大脳山脈

大脳あるところ山脈あり

私には名前があります

2022-06-19 | 混線頭

 私には名前があります。
 それは、これまであなたが知っていたような紙書無書であるとか減多少増であるとかあるいは過渦泡道であるというような作り物めいた名前ではありません。そのような名前は必ず偽名であり、偽名で名付けられた者は初めから存在してはいないということです。もしも私もまたそのように名付けられた者であれば、私は今まさにこうであるような私ではないでしょう。それは確かなことです。私が私である以上、私の名前は偽名ではないのですから、私のその名前をあなたに知る機会があれば、知るやいなやその名前はまさにほかならないこの私の名前であると悟るでしょうし、一旦知ってしまったならば私がその名前以外の名前を持つことなど想像もできないと思い知るような名前です。勿論、悟ったり想像したり思い知ったりするのは、これを読んでいるあなたです。しかしながら、私の名前が他の誰の名前でもないのであれば、その当然の帰結として、私の名前を誰もそれが名前だとは気づかないことでしょう。そんな言葉の名前があるなどと思いもよらないからです。だとすればそんな名前を知るや否や、その名前とは思えないことばがまさに他ならない私の名前であるなどとは信じられるわけがありません。その名前を知ったからといって、知ったにもかかわらず私の名前はまだ知っていないとしか思えないはずです。私の名前は、それを私の名前だと知ってすら私の名前だとすこしも気づかないような名前だということです。

 私の名前は偽名ではありません。他でもないこの私が偽名で名付けられたような者であるわけがないからです。とはいえ、そもそも偽名で名付けられた者は、その偽名こそがはじめからその者の名前なのですから、それは偽名などではないと主張するでしょう。それがその者の固有の名前であると言うしかないでしょう。自分が偽名であるなどと信じられるわけがないからです。だとすれば、私の名前が偽名であっても私はそれには気づかないのでしょうか。私にとっては他ならない私の名前であるにも関わらず、私以外の者にとってはそれは名前ですらないというわけです。それは名前なのでしょうか。私にはとうてい名前とは思えません。私には名前があるのでしょうか。私にはとうてい名前があるとは思えません。

 名前から始めたのは間違いだったのかもしれません。いや、明らかに間違いだったと言い切れるような間違いでした。私の名前など誰も知りたいとは思いませんしそれが偽名であればなおさらです。偽名でなくてもなおさらです。私はおそらくありふれたご挨拶から始めるべきだったのでしょう。見も知らぬあなたであれば、名前からではなく、私はまず初対面の挨拶から始めるべきでした。そして、初めてではないあなたには何か再会を賀ぐような挨拶をすべきだったと思います。以前どこかで、挨拶から始めたこともあったような気がします。そのとき、初めての方と幾度目かの方に同時にどう挨拶すべきか悩んだこともあったように思います。そのときはどうしたでしょうか。はっきりとは思い出せません。あるいは、思い悩んだあげく挨拶などしなかったのかもしれません。だとすれば、私はここで初めて私の名前を披露し挨拶をしてもよいでしょう。このあとにあれこれ申し述べる事柄に挨拶は欠かせないことのように思うからです。勿論、始まりをやり直すことはできません。もうすでに始めてしまったことをないことにするなど不可能です。でも、あたかも別の始まりであるかのように続けることはできるのではないでしょうか。それは名前から始めるよりもずっと賢いやりかただと思えます。

 とはいえ、本当に挨拶が必要なのかどうか、私にはすこし疑いがあります。つまり、私にあなたの名前を知ることができないのにもかかわらず、あなたが私の名前を知っていてもよいのでしょうか。名前もしらない誰かに自分の名前を教えるなど、何か愚かしい行動ではないのかと思えるのです。それだけでなく、私の名前をあなたに知らせることは何か不合理な行動に思えます。つまり、私の名前は知られているのにあなたの名前は知りようがないなどと、そのような不公平があってよいものかどうかよく考えてみるべきだと思うのです。不公平と書きましたが不公平というよりもなにか理不尽というべき事態のようにも思います。それに、そもそもこれから申し述べる事柄に私の名前などなんの影響もないのですから、事の重要さを考えると、私の名前などお知らせしない方がよいのではないかすら思えてきます。あなただけでなく、誰にも名前を知られてはならないのではないということです。名前を知られてはならないということです。

 私には名前があります。でもそれは秘密です。


どこかでダンスを

2022-06-17 | 混線頭

暗闇のどこかで
子供たちがダンス
妹がまわって
弟ははねて
鳥の姿で震えて
光になって消える

暗闇のあちこちで
子供たちがダンス
手袋は消し飛んだ
ヘルメットははじけた
猫も子犬もニワトリだって
闇のかけらを一緒に
おいかけた

見つけたものは
かすかではかない
ほんとは何もない
そのダンス
誰にも見えない
誰も踊ってない
あのダンス


ペンギンが分からない

2022-06-15 | 混線頭

夜になるとペンギンがやってくる。
何かあったのですかと尋ねてもなにも答えずただ僕の顔を覗き込むだけなのでそれ以上は聞けなかった。あの瞳のような色の宝石を見たことがあると思う。
心当たりがあるとすれば、夕食にオムレツを食べたことくらいだろうか。
僕はペンギンのお腹で温められ、今日は二ヶ月目の吉日になる。
あれからオムレツも食べてはいない。

 


公園

2022-06-11 | 混線頭

公園はいつも真夜中にあるらしい

一つだけ立つ街灯はまたたきもしないし
揺れることのないブランコの影の中
崩れることのない砂のことりの羽根の下
どこを探しても
何か大切な時を示す時計はみつからない
記憶は容易く別のものに変わるというのに

川向こうの町には空があふれている
たくさんの太陽があふれている
そのままたくさんの空に押しつぶされればいい
押し潰されて壊れてしまえばいい
町のざわめきはこの公園には届かない

バス停を降りるとそこがこの公園で
それでも誰一人真夜中のバスから降りることはない
どこから乗ってもバスの行先はこの公園だから
だれでも公園を訪れて公園を楽しめる
公園の真夜中を楽しめる

暗闇の中に名前など隠されていないのだし
真夜中の公園は心臓の隣にもある
バスが心臓を轢き潰さないように
公園でバスから降りる前には
そこが自分の心臓の隣でないと
何度でも繰り返し確かめることにしよう
それとも
公園には歩いて行くことにしよう
間違って心臓を潰さないように
ゆっくりと歩いて行くことにしようかと