よんたまな日々

サッカーとゲームと本とおいしい食べ物

買ってもらえなかったオモチャ

2021年06月09日 | 日々徒然
子供の頃、よく遊んだのが、近所のお姉ちゃん。同じブロックに住んでいたので、裏の道路に出れば、お姉ちゃんも遊んでいるという感じで、おそらく、2歳とか3歳の頃から一緒に遊んでいました。

このお姉ちゃんのおかげで人形遊びやママごとが大好きな子供でした。

さらにお店が化粧品屋で、美容師さんにマニキュア塗ってもらうとか、普通にやっていました。鏡見るのも大好きで、暇があれば鏡の前で百面相やっていました。これで、もう少し鼻梁が通っていたり、顎のラインが細かったりしたら、何か勘違いしてナルシストに成長したかもしれませんが、父に似て平べったい下駄みたいに四角い顔に団子のように丸い鼻が乗っているもんだから、勘違いのしようもありませんでした。

お店を手伝いに来る母方の叔母に連れられて、三つ年下の従兄弟もよく遊びに来ました。この従兄弟というのが偉いハンサムで、深いまつ毛に、通った鼻梁と、ツルッと痩せた顎の線をしておりました。

従兄弟と遊ぶのに、母に買ってもらったソフビの、怪獣人形で遊ぶのですが、肝心のウルトラマンはおらず、人間がウルトラマンになり切って戦っておりました。
ソフビの作りも荒く、デフォルメされており、リアルな怪獣で遊んでいるというよりは、この人形はゴモラとかカネゴンという記号で想像力で補って遊んでいた。
ソフビ自体は安いもので、段ボール箱一杯持っていたが、ウルトラ怪獣なんて、マン、セブン、新マン、合わせて150体以上いるので、子供がコンプリート狙える数ではなかった。

だから、従兄弟の家に遊びに行って、そこで初めて、超合金のゲッターロボやGIジョーを見た時、その精巧さに驚いた。うちに帰って、自分のソフビコレクションが色褪せてみえたが、ソフビとの値段の違いに絶対買って貰えないと思った。

そしてここで都合よく登場するのが、父方の金持ちの叔母。出来過ぎているが、本当にいたのだからしょうがない。
この叔母の家に遊びに行くと、やたらとオモチャを買って貰えるので、大好きでした。親戚同士の話の中で、私が超合金オモチャを欲しがっていたのを知っていたのかもしれません。その時も、遊びに行く道すがら、「好きなオモチャ買っていいよ。」という話をしていました。
で一度叔母の家に着いて荷物を下ろすと、四つ年下の従姉妹が、自慢のおママごとセットを見せにきました。今度はその精巧さに目を奪われました。プラスチックではなく、コンロや水道は金属で、台や扉は木で出来ております。鍋や包丁の小ささは指先以下で、それでもキチンと形をしています。自分が本当に欲しいのは、絵空事の超合金ではなく、リアルな精緻さだと思いました。
叔母とオモチャ屋に着いた時、「本当に好きなオモチャを買っていいのか」何度も確かめました。「はいはい、超合金ロボットでも、リモコンカーでもなんでもどうぞ。」幼い私が走って行って指差したのは、その店で売っている最も精緻なおママごとセットでした。
叔母だけでなく、お店の人まで加わって、
「よんだちゃん、おママごとセットは女の子のオモチャですよ。お友達とおママごとするの?」
と説得しますが、
「何を買ってもいいと言った。」
と頑固にそれを指差します。
みんなが根負けして、お店の人が棚から下ろしてくれたパッケージを持って叔母さんちに戻り、箱から出したセットと従姉妹の持っているものを比べます。私の買ったのはいくら精緻とは言ってもプラスチック製のオモチャ。従姉妹のとは、やはりグレードが違います。今思えば、それは子供用オモチャではなく、大人向けのドールハウスだったのではないかと思います。
誇らしげに鼻を膨らませる従姉妹と心配そうに見守る叔母を背後に私は、プラスチックやソフビという素材ではたどり着けないグレードの差があることを知って深く満足していました。
新しいキッチンセットは、しばらく段ボールのオモチャ箱の中に入れて忘れ去られていましたが、しばらくして姿を消しました。おそらく息子の性癖を心配した母が捨てたのだと思います。

ただ、おママごとセットを選択した時の大人たちの反応はよく覚えています。ジェンダーロールという言葉は当時ありませんでしたが、乗り越えてはいけない壁がそこにあり、油断すると自分は間違えて乗り越える可能性があることを、多少の満足感とともに子供心に刻みました。

欲しいオモチャというキーワードでこの後、母方の従兄弟は私の前に立ち塞がり続けます。

私が高校一年生の時、一学期の中間試験、期末試験ともに、最後尾の成績だったことを心配した両親は私に、二学期の中間試験でクラスで真ん中より上の成績を取ったら、欲しいラジカセを買ってくれる約束をします。かなりキチンと試験勉強をして、しかも単純に努力するだけでなく、各教科の先生方の出題傾向を調べ、教科書外の問題を出す先生はよく似た問題が載っている問題集を探し出して対策を打ちました。
ところが試験の後、結果が出る前にふと立ち寄ったジャスコで、「特価二万円」のラジカセを見つけ、貯めた小遣いを握りしめて買いに走ってしまいました。

さて、二学期中間試験の結果は、エッヘン、エッヘン😤。学年3位という成績でした。何で二万円のラジカセを買いにジャスコに走ったのだろう。
そしてハンサムな従兄弟は私の欲しかった重低音ラジカセを親から買って貰ってました。悔しい。

目標の大学に受かったら、ステレオセットを買ってもらう約束をしており、無事合格したので当時20万円もした憧れの機種を買って貰えましたが、同じく地元の高校に受かった従兄弟も同クラスのステレオを買って貰っておりました。何か悔しい。

そして私は自分のバイト代で、憧れのMSXパソコンを買った頃、この従兄弟は、バイクを買って貰っていて、付き合っていた女の子を後部座席に乗せて走っていて、事故を起こしました。幸い、二人とも軽い怪我で済んで良かったです。
例によって余計な事を言う母が
「あんたは、バイクに女の子を乗っけて走る青春はなかったけど、それでいいの?」
とわざわざ聞きに来ました。
「僕には別の夢があるし、偏差値レースを戦ったことは一つの青春だと思うよ。」とかなりいい格好して答えました。

この後、車の話を書く時に書くかもしれませんがこのハンサムな従兄弟は、親の金で高級スポーツカーを買って貰いました。きっと私にない美貌とその車でナンパしまくっているんやと、マジで嫉妬しました。

そして私が見合いを始める前にモデルみたいな美貌の奥さんを射止めました。
式や披露宴には呼ばれなかったのですが、それでも結婚式場に挨拶に行って、ブライダルドレスに身を包んだ奥さんと、式場の外の廊下まで挨拶しに来てくれた時は、心からおめでとうと言えてよかった。

見合い50連敗して、「もう結婚しない」とうちの母に言った時、うちの母が、この従兄弟を例に引いて、「あれが普通の生き方だ。」と言った時には、流石に胸の内がドス黒くなりました。
結婚のために進路選択したのではないですが、もし誰にも自分の価値を認められずに一人で生きて行くのであれば、人生どこで間違えたのだろうと真剣に考えていたかもしれません。人は自分の甲羅の形にしか穴は掘れないのですが、買って貰えなかったオモチャをまるで人生最大の不幸のように考えたかもしれません。

最後にこの従兄弟はもう一つ、我が母を羨ませます。私たち夫婦が子宝に恵まれなかった間に、この従兄弟の娘が結婚し、子供を産みました。我が母は
「私があなたたちの子供の顔を見る前に、叔母ちゃんにはひ孫が授かったって。」
と、早速電話をかけて来たのですが、私は今の奥さんと暮らせているだけで幸せだったので、
「従兄弟とは、太陽と月みたいに対照的な生き方をしたけど、この歳になるともう僕は自分の人生に満足しているので、彼を羨まないよ。」
と伝えると、母も
「まあ、私の人生もこんなものなのかもね。」
と返しました。

その時点で、愛娘という素晴らしい贈り物がその後の人生に待っているとは思いませんでした。豊穣の形はいくつもあります。

タイトルの写真は、娘がウォーターサーバーに投げ込んだキュアセレーヌの人形です。
娘も欲しいオモチャがいっぱい。全てのオモチャをワタシのモノにできないと気が付いた所から、自分らしさを探す旅が始まるのでしょう。私はそれに気がつくのに随分と時間を費やしました。




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