よんたまな日々

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呪いの言葉

2006年02月01日 | 日々徒然
などというタイトルで書き始めると、おどろおどろしい話が展開されるのかと期待して読まれる向きもあるかもしれないが、まー、最近の他の日記ネタと同じく肩透かしですから。

腰を傷めて日々過ごしていると、私の上体にかかる重力が、何かの呪いのように感
じることがある。
重力は、地球の重力圏を離れて飛び立とうとする人類への軛だなどと考えていると、黙って痛みに耐えているよりは前向きなような気持ちになるのが不思議である。

などとメタファーを弄んでいるが、僕が内田樹の言葉でもっとも印象的で救われたと感じたのは、メタファーじゃなく、本当に呪いというのがあると言ったことである。
もう読んでから随分時間が経っているので、大胆な意訳になるが、「相手に対して答えられない問いを仕掛けることが呪いである。」という。
例えば、母親が子供に
「お母さんは、あなたのことをこんなに心配しているのに、そういう気持ちを知っていて、そんなことをするの?」
という問いかけを行うと、これに対して、Yes と答えても、No と答えても、その子供はなじられる結果になり、まともに答えようとすると、沈黙せざるを得ない。

これは呪いであり、その人を支配するための問いかけであると、説明されたことで、僕は、本当に色々なモノ-やはり呪いだったともいえよう- から脱出することができた。
そして、この世には実に色々な呪いがあると知った。

こういう仕組みを知っていれば、そのような問いかけを受けたときに、これは呪いであるとわかるので、そう思ってその問いを受け止めれば、まあ呪いの効果はきっと半減するでしょう。

いや、仕組みがわかったところで、受け止めざるを得ない呪いなどというものも、あるような気もするのだが。憂き世というのは、そういうものでしょうよ。


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