機動画報日誌 Mk-Ⅱ

英 浩史の日々徒然を記すブログ

雑呟180521

2018年05月21日 | 雑記
 「コミック1」でエネルギーを貰ったんでしょうかね、今月に入って
作業の進捗がはかばかしく、興に乗っての作業でほぼ週末ごとに
一点画稿が完成している(*1)こともあって、逆に土日のHDD掃除
がおざなりになっていたり、ここ数週分を観てなかったことに
初めて気づいて。
 一応「西郷入水」の予告までは観ていたので、このあと《大島での
流人編》であろうことは想像がついていた訳ですが。

 結局3週分をまとめて、チャプター編集をしながら観ることになる
んですが、「琉球ことば」って字幕を入れなきゃならないほど解かり
難いものでもないように思うんですけど、どうなんでしょうかね?
 あくまでも日本語とは別の、他民族の言語という認識なんです
かね、NHK的には?

 耳で聞く限り、役者が喋っている文言と字幕で書かれている字面
との差異が、薩摩ことば→江戸ことば(あるいは京ことば)と同等か
それ以下ぐらいのギャップしか感じないんですが。


 薩摩ことばといえば。今やってる「西郷どん」は幕末なんで問題
ないんですが、江戸時代前の、例えば関ヶ原合戦で登場する
島津家が今日《薩摩ことば》と認識されている言語を話している
のには、若干の違和感というか疑義というか・・・?があったり(*2)。

 《薩摩ことば》は江戸の隠密に対する防諜策として《人為的に
作り変えられたもの》という説を何かで見聞きした覚えがあって、
だとすると江戸開府の以前と以後で明らかな違いがあるはずでは
ないのか?と思う訳で、関ヶ原(とかそれ以前の大友家との争乱
とか)を題材とした場合、いわゆる《薩摩ことば》での台詞は、
厳密に言えば正しくないのでは・・・?ということに(個人的には)
なってくるんですが。

 まあ、いわば《原・薩摩ことば》とも呼ぶべき言語体系に関する
記録が残ってなくて《薩摩ことば》との比較検証が出来ない(*3)
以上、「そもそもそんなものが存在したのか」ということも含めて
仮説以上のものにはならないでしょうが。

 ただまあ、明確にそんなものは存在しないと確定できる根拠でも
出てこない限り、類似の作品を目にする度に、同じようにモヤモヤ
することになるんでしょうな(苦笑)。

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  *1:これも今回の企画の《キモ》になるカットなので、本誌が出来上がってから
    のお楽しみ、ということでお待ちいただければ、と思いますが、とりあえず
    この夏の新刊に掲載を想定しているMSの画稿はこれでミッション・コンプ
    リートだったり。
    この他の原稿制作的には若干の余裕が出来たので、メカ以外の絵を、多少
    なりとも描き加えようかとは思っていますが。
  *2:具体的に作品名などを挙げるとすると、岡田准一・主演の、そのものずばり
   『関ヶ原』の島津義久(麿赤児)とか、先ごろ中村悠一・主演でアニメ化された
    平野耕太・原作の『DRIFTERS』の島津豊久とか。
  *3:そもそも、そんなものが残っていれば、こうした作品群の考証資料になって
    いただろうし、もっと言えば歴史学的研究対象になっているだろうし。

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