村上春樹のエッセイの中に、「我々夫婦は孤独であった。」という表現があり、複数人を主語にした孤独って、いったい何だろうと、その頃、本当に孤独であった僕は、すごく反発したものです。
ただ、二人でずっと暮らしていると、ふと、自分達夫婦二人はやはり孤独なのではないかと思うことがあり、最近、ようやくその心境がわかるような気がします。
著者は結婚して家族もあるのですが、一人で暮らしていた頃の僕のような孤独を、まだ心の中に抱えて生きています。
著者は、結婚しても、家族がいても、彼女がいても、非常に親しい親友がいても、それはあなたの孤独を減らすのに、何の役にも立たないと言います。
僕は今の奥さんと会えて、自分の孤独と、その孤独が時々もたらす衝動から解放されたと思っています。確かに、僕は自分の人生を抱えているし、自分の人生を誰かに肩代わりしてもらうわけにはいかないけど、お互いの人生を理解し合い支え合って生きられることと、一人で全てを見て生きることの重さというのは、全然違うと思っています。死を目前にした時には、また一人になるとしても。
この本の中で、著者は、最も大切な問題は、自分の死であり、それ以外の問題は本質的でないと言ってます。それは、とても正しいと思いますが、逆に自分が有限の生を生きているからこそ、自分の方法で、自分の生を充実させることが大切だと、僕は考えています。
考えるために、孤独は時に必要ですが、それ以外のさまざまな雑多な生活も、同じ重さを持って大切だと思います。
著者が、自分の孤独を語るために、ピュアで一般的な孤独ではなく、まさしく自分の孤独と、それにまつわる個別のエピソードを語ることが重要であったように、僕も、自分の本質的な孤独だけに注目するのでなく、自分の豊かさ、貧しさ、惨めさ、失敗、成功、全てを大切にしたいと思います。
世の中には、様々な個性の人がいて、個性というと聞こえはいいが、そのぶれが大きければ大きいほど、世の常識に合わせて生きるのが困難になる。
僕自身も、平均的日本人像からはわりと外れるほうだと思うので、時に色々と生き難いことがあるのですが、僕よりももっと大変な人も結構いることが、最近わかってきました。
この著者もそういうタイプの人で、その生きにくさの根幹について、正面から考えている本です。自分の不幸について考えるとき、しばしば、その不幸を不当に一般化したり、あるいは逆に特別なものと思い過ぎたりするものですが、この人は思考にそういうぶれがなく、そういう意味ですごい人だと思うのですが、その大変な半生をずっと読むのは、結構辛いです。
村上春樹のエッセイの中に、「我々夫婦は孤独であった。」という表現があり、複数人を主語にした孤独って、いったい何だろうと、その頃、本当に孤独であった僕は、すごく反発したものです。
ただ、二人でずっと暮らしていると、ふと、自分達夫婦二人はやはり孤独なのではないかと思うことがあり、最近、ようやくその心境がわかるような気がします。
著者は結婚して家族もあるのですが、一人で暮らしていた頃の僕のような孤独を、まだ心の中に抱えて生きています。
著者は、結婚しても、家族がいても、彼女がいても、非常に親しい親友がいても、それはあなたの孤独を減らすのに、何の役にも立たないと言います。
僕は今の奥さんと会えて、自分の孤独と、その孤独が時々もたらす衝動から解放されたと思っています。確かに、僕は自分の人生を抱えているし、自分の人生を誰かに肩代わりしてもらうわけにはいかないけど、お互いの人生を理解し合い支え合って生きられることと、一人で全てを見て生きることの重さというのは、全然違うと思っています。死を目前にした時には、また一人になるとしても。
この本の中で、著者は、最も大切な問題は、自分の死であり、それ以外の問題は本質的でないと言ってます。それは、とても正しいと思いますが、逆に自分が有限の生を生きているからこそ、自分の方法で、自分の生を充実させることが大切だと、僕は考えています。
考えるために、孤独は時に必要ですが、それ以外のさまざまな雑多な生活も、同じ重さを持って大切だと思います。
著者が、自分の孤独を語るために、ピュアで一般的な孤独ではなく、まさしく自分の孤独と、それにまつわる個別のエピソードを語ることが重要であったように、僕も、自分の本質的な孤独だけに注目するのでなく、自分の豊かさ、貧しさ、惨めさ、失敗、成功、全てを大切にしたいと思います。
このたびはTBありがとうございました。
さっそくお邪魔させていただいてます。
ちいさいころ、私は何故私なのか?と
夜寝る前にしみじみ悩んでいた事を思い出しました。
いや、寝ているとき意識を手放した状態の自分は果たして誰なのか?とか。私が私と認識する所以は?とか。
中途半端に思考遊びをしていたくら~い子供だったのですね。孤独についてもそんな風にあれこれ考え考え
ま、所詮は人は独りだし、というこれまた中途半端な結論に落ち着いて今に至っております。
興味深い本の紹介とコメント楽しく拝読いたしました。
オノレの思うところの僅かでもいいので、このように
自分の言葉で表現できたらさぞすっきするだろうと
羨ましい限りです。
「自分のことばかり話したがる人たち」という本があって、まさにそういう性格の人にどう対処したらいいかということがいっぱい書いてある本なのですが、その本を読んで、自分もそういうタイプだと思いました。
そういうタイプの人が他人とうまくコミュニケーションをするためには、「相手の話をきちんと聞く。」「自分のことをしゃべりたくなっても我慢する。」というそれができれば苦労せんわいという処方が書いてあったのですが、もう一つ「日記を書いて、そこに言いたいことをぶつけましょう。」というのがありました。
うむ、これは正しくて、実は僕も実践しておりましたとも。問題は、その日記を書いているのが虚しくなってきて、やっぱり誰か僕の話を聞いて!という衝動に襲われることなのですね。
その点、ほんまに、ブログはええわあ!と思います。
なべさんにも、僕の駄文を読んでいただいて、感想まで書いてもらえるのですから。
なべさん、本当に僕の長い文章、読んでくださってありがとうございます。