大脳山脈

大脳あるところ山脈あり

とらのおいたち

2023-11-06 | 混線頭

1.
 とにけ君が翻訳を始めるらしいと聞いた。手紙だったかメールだったかあるいは電話で聞いたのかは忘れてしまった。手紙かメールかそれとも電話のどれであったとしても、それが誰からのものだったのかすら思い出せない。とにけ君自身が連絡をくれたのかもしれない。たぶんとにけ君だったのだろう。
 ひさしぶりだから会おうかという話になって、大きな門のある駅の前で待ち合わせをした。その駅にはもうずいぶん行っていなかったので、構内でしばらく迷ったあげく、約束の時間にすこし遅れてしまうことになった。とはいえ、とにけ君もまた来てはいなかった。大きな門の東と西の端にある街灯は電球が切れていて暗い。改札の張り紙には「暗闇の中には虎が住んでいます」と書かれていた。大きな門の東西の暗闇には虎が住んでいるのだろう。
 暗いといっても大通りを走る車のヘッドライトが大きな門の東西の端の暗がりを照らし出すことはある。光の中には確かに人の背丈よりも大きな虎が寝そべっているのが見えた。そのようにして大きな門の東西の端の暗がりの中には虎が住んでいるのだと分かった。虎は首輪もしていなければ檻があるわけでもない。もしも虎が空腹であり、もしも私の存在に気づいたりしたならば、私は襲われるだろう。五体を食いちぎられて食べられてしまうかもしれない。その可能性は高い。あるいはとにけ君が遅刻しているのは虎のせいなのではないだろうか。
 大きな門の東の端の暗闇に一頭西の端の暗闇にもう一頭虎が住んでいる。なぜ大きな門のある駅を待ち合わせの場所になどしたのだろうか。そう後悔し始めた頃に、とにけ君はやってきた。安心のあまり涙ぐみそうになった私を見て、とにけ君は何も言わなかった。気持ちが通じているとはこのようなことを言うのに違いない。
 駅にある喫茶店に入り、とにけ君の話を聞いた。まちがいなく翻訳を始めるのだと言う。それが仕事なのか道楽なのかは言わなかった。どちらでも同じだということだ。何の翻訳なのかどんな翻訳なのか聞きたいこともいろいろあった。
「悪-9728と水-3234」
 とにけ君は思い出すようにそう言った。虎の姿を照らし出した2台の車のナンバーだった。
「並-6494」
 私はその次に来た車の番号で答えた。なんと奇妙で美しい一致だろうか。
「とにけ君が日本語を勉強していたとは驚いたよ」
そう言うととにけ君は楽しそうに笑い、では翻訳を始めましょうと言った。

2. 
 とにけ君が翻訳を始めるらしいと聞いた。手紙だったかメールだったかあるいは電話で聞いたのかは忘れてしまった。手紙かメールかそれとも電話のどれであったとしても、それが誰からのものだったのかすら思い出せない。とにけ君自身が連絡をくれたのかもしれない。たぶんとにけ君だったのだろう。
 ひさしぶりだから会おうかという話になって、大きな門のある駅の前で待ち合わせをした。その駅にはもうずいぶん行っていなかったので、構内でしばらく迷ったあげく、約束の時間にすこし遅れてしまうことになった。とはいえ、とにけ君もまた来てはいなかった。大きな門の東と西の端にある街灯は電球が切れていて暗い。改札の張り紙には「暗闇の中には虎が住んでいます」と書かれていた。大きな門の東西の暗闇には虎が住んでいるのだろう。
 暗いといっても大通りを走る車のヘッドライトが大きな門の東西の端の暗がりを照らし出すことはある。光の中には確かに人の背丈よりも大きな虎が寝そべっているのが見えた。そのようにして大きな門の東西の端の暗がりの中には虎が住んでいるのだと分かった。虎は首輪もしていなければ檻があるわけでもない。もしも虎が空腹であり、もしも私の存在に気づいたりしたならば、私は襲われるだろう。五体を食いちぎられて食べられてしまうかもしれない。その可能性は高い。あるいはとにけ君が遅刻しているのは虎のせいなのではないだろうか。
 大きな門の東の端の暗闇に一頭西の端の暗闇にもう一頭虎が住んでいる。なぜ大きな門のある駅を待ち合わせの場所になどしたのだろうか。そう後悔し始めた頃に、とにけ君はやってきた。安心のあまり涙ぐみそうになった私を見て、とにけ君は何も言わなかった。気持ちが通じているとはこのようなことを言うのに違いない。
 駅にある喫茶店に入り、とにけ君の話を聞いた。まちがいなく翻訳を始めるのだと言う。それが仕事なのか道楽なのかは言わなかった。どちらでも同じだということだ。何の翻訳なのかどんな翻訳なのか聞きたいこともいろいろあった。
「悪-9728と水-3234」
 とにけ君は思い出すようにそう言った。虎の姿を照らし出した2台の車のナンバーだった。
「並-6494」
 私はその次に来た車の番号で答えた。なんと奇妙で美しい一致だろうか。
「とにけ君が日本語を勉強していたとは驚いたよ」
そう言うととにけ君は楽しそうに笑い、これでは翻訳になっていませんねと言った。

 



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