灰色の道をトボトボと歩く。
庭へ行きたいと言う。
出すも用足しはせず、
フェンス越しにネコさんを
探すが直ぐに玄関に戻る。
この繰り返しを7~8回。
夕方からは晴れ間が見える
との予報を信じ待って
居るのも気の毒かと
せめてトイレだけでも、と
散歩へ出た。
完璧な雨であれば、ここ1~2年
の彼女は、二の足を踏むが
霙だからか?それ程嫌がらずに
歩く。
横浜の気温は3度となって居るが
もっと高いのではないかと
感じる。
腹巻、厚手のT、そして唯一
フィットするレインコートの
薄着で出る。
ほんの15分しか歩かない
にも拘らずレインコートから
水が滲み、インナーのTシャツも
濡れた。
これでは不味いと慌てて引き返す。
玄関先で大雑把に拭き
室内で丁寧に水を拭う。
Tシャツもグッショリで慌てたが
厚手生地だからなのか裏までは
濡れて居らず、ホッとする。
お腹も腹巻のお陰で濡れずに
済んだ。
----歩き乍らふと頭を過ぎる----
外飼いの子等は大雨の際に
これ以上小さくなれない程に
身体を丸め、暖を取るのだろうか、
と。。。
今更だが、何故か急に悲しくなる。
しかし、生まれてからずっと
そういった環境であったなら、
その子に取り、それが全てになる
のだろう。
ヒト家族の団欒もテレビの雑音、
洗濯機の音、冷蔵庫、エアコン、
暖房機器の微妙な呻り声も聞かず
唯、雨の音を聞き乍ら丸まる。。。
これが不幸な事、というのは
人間の勝手な推測なのだろうか?
そもそもイヌの幸せ自体解らない。
そしてイヌを迎える、飼いたい、
と思い「飼う」といった行為自体が
ヒトの欲求、エゴであると思う事を
鑑みると、何処までがイヌの不幸で
どこからが幸せであるのか、の
線引きが解らなくなる。
勿論、当たり前の散歩、食事、
交流は最低限としても。。。
獣医達はゆきを見る度に異口同音に
言う。。。
「ゆきちゃんは幸せだね」と。
しかし;今更もう良いのだが;けして
飼主は彼女が幸せなイヌだとは
思わない。
もう幾ら考えても答え等見付らない
という事が答えであった。。。
---12年間---
であるから究極までのエゴイスティック
な飼主にならせて貰おうと或時に
意を固める。
洋服等、着たくはないであろう。
幾ら獣医指示に因り心臓の為に
外へ行く時には1枚、といわれ様とも
。。。
トリミング等は彼女に取りストレスの
元凶だろう。。。イヌ臭い方が
彼女は好きなのだ。
そして病院等はその究極たるモノ
。。。何故に押さえ付けられ
冷たい台に乗りカメラでもない
巨大な物体に撮影等されなければ
いけないのか。。。
挙句には、剃られた腹部、胸部に
ゼリー状の冷たいモノを塗られ
硬くて変な機械を宛がわれなければ
いけないか。。。
前後肢にワッカを巻き付けられたり
針をさされたり、と散々な目に遭う。
それでも言う事をきくイヌ。
理不尽な事をし尽くされても
飼主及び、全ての関わるヒトに
牙も剥かず従う。
----一体、おまえの幸せは何なのだ----
飼主宅は生まれ付いてから、ずっと
動物が途切れた事が無い。
ネコもイヌも鳥もリスも爬虫類も
恐らく家庭で飼える生命は全て
十数年の間には迎えて居たかも
解らない。
今思い起こすと、一体誰が世話を
して居たのか不思議だ。
イヌの散歩へ大人と一緒に行った
3才頃、何処かのお宅の前を
通り掛ると、必死で吠えまくる
イヌが居た。
なんで吠えてるの?
と質問をした記憶がある。
その大人は言った。
ウチはお散歩してるでしょ?
だけどああやって繋がれてるから
僕もお散歩行きたいよ、って
叫んでるんだよ。
と。
道行くイヌに向かい吠える
子を見る度にこの言葉が
甦る。
散歩か。。。散歩に連れて行って
貰ってるんだろうか。
怠気に歩く彼女の後肢を見詰め
ボーッと考えを巡らせ
短い散歩は終わる。
庭へ行きたいと言う。
出すも用足しはせず、
フェンス越しにネコさんを
探すが直ぐに玄関に戻る。
この繰り返しを7~8回。
夕方からは晴れ間が見える
との予報を信じ待って
居るのも気の毒かと
せめてトイレだけでも、と
散歩へ出た。
完璧な雨であれば、ここ1~2年
の彼女は、二の足を踏むが
霙だからか?それ程嫌がらずに
歩く。
横浜の気温は3度となって居るが
もっと高いのではないかと
感じる。
腹巻、厚手のT、そして唯一
フィットするレインコートの
薄着で出る。
ほんの15分しか歩かない
にも拘らずレインコートから
水が滲み、インナーのTシャツも
濡れた。
これでは不味いと慌てて引き返す。
玄関先で大雑把に拭き
室内で丁寧に水を拭う。
Tシャツもグッショリで慌てたが
厚手生地だからなのか裏までは
濡れて居らず、ホッとする。
お腹も腹巻のお陰で濡れずに
済んだ。
----歩き乍らふと頭を過ぎる----
外飼いの子等は大雨の際に
これ以上小さくなれない程に
身体を丸め、暖を取るのだろうか、
と。。。
今更だが、何故か急に悲しくなる。
しかし、生まれてからずっと
そういった環境であったなら、
その子に取り、それが全てになる
のだろう。
ヒト家族の団欒もテレビの雑音、
洗濯機の音、冷蔵庫、エアコン、
暖房機器の微妙な呻り声も聞かず
唯、雨の音を聞き乍ら丸まる。。。
これが不幸な事、というのは
人間の勝手な推測なのだろうか?
そもそもイヌの幸せ自体解らない。
そしてイヌを迎える、飼いたい、
と思い「飼う」といった行為自体が
ヒトの欲求、エゴであると思う事を
鑑みると、何処までがイヌの不幸で
どこからが幸せであるのか、の
線引きが解らなくなる。
勿論、当たり前の散歩、食事、
交流は最低限としても。。。
獣医達はゆきを見る度に異口同音に
言う。。。
「ゆきちゃんは幸せだね」と。
しかし;今更もう良いのだが;けして
飼主は彼女が幸せなイヌだとは
思わない。
もう幾ら考えても答え等見付らない
という事が答えであった。。。
---12年間---
であるから究極までのエゴイスティック
な飼主にならせて貰おうと或時に
意を固める。
洋服等、着たくはないであろう。
幾ら獣医指示に因り心臓の為に
外へ行く時には1枚、といわれ様とも
。。。
トリミング等は彼女に取りストレスの
元凶だろう。。。イヌ臭い方が
彼女は好きなのだ。
そして病院等はその究極たるモノ
。。。何故に押さえ付けられ
冷たい台に乗りカメラでもない
巨大な物体に撮影等されなければ
いけないのか。。。
挙句には、剃られた腹部、胸部に
ゼリー状の冷たいモノを塗られ
硬くて変な機械を宛がわれなければ
いけないか。。。
前後肢にワッカを巻き付けられたり
針をさされたり、と散々な目に遭う。
それでも言う事をきくイヌ。
理不尽な事をし尽くされても
飼主及び、全ての関わるヒトに
牙も剥かず従う。
----一体、おまえの幸せは何なのだ----
飼主宅は生まれ付いてから、ずっと
動物が途切れた事が無い。
ネコもイヌも鳥もリスも爬虫類も
恐らく家庭で飼える生命は全て
十数年の間には迎えて居たかも
解らない。
今思い起こすと、一体誰が世話を
して居たのか不思議だ。
イヌの散歩へ大人と一緒に行った
3才頃、何処かのお宅の前を
通り掛ると、必死で吠えまくる
イヌが居た。
なんで吠えてるの?
と質問をした記憶がある。
その大人は言った。
ウチはお散歩してるでしょ?
だけどああやって繋がれてるから
僕もお散歩行きたいよ、って
叫んでるんだよ。
と。
道行くイヌに向かい吠える
子を見る度にこの言葉が
甦る。
散歩か。。。散歩に連れて行って
貰ってるんだろうか。
怠気に歩く彼女の後肢を見詰め
ボーッと考えを巡らせ
短い散歩は終わる。