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天明3年の浅間山級噴火でも、サバイバルは可能か?

2022-01-31 | サバイバル・投資・起業・健康の相談室・英語・音楽レッスン
古川愛哲<ふるかわ・あいてつ>さんの著書から
『江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた サムライと庶民365日の真実』(講談社プラスα新書)などがある。

天明3年の浅間山噴火  

 御嶽山の噴火でも観測された火砕流。1991年の雲仙噴火では 43 人の犠牲者を出した。その惨状が地下から生々しく発掘されたのが浅間山麓の群馬県の嬬恋村鎌原地区である。

 天明3年(1783)の春から浅間山は噴火を繰り返していた。7月8日のことである。地元の「無量院住職手記」が言う。

「この日、天気ことほかよき哉なり。鳴音静かなり」

 噴火は小康状態。村民は降ってくる焼石に備え土蔵のなかでしばしば仮眠をとっていた。午前11時。突然浅間山から火砕流が噴き出した。それは山腹の土砂を巻き込んだ熱泥流となって、火口から15キロも離れた鎌原村を襲った。住職が書く。

「ヒッシオ、ヒッシオ、ワチワチと異様な音を響かせて鎌原村へ押し寄せてきた」(無量院住職手記)

 油断していた矢先のことである。

「足の弱い老人たちは遠くへ逃げられず近くの高台に登ったが、浅間押しはそちらに来ず、高い山に逃げようと遠くに走った若者たちを追って家を乗り越え、木を倒した熱泥流はたちまち彼らに追いついてのみ込んでしまった」(「天明浅獄砂降記」)

 と明暗を分けた悲劇が各地で展開した。鎌原村全村 93 戸が埋没し、住民 597 人中 466 人が死亡。死亡率約 80 %で、ほぼ全滅である。

 村の観音堂が坂を登ってさらに 50 段の石段を登ったところにある。ここに駆け登った者は助かったが、腰の曲がった老母を連れて観音堂へ急ぐ娘がいた。娘は老母を背負って坂を駆け上がり、石段を登りかけた。その時、熱泥流が押し寄せてきたのである。この2人は昭和54年の発掘調査で、石段の登り口に往時のままの姿を197年ぶりに現わして関係者の涙を誘った。

 浅間山噴火の悲劇は火砕流だけではなかった。

 空高く舞い上がった噴煙が成層圏を覆い、北半球の気温を年間1.3度下げた。冷夏となり、その後4年間にわたって各地に飢饉を続発させた。餓死者20万人と言われる天明の飢饉である。その影響はヨーロッパ各地にも及び、冷夏と厳寒の繰り返しで凶作が続き、フランスではついにフランス革命を引き起こした。

 火山噴火は一地域だけではなく、地球規模での災害なのである。
 
 以上 古川愛哲さんの著書から


万が一住んでいる地域で噴火が起こったら、前に書いたように、火山灰はガラス質なので絶対吸わないでください。
オレゴンでの山火事で100キロ以上離れている私たちでさえ家のドアを開けられないほどの煙が充満。うちわや扇風機でドアから風を送って素早く出て車にもすぐ乗り込むなどしましたが、マスクやタオルで口を覆っていないと危険です。太陽フレアや黒点も地球の災害や経済と関係ある(株にも影響すると言っている方もいます。)ようですので、興味ある人は太陽天気予報などを調べると事前に何かわかるかもしれません。

火事の煙を逃れるにも、火山灰の場合もタオルとベットボトルの水はサバイバルの助けになりそうですね。濡れタオルで口を覆ったり、それを頭からたかぶって燃えにくく出来ます。家に歩けない方がいたら避難用に、雪そり滑りの長めのそりにキャスターをつけておいて寝かせて引っ張るといいかもしれません。まずは、寝込まぬよう普段からひろばあちゃんのエクササイズを一緒にしましょう。半身不随でも一度も寝込まず動いたおかげで今ではスキーだってできるようになるなっています。一緒に頑張りましょう。英語レッスン配信の次は、喉のためのカンツオーネ、次はヨガなども徐々に配信したいです。シニアのひろばあちゃんには、YOUTUBE ができるかどうか不安ですが、研究しま〜す。




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