大脳山脈

大脳あるところ山脈あり

虎の思い出

2023-11-13 | 混線頭

自分が本当は虎であると思い込んでいる人は多いものだ。そうでなくとも、誰もが自分は虎の生まれ変わりであると幾分かは信じている。とはいえ大概の者は虎ではない。そんなわけがないのである。

たとえば、

太郎は虎ではなく彪であるし、
大助は彪ではなく髭であるし、
大部は髭ではなく髪であるし、
犬別は髪ではなく鹿であるし、
丈列は鹿ではなく鞠であるし、
下別は鞠ではなく麹であるし、
木刊は麹ではなく菊であるし、
本利は菊ではなく瓜であるし、
杏秒は瓜ではなく禿であるし、
香砂は禿ではなく虚である。

それでも、
虎は虚ではなく虎なのである。

 


Annotated とらのおいたち 2章

2023-11-07 | 混線頭


2. 1の訳
 とにけ君(1)が翻訳を始めるらしいと聞いた。手紙(2)だったかメール(3)だったかあるいは電話(4)だったのかは覚えていない。手紙だったかメールだったかそれとも電話だったのかを思い出せないだけでなく、誰から聞いたのかすら忘れてしまった(5)。きっと、とにけ君自身が連絡をくれたのだろう。たぶん、とにけ君だったのだろう。
 というのもひさしぶりだから会おうかという話になり、大きな門のある駅(6)の前で待ち合わせることにしたからだ。その駅にはもうずいぶんと行っていなかったので、構内でしばらく迷ってしまったあげく、約束の時間(7)にすこし遅れて改札を出た。とはいえ、とにけ君もまた来てはいなかったのである。
 大きな門の東と西(8)の端にある街灯は電球が切れていて(9)暗い。改札の張り紙には「暗闇の中には虎が棲んでいます」(10)とだけ書かれていた。大きな門の東西の暗闇には虎が棲んでいる(11)のだろう。
 暗いといっても大通りを走る車(12)のヘッドライトが(13)大きな門の東西の端の暗がりを照らし出すことはある。その光の中には確かに大きな虎が頭をもたげて横たわっているのが見えた。そのようにして、大きな門の東西の端の暗がりの中には虎が棲んでいるのだと分かる(14)のだった。虎は首輪(15)もしていなければ檻(16)があるわけでもない。もしも虎が空腹(17)であり、もしも私の存在に気づいたり(18)したならば、私はたちまち襲われる(19)のだろう。五体を食いちぎられ(20)腕や脚や内臓まで食べられて(21)しまうかもしれない。その可能性は高い。あるいはとにけ君が遅刻しているのは虎のせいなのではないだろうか(22)。
 大きな門の東の端の暗闇に一頭西の端の暗闇にもう一頭虎が棲んでいる(23)。なぜ大きな門のある駅を待ち合わせの場所になどしたのだろうか(24)。そう後悔し始めた頃にとにけ君はやってきた(25)。安心のあまり涙ぐみそうになった私を見て、とにけ君は何も言わなかった。気持ちが通じているとはこのようなことを言うのに違いない(26)。
 駅にある喫茶店に入り(27)、とにけ君の話を聞いた。まちがいなく翻訳を始めるのだと言う(28)。それが仕事なのか道楽なのかは言わなかった。どちらでも同じだということだ。何の翻訳なのかどんな翻訳なのか聞きたいことはいろいろあった。
「悪-9857と水-3067」
 とにけ君は思い出すようにゆっくりとそう言った。虎の姿を照らし出した2台の車のナンバー(29)だった。
「並-6790」
 私はその次に来た車の番号で答えた。なんと奇妙で美しい一致(30)だろうか。とにけ君と私は強く抱擁を交わした(31)。
「とにけ君が日本語を勉強していたとは驚いたよ」(32)
そう言うととにけ君は楽しそうに笑い、これは翻訳ではありませんでしたね(33)と言った。

3. 1の訳の注
(1)「とにけ君」人名。
(2)「手紙」テキストを紙に書いたもののこと。読者は特定の人物や集団であると想定している。
(3)「メール」食事のこと。
(4)「電話」音声により遠隔地との会話を可能にする装置。隣接地でも使える。音楽を伝えることもできる。ゆえに「電話」はなくても何も変わらない。
(5)「誰から聞いたのかすら忘れてしまった」そんなことはありえない。嘘を書いているのかもしれない。
(6)「大きな門のある駅」大きな門のある駅には大きな門のある理由があるはずだが、それについてはまったく触れられていない。
(7)「約束の時間」は日の暮れたあとの時間であり、夜である。
(8)「大きな門の東と西の端」東西に長く伸びた駅である。
(9)「街灯は電球が切れていて」電球を使っているので古い駅であるということがわかる。電球を販売していた頃の話であることが伺われる。
(10)「「暗闇の中には虎が棲んでいます」」これは、この駅に虎が棲んでいることを述べたものではなく、一般的な事実について述べられたものかもしれない。
(11)「大きな門の東西の暗闇には虎が棲んでいる」このような断定には根拠がない。
(12)「大通りを走る車」駅の前を東西に国道が通っている。
(13)「ヘッドライトが」時は夜である。
(14)「虎が棲んでいるのだと分かる」虎が棲んでいることがわかる。
(15)「首輪」拘束具のこと。
(16)「檻」拘束施設のこと。
(17)「空腹」食欲に満ちている状態。
(18)「気づいたり」獲物がいると認識すること。
(19)「襲われる」食べるために命を奪うこと。
(20)「五体を食いちぎられ」食べるために体を小さな部分に切り分けること。主に腕や脚でおさえ、口で引きちぎるので「食いちぎる」と言われる。
(21)「腕や脚や内臓まで食べられて」食べやすいサイズに分解したのち食することを獲物の立場から述べている。
(22)「とにけ君が遅刻しているのは虎のせいなのではないだろうか」このような虎が存在することと、とにけ君の到着が遅れていることを関連づけ、とにけ君がすでに虎に食べられてしまったために、約束の時間に到着できていないのではないかという不安を表している。
(23)「西の端の暗闇にもう一頭虎が棲んでいる」東西の暗闇の中にそれぞれ一頭の虎が潜んでいるのだという推測を事実と断定している。西の虎を見たのかどうかは明らかではない。
(24)「なぜ大きな門のある駅を待ち合わせの場所になどしたのだろうか」確かにそれは疑問である。だがここでは、それは疑問ではなくそのような決断をした自分に対する後悔を意味している。
(25)「そう後悔し始めた頃にとにけ君はやってきた」だが、後悔する理由などなかったことが、とにけ君の到着によってあきらかになる。
(26)「気持ちが通じているとはこのようなことを言うのに違いない」そうかもしれないし、そうではないのかもしれない。
(27)「駅にある喫茶店に入り」駅の喫茶店では虎の危険があるはずだが、勇敢な二人はあえて駅の喫茶店に入ったということだろう。
(28)「翻訳を始めるのだと言う」虎の話はともかく、とにけ君が翻訳を始めるのだという冒頭の話題に戻った。
(29)「車のナンバー」すべての車には唯一の番号が割り振られており、それのことである。番号は「文字」と「数字」の二つの部分からなる。
(30)「奇妙で美しい一致」何を言いたいのか不明である。
(31)「強く抱擁を交わした」何のためなのか不明である。
(32)「「とにけ君が日本語を勉強していたとは驚いたよ」」話者の発言である。とにけ君は日本語の学習者であることがわかる。
(33)「これは翻訳ではありませんでしたね」これは「1の訳」と名付けられてはいるが、ほとんど原文と同じであり、翻訳とは呼べないという意味である。原文では「では翻訳を始めましょう」とあり、とにけ君はこの「1の訳」が「1」の翻訳として書いていたことが分かる。

 


とらのおいたち

2023-11-06 | 混線頭

1.
 とにけ君が翻訳を始めるらしいと聞いた。手紙だったかメールだったかあるいは電話で聞いたのかは忘れてしまった。手紙かメールかそれとも電話のどれであったとしても、それが誰からのものだったのかすら思い出せない。とにけ君自身が連絡をくれたのかもしれない。たぶんとにけ君だったのだろう。
 ひさしぶりだから会おうかという話になって、大きな門のある駅の前で待ち合わせをした。その駅にはもうずいぶん行っていなかったので、構内でしばらく迷ったあげく、約束の時間にすこし遅れてしまうことになった。とはいえ、とにけ君もまた来てはいなかった。大きな門の東と西の端にある街灯は電球が切れていて暗い。改札の張り紙には「暗闇の中には虎が住んでいます」と書かれていた。大きな門の東西の暗闇には虎が住んでいるのだろう。
 暗いといっても大通りを走る車のヘッドライトが大きな門の東西の端の暗がりを照らし出すことはある。光の中には確かに人の背丈よりも大きな虎が寝そべっているのが見えた。そのようにして大きな門の東西の端の暗がりの中には虎が住んでいるのだと分かった。虎は首輪もしていなければ檻があるわけでもない。もしも虎が空腹であり、もしも私の存在に気づいたりしたならば、私は襲われるだろう。五体を食いちぎられて食べられてしまうかもしれない。その可能性は高い。あるいはとにけ君が遅刻しているのは虎のせいなのではないだろうか。
 大きな門の東の端の暗闇に一頭西の端の暗闇にもう一頭虎が住んでいる。なぜ大きな門のある駅を待ち合わせの場所になどしたのだろうか。そう後悔し始めた頃に、とにけ君はやってきた。安心のあまり涙ぐみそうになった私を見て、とにけ君は何も言わなかった。気持ちが通じているとはこのようなことを言うのに違いない。
 駅にある喫茶店に入り、とにけ君の話を聞いた。まちがいなく翻訳を始めるのだと言う。それが仕事なのか道楽なのかは言わなかった。どちらでも同じだということだ。何の翻訳なのかどんな翻訳なのか聞きたいこともいろいろあった。
「悪-9728と水-3234」
 とにけ君は思い出すようにそう言った。虎の姿を照らし出した2台の車のナンバーだった。
「並-6494」
 私はその次に来た車の番号で答えた。なんと奇妙で美しい一致だろうか。
「とにけ君が日本語を勉強していたとは驚いたよ」
そう言うととにけ君は楽しそうに笑い、では翻訳を始めましょうと言った。

2. 
 とにけ君が翻訳を始めるらしいと聞いた。手紙だったかメールだったかあるいは電話で聞いたのかは忘れてしまった。手紙かメールかそれとも電話のどれであったとしても、それが誰からのものだったのかすら思い出せない。とにけ君自身が連絡をくれたのかもしれない。たぶんとにけ君だったのだろう。
 ひさしぶりだから会おうかという話になって、大きな門のある駅の前で待ち合わせをした。その駅にはもうずいぶん行っていなかったので、構内でしばらく迷ったあげく、約束の時間にすこし遅れてしまうことになった。とはいえ、とにけ君もまた来てはいなかった。大きな門の東と西の端にある街灯は電球が切れていて暗い。改札の張り紙には「暗闇の中には虎が住んでいます」と書かれていた。大きな門の東西の暗闇には虎が住んでいるのだろう。
 暗いといっても大通りを走る車のヘッドライトが大きな門の東西の端の暗がりを照らし出すことはある。光の中には確かに人の背丈よりも大きな虎が寝そべっているのが見えた。そのようにして大きな門の東西の端の暗がりの中には虎が住んでいるのだと分かった。虎は首輪もしていなければ檻があるわけでもない。もしも虎が空腹であり、もしも私の存在に気づいたりしたならば、私は襲われるだろう。五体を食いちぎられて食べられてしまうかもしれない。その可能性は高い。あるいはとにけ君が遅刻しているのは虎のせいなのではないだろうか。
 大きな門の東の端の暗闇に一頭西の端の暗闇にもう一頭虎が住んでいる。なぜ大きな門のある駅を待ち合わせの場所になどしたのだろうか。そう後悔し始めた頃に、とにけ君はやってきた。安心のあまり涙ぐみそうになった私を見て、とにけ君は何も言わなかった。気持ちが通じているとはこのようなことを言うのに違いない。
 駅にある喫茶店に入り、とにけ君の話を聞いた。まちがいなく翻訳を始めるのだと言う。それが仕事なのか道楽なのかは言わなかった。どちらでも同じだということだ。何の翻訳なのかどんな翻訳なのか聞きたいこともいろいろあった。
「悪-9728と水-3234」
 とにけ君は思い出すようにそう言った。虎の姿を照らし出した2台の車のナンバーだった。
「並-6494」
 私はその次に来た車の番号で答えた。なんと奇妙で美しい一致だろうか。
「とにけ君が日本語を勉強していたとは驚いたよ」
そう言うととにけ君は楽しそうに笑い、これでは翻訳になっていませんねと言った。