合気道をはじめてから、自然に身についてしまった(クセ)がある。
それは、(自分の身体をモニターする)こと。
高次元のことはわからないが、
合気道には身体の具体的メソッドを体系化した精密なプログラムがある。
身体技法の稽古とは自分の身体で起きていることを「モニター」するのが基本。
(ああ、反射的に腕に力が入ってしまい、技がかからなかった)
(軸の感覚)・・などなど、自分で自分をチェックするほかない。
ごまかしはきかない。
自分のクセをモニターし、補正していくのが稽古の基本ともいえる。
若ければ技の習得にずんずん突き進んでいったろうが、
いかんせん熟年では、一挙一動をかみしめるように
動きを反芻することが多い。
モーションを起こしていなかったか・・
軸の感覚は・・
等速で直線に動いたていたか・・
普段の動きがいかに思い込みと勘違いに満ちているか
否応なく気づかされる。
自分のモニターができてくると、
相手の動きも自然とモニターできるようになる。
もっとも、先生は、十数人が稽古している片隅から、
一人一人の動きが詳細に見えるらしい。
ひんぱんに、(そこ、腕の動きが違う!)と、指摘が入る。
先生とこちらの組の間に他の組が数組入って壁になっていて、
10メートル以上離れているのに・・見えるらしい。
目が天井にあるとしか思えない。
聞いたところによると、
サッカーやラグビーの優れた選手は、
自分の動きと他の味方の動き、敵の動きが
俯瞰しているようにモニタリングしているそうだ。
体操の内村航平君も、空中での自分の3次元の動きを、
もう一人の自分の目でモニターできると語っていた。
モニターするのは、なにも身体に限らない。
自分の会話や、思考や感情までもモニタリングするようになるという。
相手の言葉にかっとなる自分がいて、
自分と相手をモニタリングしている、もう一人の自分が立ち現れるそうだ。
むろん、すべてを自制できるわけではないが、
合気道を稽古するうちに
自分の操作、自制がごく身近なツールとなったのは間違いない。
手足も頭もあちらこちら経年劣化しているパーツをモニターしながら、
やりくりを試みてはどうにかしのいでいる。
古くても長いつきあいだから、なだめたり、すかしたりしつつね。
合気道をはじめた時には、まったく想定外だった副産物である。
若いうちに合気道をはじめれば、
合気道自体がどれほど進歩するかはさておき、
こうしたセルフモニタリングが自然と身につくことで、
人生の最大懸案である人間関係はじめ、仕事でも勉強でも
随分と可能性が広がるのは間違いない。