花洛転合咄

畿内近辺の徘徊情報・裏話その他です。

須知[しゅうち]で貞任を捜す

2012年05月02日 | 徘徊情報・丹波国
 貞任伝説(mfujino様、毎度すみません。)、京都市右京区京北と亀岡市、南丹市八木町などに伝わっているものですが、これまで暇に任せてあちらこちらと貞任の遺骸が埋められたというところを廻ってきました。残るは亀岡市の桑田神社と京丹波町の須知のみ。桑田神社は大団円まで取っておいて、というのは場所もはっきりと分かっているからですが、まず何か分からん須知の方を探ってみることにしました。

 国道9号線で、南丹市園部町から京丹波町に入ったところが須知、昔は山陰道の宿場町として栄えたところだそうです。丹波マーケスという立派な道の駅がありましたので、そこに車を停めます。この施設の背後にある秀麗な山はその名も「美女山」、徘徊の徒の心をくすぐるではありませんか。

  

 貞任の遺骸が埋められた場所として伝えられているのは京北では峠や山中ですが、亀岡盆地側に入ると神社になります。勿論逆であるかも知れないのですが、感触としては京北側の伝承の方が古いような気がします。
 本日は2万5千分の1地形図にある須知周辺の神社を片っ端から訪ねていくつもりです。そしてもう一つのヒントは「深志野」という地名。これは地図では確認できません。小字であるならばやはり現地に行くしかない。

 いい天気です。花粉もたくさん飛んでいます。ひばりも鳴いています。もう何があるのか楽しみだぜい。最初に訪ねたのは上野というところにある能満神社です。
 御祭神は「事代主命」と「武甕槌命」。あれぇ?珍しなあ。といいますのは記紀の神話では天孫降臨に先立つ国譲りの話に於いて、事代主命は父神である大国主命が国を天孫に譲ることを承諾して、そのまま海に入った神。そして武甕槌命はこの時の高天原からの使者の神で、天孫の降臨前にその地ならしをした神です。極言すれば敵どおし。これが仲良く並んでおられます。

  

 けれども、これはこの後すぐに謎が解けました。本来は神仏習合で事代主命と虚空蔵菩薩が祀られていたものが、明治の廃仏で虚空蔵菩薩が分離され、代わりに摂社に祀られていた春日神=武甕槌命を据えたということです。社名の「能満」は虚空蔵菩薩能満諸願最勝秘密陀羅尼経という経典名から来ているようです。とすると、本来はここには虚空蔵菩薩を祀るお堂があり、その鎮守として事代主命が祀られていたのではないかとも思えます。事代主命は記紀では出雲神話の中に組み入れられてしまっていますが、本来は葛城山麓の鴨氏が信奉していた神だと考えられます。

  

 ウマイ具合にお婆さんが二人、社殿の前でひなたぼっこをされています。もしかして、神慮?

 すみません。この辺りで阿倍貞任の死体を埋めたという言い伝えはありませんか?

 アベ…サダ?さあ、知らんなあ。

 アベサダ(笑)、いやアベノサダトウ。

 聞いたこともないで。

 アベサダの死体がバラバラにされて、この辺りに埋められているとしたらそれは事件です。

 そしたら、深志野というところはありますか?

 フカシノ、それはあるある。それだったらあんたの行く宮さんはイツシカ神社や。

 この道を真っ直ぐ行って、国道を渡って、まだ真っ直ぐ行ったら家がたくさんあるから、その辺の人に聞いたらええわ。

 深志野が実在の地名であることが早くも分かりました。何とスムーズにことが運ぶんだ。ということで、そのまま西に向かいます。この辺りから見る美女山も秀麗です。美人の眉を想像させる形だから美女山というそうです。なんぢゃいなぁ、きっとものすごい美女が7万人ぐらい住んでいるからそう言うのだと喜んでいたのに。ヌ、それでもこの地にほど近い京丹波町では絶世の美女が生まれてるぞー。誰かは言わないけど(爆)。美女山山麓の上野には城跡も残るそうです。

  

  
  宮の前橋

 国道9号線を西に渡ったところには蒲生[この]八幡宮。灯籠には文化年間の銘があります。

  

  

 この八幡さんの近くで、今度はお爺さんに呼び止められました。地図を持ってウロウロしているので、迷っていると思われたのでしょう。

 何を調べてるんや?

 この辺りで安倍貞任の話は聞きませんか?

 さあ、聞いたこと無いなあ。

 お爺さんは、イツシカ神社に行くのだったら役場の前を通って行けと教えてくれました。このお爺さんのいた道、国道9号線から10メートルほど西で9号線に並行している道、これこそ山陰道ではと思われますが、次回の宿題にします。

  

 京丹波町役場、入り口を入ったところに「丹波町誌」が置いてあったので、しばらく読ませてもらいました。貞任の「さ」の字もありませんが、イツシカ神社は「何鹿神社」と書くことや能満神社の虚空蔵菩薩のことなどが記されていました。翩翻とひるがえる日の丸、美しいですね。戦争というものは負けると悲しいもので、何もかも悪いのは日本という具合にされてしまいましたが、近年漸くに様々な研究が進み、日本軍=悪というようなイメージは払拭されつつあります。寧ろ日の丸の下にこそ正義があった。オット閑話休題。

 山を越えたところには地図にはないお稲荷さんの祠、既に南に何鹿神社は見えていますが、深志野を調べねばなりませんので、曽根という集落に入ります。

  

 言われたとおり家はたくさんありますが、人が出ていません。かといって家の中にまで声をかけるのもなあと思っていたら。お爺さんが畑に出ておられました。その横でお婆さんが草取りをされています。

 すみません。この辺りで安倍貞任に関係する神社とかはありませんか?

 さあ、知らんなあ。お爺さんどうや?

 誰やて?えっ、サダトウ。知らんなあ。

 深志野というところは、どういけばいいのですか?

 それは、ここから橋の方に戻って。神社の方に向かってから道路を渡って行けばええ。車か?

 何や、古墳を見に来たんか?

 いや、車はマーケスに置いてきました。古墳?古墳があるんですか?

 田んぼの中に塚というか、そんなんがある。

 塚?何てナイスなんだ。深志野の塚、間違いないやんけ。と喜んでいたら。何や何やと言う感じで、またお婆さんが2人、家から出てこられました。けれどもやはり、貞任については聞いたことがないということです。お爺さんが深志野はこの辺りと指で地図を指し示して下さいました。ここで今少し、詳細に聞くべきだったのですが、さらに誰かを呼びに行くようなことになってきたので慌てて退散しました。ここらあたりが未だ未だ小生の修行の足りないところで、今から考えたら集められるだけ集めて話を聞いたらよかったなあと思います。この時にもう少し絞って聞いていれば、最後のチョンボは無かったはずです。
 深志野に行く前に院内という在所の神社が見えていたので、そこに寄っていきます。名前を伺いましたが、「在所が違うしなあ、わたしらは「権現さん」とばかり言う。」とのことでした。

  

 神社の裏手には寺らしきお堂があり、お堂の横には舩井神社の腕守社[かいなもりしゃ]=貞任の腕が埋められているという-を思わせる宝篋印塔がありました。先ほどのお爺さんのところに引き返して寺の名を尋ねましたが分からないとのことでした。次回は院内の人に聞かなくてはなりません。

  

 何鹿神社の御祭神は大山祇神等三柱、式内社のようです。近年、不審火で本殿が全焼したとのこと。今は新しいお社が建っています。ここの絵馬堂に寝っ転がって春の風に吹かれていると本当に気持ちがよい。誰か、熱燗を持ってきてくれないかなあ等と妄想します。
 この神社の神輿が道に置かれている時に黒井城の赤井悪右衛門(直正・荻野直正とも)が通りかかり、「邪魔だ!」と神輿をぶちこわしたという話も伝わっています。明智光秀の丹波平定に徹底して反抗した痛快な武将ですが(丹波平定終了前に病死)、悪右衛門の名を背負うようなことはいっぱいしたのでしょう。この赤井氏、平安末に源為義、さらに源義朝の長男義平に仕えた須知(志内)景澄の末裔です。須知氏もまた、光秀の丹波平定戦で滅亡します。

  

 さて、いよいよ深志野です。お爺さんが「この辺り」と大ざっぱに指でグルグルと示してくれたところにやって来ました。

  

 ところが、やってくると「塚」というのは「田んぼの中の塚」としてこちらが想像していたようなものではない。小振りながらマヤの階段ピラミッドみたいなのが見えています。

  

  

 遠くから見ている時には巨大な前方後円墳かなという感じでしたが、山の尾根筋に沿って造られた五世紀末から六世紀初めに駆けての群集墳で、この階段は単に尾根筋に至るためのものでありました。

  

  

 12基の円墳が尾根上に点々と造られ、5号墳からは巫女型の埴輪が出土したそうです。そのレプリカが入り口に置かれていました。

        

  

 万葉集の国褒めの歌の常套句に「見れどあかぬ」とか「見れどあかぬかも」という言葉がありますが、7万人の美女の夢が破れても、美女山の姿はまさに「見れどあかぬかも」です。それを使ってこの山を称えるならば、

 みずのえのたにわのくにのくわしめを名に負う山は見れどあかぬかも

 見れどあかぬくわしめ山をふり仰ぎしうちの里に春日照るかも

というところでしょうか。さらに誉めあげるためには長歌も作らねばなりませんが、ちょっとその能力はない。人麻呂あたりがこの山を見ていたらどのような歌を作っただろうかと想像が広がります。

  

  

 さて、この塩谷古墳群は溜池工事の際に発見され、平成元年に発掘調査が行われました。ということで、昔からこの辺りには「何かが埋まっている」という伝承があった。その何かのところに貞任伝説が入り込み、やがては貞任の体の一部が埋まっていると変わっていったのでは。と分かったつもりでいたら・・・。

 帰宅後、埋文センターの報告書を読んでいたら、深志野古墳群というのが塩谷古墳群とは別にあるではないか。しかも、平安時代の土坑も見つかっている。つまり、深志野は、こちらが考えていたよりももっと狭い範囲を指していたのです。従って、小生は深志野の近くまでは行ったが足を踏み入れていないのでした。最奥部で何やら工事もしていたので、入り口にまでしか行っていない。お爺さんに「この辺り」ではなくて、「ここ!」と教えてもらわねばいけなかったのです。しかも、道の駅に戻る途中では神社を1社見落としている。

  

 ということで、ロールプレイングゲームのようで面白い探索でしたが、「画竜点睛を欠く」までにも至らぬ結果となりました。いずれ再び、深志野に足を進めねばなりません。まあ、「須らく知るべし」という天のサイン。マーケスへ戻る途中の圃場整備碑の横には曽根隕石のレプリカ。何やいろいろとあるやおまへんか(詠嘆)。もうどこを歩いてもオモロイことだらけ。

  

 ところで圃場整備の碑、今は「くだらん」と無視をしていますが、500年後、再び人間に生まれていたならば、何か「圃場整備碑」めぐりをしているような気がします。「ここら辺りのものは随分と無くなっていて残念です。」等と言っているような。碑には多く自治体の首長名が刻まれていますから、人間研究にもなったりして。等と隕石のレプリカを眺めながら考えました。この須知に落ちた隕石、日本現存第3位の大きさだそうです。市街地で無くてよかったですね。帰宅後、院内の西の豊田の鎮守さんが九手神社ということを知りました。何か意味深で、これもまた宿題。
 丹波マーケスに復帰後、たこ焼きを食いながら危うくビールを飲むところでした。ここの飲食街、小生の好むものだらけでした。観光協会もありましたが、詳しい徘徊地図などはありませんでした。売り物は「琴滝」だけと自分たちで決めてしまっているようです。勿体ないぞー。
 ところで、先だってmfujino様にお会いした時に「名田庄(福井県おおい町)にも貞任伝説があるんやでー。」とニタリ。桑田神社で大団円と思っていたら、何か果てないことに…、と喜んでいます(爆)。


6 コメント

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久々の徘徊録。 (道草)
2012-05-04 09:06:59
日付がありませんのでいつの徘徊か分かりませんが、いずれにしましてもシャバへご無事で復帰され何よりでした。いつにも増して綿密な徘徊録には、ただ敬服するのみです。

それにしましても、貞任伝説は不可思議と申しますか曖昧模糊と闇の中なのですねぇ。
ただ、地元の古老の誰一人としてその名前も聞いたことがないとなれば、この辺りの貞任伝説は果たしてどうなのでしょうか。
gunkanatagoさんの情熱により、やがて解明されるのかも、との期待もありまが・・・。何はともあれ、ご老人たちとのやりとりが愉快でした。
それだけでも、楽しい記録です。麦酒は残年でしたけど。
遠き日を古老に尋ねて春暮れる(道草)
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ちゃっかり探訪してまんな (mfujino)
2012-05-04 22:53:20
おやまあ、どこでサボってるのかなあと思ったら、ちゃっかり「深志野」探しですか。Google地図は小字検索にはいいのですが、ここには「深シノ」って出てますね。本文中に指摘されているところです。当たり前ですが。
まあ途中の探索録は楽しく読ませて頂きました。祀られた神様での推理などはさすが歴女ならぬ歴親爺でございます。地元の爺ちゃん婆ちゃんとのやりとりも面白いですね。
我が予測ですが、何にも出て来ないのではなかろうかと思っています、とけしかけておきましょう(^_・)
名田庄に触れられてますが、広島にも伝説はありますし、宗任の愛媛まで出掛けて下さい。
昨日頭巾山へのリベンジを果たしました\(^_^)/横尾峠まではあの見事に踏み込まれた古道に感激、さらに横尾峠から頭巾山への稜線歩きにも感激、頂上で感激、しかし野鹿の滝への下りのシャクナゲには感激はありませんでした(*_*)
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御無沙汰です (gunkanatago)
2012-05-05 18:31:24
 道草様、コメントをありがとうございます。ついつい、御無沙汰してしまいました。最近になって思うのですが、貞任伝説、安倍つながりで陰陽道の安倍氏がかなり噛んでいるのではと。名田庄に安倍氏が疎開していたこともありますが、吾妻鏡を読んでいて鎌倉に於ける陰陽道の隆盛から考えて、京都近辺においてはもはや隆盛などという言葉では表せぬぐらい広く行き渡っていたのではと思っています。
 何にしても、予想していたよりも遙かに面白いところでした。美女山にも近いうちに登りたいと思っています。問題は、アクセスが悪いので車で行くと酒が…ということですね。
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頭巾山 (gunkanatago)
2012-05-05 18:42:54
 mfujino様、コメントをありがとうございます。5月5日にも登られるとなると、連日の登山になりますね。お疲れ様です。
 横尾峠から山頂までの道、何となく想像ができます。今「ウー」と吠えています。登山口を教えていただきましたから、ヒルのシーズンを避けて、登りに行きます。
 貞任伝説は文献的には行き詰まりですね。民俗学的なアプローチが必要ですが、素人ですし、何にしても多くの古老と会話せねばという感を強くしています。
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Unknown (mfujino)
2012-05-05 21:02:32
頭巾山など若丹国境尾根をはじめ、美山にはヒルはおりませぬ。
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それはすばらしい。 (gunkanatago)
2012-05-07 13:30:13
 mufujino様、ヒルがいないとは素晴らしいですね。6月~9月の山登りは美山で決まり!です。ウー、酒が飲めない。
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