Carpe Diem-Seize the Day-

Because life means just right now for us...

霙混じりの中、15時13分

2011年02月28日 16時46分24秒 | 呟き・慨嘆・ゆきへ・他
灰色の道をトボトボと歩く。

庭へ行きたいと言う。
出すも用足しはせず、
フェンス越しにネコさんを
探すが直ぐに玄関に戻る。
この繰り返しを7~8回。

夕方からは晴れ間が見える
との予報を信じ待って
居るのも気の毒かと
せめてトイレだけでも、と
散歩へ出た。

完璧な雨であれば、ここ1~2年
の彼女は、二の足を踏むが
霙だからか?それ程嫌がらずに
歩く。

横浜の気温は3度となって居るが
もっと高いのではないかと
感じる。

腹巻、厚手のT、そして唯一
フィットするレインコートの
薄着で出る。

ほんの15分しか歩かない
にも拘らずレインコートから
水が滲み、インナーのTシャツも
濡れた。

これでは不味いと慌てて引き返す。

玄関先で大雑把に拭き
室内で丁寧に水を拭う。
Tシャツもグッショリで慌てたが
厚手生地だからなのか裏までは
濡れて居らず、ホッとする。

お腹も腹巻のお陰で濡れずに
済んだ。

----歩き乍らふと頭を過ぎる----
外飼いの子等は大雨の際に
これ以上小さくなれない程に
身体を丸め、暖を取るのだろうか、
と。。。
今更だが、何故か急に悲しくなる。

しかし、生まれてからずっと
そういった環境であったなら、
その子に取り、それが全てになる
のだろう。
ヒト家族の団欒もテレビの雑音、
洗濯機の音、冷蔵庫、エアコン、
暖房機器の微妙な呻り声も聞かず
唯、雨の音を聞き乍ら丸まる。。。

これが不幸な事、というのは
人間の勝手な推測なのだろうか?

そもそもイヌの幸せ自体解らない。
そしてイヌを迎える、飼いたい、
と思い「飼う」といった行為自体が
ヒトの欲求、エゴであると思う事を
鑑みると、何処までがイヌの不幸で
どこからが幸せであるのか、の
線引きが解らなくなる。

勿論、当たり前の散歩、食事、
交流は最低限としても。。。

獣医達はゆきを見る度に異口同音に
言う。。。
「ゆきちゃんは幸せだね」と。

しかし;今更もう良いのだが;けして
飼主は彼女が幸せなイヌだとは
思わない。

もう幾ら考えても答え等見付らない
という事が答えであった。。。
---12年間---

であるから究極までのエゴイスティック
な飼主にならせて貰おうと或時に
意を固める。

洋服等、着たくはないであろう。
幾ら獣医指示に因り心臓の為に
外へ行く時には1枚、といわれ様とも
。。。
トリミング等は彼女に取りストレスの
元凶だろう。。。イヌ臭い方が
彼女は好きなのだ。

そして病院等はその究極たるモノ
。。。何故に押さえ付けられ
冷たい台に乗りカメラでもない
巨大な物体に撮影等されなければ
いけないのか。。。
挙句には、剃られた腹部、胸部に
ゼリー状の冷たいモノを塗られ
硬くて変な機械を宛がわれなければ
いけないか。。。

前後肢にワッカを巻き付けられたり
針をさされたり、と散々な目に遭う。

それでも言う事をきくイヌ。
理不尽な事をし尽くされても
飼主及び、全ての関わるヒトに
牙も剥かず従う。

----一体、おまえの幸せは何なのだ----

飼主宅は生まれ付いてから、ずっと
動物が途切れた事が無い。
ネコもイヌも鳥もリスも爬虫類も
恐らく家庭で飼える生命は全て
十数年の間には迎えて居たかも
解らない。
今思い起こすと、一体誰が世話を
して居たのか不思議だ。

イヌの散歩へ大人と一緒に行った
3才頃、何処かのお宅の前を
通り掛ると、必死で吠えまくる
イヌが居た。
なんで吠えてるの?
と質問をした記憶がある。

その大人は言った。
ウチはお散歩してるでしょ?
だけどああやって繋がれてるから
僕もお散歩行きたいよ、って
叫んでるんだよ。
と。

道行くイヌに向かい吠える
子を見る度にこの言葉が
甦る。

散歩か。。。散歩に連れて行って
貰ってるんだろうか。

怠気に歩く彼女の後肢を見詰め
ボーッと考えを巡らせ
短い散歩は終わる。



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