
本日、8月15日は俗に言う終戦記念日、正式にはポツダム宣言の受諾を国民に発表した日であります。と、同時に宝塚の花屋敷にある釣鐘山では、その頂上で入滅した行者を偲び、供養する守護塔祭が行われる日であります。
行者は自ら火の中に入り入滅するときに、今後にこの地で火を炊いて我を供養するならば、この地域には干害はないと言葉を残したとのことで、長い間、麓の小戸集落によって行事が維持されてきましたが、小戸には今は火を炊く者もなく、釣鐘山慈光会が、これを継いでいます。
さて、行事は16時からということで、先ずは池田、たこ焼きを食いに行きます。商店街は閑散として、歩く人も疎ら。

いつもは、店の前でたこ焼きを焼いているお姉ちゃんもいないので、「ははん、これは中で休憩中かな。」などと呑気なことを考えて、戸を開けると、お客さんがウジャウジャウジャ、「ひぇー。」とすぐに戸を閉めました。見れば、旧電話局の前のベンチでも10人ぐらいが待っています。こういうとき、なじみ顔をして、無理を言うのはやらしいので、即退散です。
しばらく託明寺やはむろや薬局の蔵などを冷やかして戻りましたが、依然として満杯、本日は潔く諦めました。「我にうどんの吾妻あり」という目論見でしたが、こちらも超満員、結局そのまま猪名川を渡り、川西市に入ってしまいました。

託明寺・盆の行事の後。

はむろや薬局の蔵
阪急川西店の外側に、うどん屋ができています。吾妻と同じ名の「ささめうどん」に釣られて、ここでうどんとビール、これから山に参るのにえーかいな。

いつものように、川西能勢口から花屋敷への坂を登っていくと、早くも釣鐘山が見えてきます。途中にイタリア料理店、いつも通るのに全く知りませんでした。残念ながら、本日は貸し切り、今度入ってみよう。


豆坂口の赤いポストを右に行くとすぐに、花屋敷荘園開発者細川茂雄翁の記念碑、その前に慈光会由来の碑、いつもはあるということを記すのみですが、本日の行事に関係があるので写し取ります。

慈光會由来
當山ハ往古ヨリ霊地トシテ崇メラレ毎年八月十五日小戸村民釣鐘火を焚キテ山上入定ノ行者を祀り來レリ 慈光會之ヲ傳承シテ此ノ地を法域トシ尊皇信佛ノ大法ヲ闡揚セントス 登山ノ人々共ニ皇國ノ彌榮ヲ祈念セラレヨ
昭和十五年八月吉日誌
慈光會
うー、しびれる文章ではありませんか。敢えて「皇國ノ彌榮」について記してあるのは、大本教との関連が全く無いことを示す必要もあったからでしょう。小生などは素直に受け止めて皇國ノ彌榮を祈念します。
いつものように感謝坂を登っていくと、本日は上に電球がついています。これはかつて松明で山を釣鐘型に浮かび上がらせた名残でしょう。

小生の深く尊崇するところの馬頭観音像、「慈鐘」という書物によると軍馬・軍用犬・伝書鳩の供養のため、昭和14年の8月24日に開眼供養を行ったものです。寄贈者は「松岡氏」とのみ記されています。

この感謝坂を登っている途中で、ビールが祟ったのでしょう。何ヶ所も蚊に刺されました。これは難儀な、ここで供養を見学するとなるとオットロしいことになるぞとビビっていましたら、火の準備をされている方が供養塔の前におられ、虫除けを貸して下さいました。これもまた佛恩です。


この火の番をされている方は3名、昔からこの行事の手伝いをされているということですが、入定された行者さんの名などは、「信者さんに聞いてみたら。」と言っておられましたから、慈光会の方では無いようです。


守護塔
物見遊山は小生一人、4人で待っていると、麓から鐘の音が「チーン、チーン」としてきます。慈光会の方々が鐘をたたきながら登ってこられました。総勢で25名前後です。一人の方が守護塔の前で長い祈念をされ、それから般若心経などの読誦が始まります。


虫除けの恩人
さらに鐘をたたきながら、守護塔の周りを回ります。何でもないことなのですが、「チーン、チーン」という音が山に心に染み込んでいくようです。申し訳ないことながら、信者の方に行者さんの名をうかがいましたが、やはり分からないとのことです。


そのあと、やや下ったところにある弁天さんの碑の前でも同じことをして、さらに空堂に入って行かれます。いつも閉まっている空堂が今日は開いていましたが、小生は入り口の所で自重しました。この辺りが、小生のアカンところでありますが、またいずれ、中に入れてもらうこともあるでしょう。

空堂
空堂から経文が聞こえてきます。これを背に山を下ります。麓の講堂の前には百日紅がきれいな花をつけていました。

何と言うこともない行事でしたが、小生の如き俗物も多少は心が洗われたようで、すがすがしく山を下りました。
が、電車に乗って梅田に出るともういけない。心を支配するのは、どこで飲むかということばかり。
行者は自ら火の中に入り入滅するときに、今後にこの地で火を炊いて我を供養するならば、この地域には干害はないと言葉を残したとのことで、長い間、麓の小戸集落によって行事が維持されてきましたが、小戸には今は火を炊く者もなく、釣鐘山慈光会が、これを継いでいます。
さて、行事は16時からということで、先ずは池田、たこ焼きを食いに行きます。商店街は閑散として、歩く人も疎ら。

いつもは、店の前でたこ焼きを焼いているお姉ちゃんもいないので、「ははん、これは中で休憩中かな。」などと呑気なことを考えて、戸を開けると、お客さんがウジャウジャウジャ、「ひぇー。」とすぐに戸を閉めました。見れば、旧電話局の前のベンチでも10人ぐらいが待っています。こういうとき、なじみ顔をして、無理を言うのはやらしいので、即退散です。
しばらく託明寺やはむろや薬局の蔵などを冷やかして戻りましたが、依然として満杯、本日は潔く諦めました。「我にうどんの吾妻あり」という目論見でしたが、こちらも超満員、結局そのまま猪名川を渡り、川西市に入ってしまいました。

託明寺・盆の行事の後。

はむろや薬局の蔵
阪急川西店の外側に、うどん屋ができています。吾妻と同じ名の「ささめうどん」に釣られて、ここでうどんとビール、これから山に参るのにえーかいな。

いつものように、川西能勢口から花屋敷への坂を登っていくと、早くも釣鐘山が見えてきます。途中にイタリア料理店、いつも通るのに全く知りませんでした。残念ながら、本日は貸し切り、今度入ってみよう。


豆坂口の赤いポストを右に行くとすぐに、花屋敷荘園開発者細川茂雄翁の記念碑、その前に慈光会由来の碑、いつもはあるということを記すのみですが、本日の行事に関係があるので写し取ります。

慈光會由来
當山ハ往古ヨリ霊地トシテ崇メラレ毎年八月十五日小戸村民釣鐘火を焚キテ山上入定ノ行者を祀り來レリ 慈光會之ヲ傳承シテ此ノ地を法域トシ尊皇信佛ノ大法ヲ闡揚セントス 登山ノ人々共ニ皇國ノ彌榮ヲ祈念セラレヨ
昭和十五年八月吉日誌
慈光會
うー、しびれる文章ではありませんか。敢えて「皇國ノ彌榮」について記してあるのは、大本教との関連が全く無いことを示す必要もあったからでしょう。小生などは素直に受け止めて皇國ノ彌榮を祈念します。
いつものように感謝坂を登っていくと、本日は上に電球がついています。これはかつて松明で山を釣鐘型に浮かび上がらせた名残でしょう。

小生の深く尊崇するところの馬頭観音像、「慈鐘」という書物によると軍馬・軍用犬・伝書鳩の供養のため、昭和14年の8月24日に開眼供養を行ったものです。寄贈者は「松岡氏」とのみ記されています。

この感謝坂を登っている途中で、ビールが祟ったのでしょう。何ヶ所も蚊に刺されました。これは難儀な、ここで供養を見学するとなるとオットロしいことになるぞとビビっていましたら、火の準備をされている方が供養塔の前におられ、虫除けを貸して下さいました。これもまた佛恩です。


この火の番をされている方は3名、昔からこの行事の手伝いをされているということですが、入定された行者さんの名などは、「信者さんに聞いてみたら。」と言っておられましたから、慈光会の方では無いようです。


守護塔
物見遊山は小生一人、4人で待っていると、麓から鐘の音が「チーン、チーン」としてきます。慈光会の方々が鐘をたたきながら登ってこられました。総勢で25名前後です。一人の方が守護塔の前で長い祈念をされ、それから般若心経などの読誦が始まります。


虫除けの恩人
さらに鐘をたたきながら、守護塔の周りを回ります。何でもないことなのですが、「チーン、チーン」という音が山に心に染み込んでいくようです。申し訳ないことながら、信者の方に行者さんの名をうかがいましたが、やはり分からないとのことです。


そのあと、やや下ったところにある弁天さんの碑の前でも同じことをして、さらに空堂に入って行かれます。いつも閉まっている空堂が今日は開いていましたが、小生は入り口の所で自重しました。この辺りが、小生のアカンところでありますが、またいずれ、中に入れてもらうこともあるでしょう。

空堂
空堂から経文が聞こえてきます。これを背に山を下ります。麓の講堂の前には百日紅がきれいな花をつけていました。

何と言うこともない行事でしたが、小生の如き俗物も多少は心が洗われたようで、すがすがしく山を下りました。
が、電車に乗って梅田に出るともういけない。心を支配するのは、どこで飲むかということばかり。
今は市内の東南部に位置する場所で、節電でクーラーを止めているとまるで地獄に居る(行ったことはありませんが)みたいな暑さでした。
gunkanatagoさんは健全な歴史徘徊で結構でした。池田の町並みは閑散としていても、知る人ぞ知る所はやはり満員ですか。律儀に矛先を替えられた謙虚さはさすがではないですか。加えて、蚊にまでビールのサービスとは、動物愛護精神に溢れたご厚意・・・。
慈光会のことはよく知りませんが、細やかながら活動を続けているのですか。皇国はともかく、日本国の弥栄は望むところです。それにしても、感謝坂の電球はお粗末過ぎるのではないですか。余りにも安易過ぎる感が拭えませぬ。信者の人達は親切そうですが・・・。それにしても、少人数なので空堂へも入られたら宜しかったのに。いつもの謙虚さが滲み出ましたネ。
釣鐘山で心洗われ、梅田で体を洗い、終戦の日の意義深い一日でした。
釣鐘山由来の碑にも書いてありましたように、この行事は遥か以前から8月15日に行われてきたようです。まさか、終戦記念日となるとは当時の人は誰も思わなかったでしょうね。
昔は麓から見れば山が釣鐘型に照らし出されたはずですが、今は電球だけでも手一杯というところでしょう。たこ焼きは、明日リベンジします(爆)。
梅田での酒についての方向がないところもきっと行者さんの為せる技でございましょう。良い8月15日をお過ごしでしたね。私や、近くの小学校から聞こえてくる盆踊りの音頭を聞きながらBQQの後始末に汗を流しておりましたが、これはこれで立派なことだと自分に言い聞かせています(^_*)普通なら少々ふてくされるのですが、「音頭を聞きながら仕事をするってこういう雰囲気で仕事がしたかったんだ、」と曰う輩が手助けしてくれて心癒されました。
盆踊りを聞きながらの仕事、まさしく「夏の一コマ」ですね。こういったものを「うるさい」と感じる人は不幸だと思います。
バーベキュー、一度行きたい行きたいと思いながら、そのままになっています。ノンアルビールを冷やして持っていきますね。
大文字集会お世話さまでした。今年は「大」も元気でしたし、(去年はいろいろあったから)「妙、法」もキレイに見えて嬉しかったです。お話も弾んで・・・時計が早回りしているのかと思うほどに・・・
池田のアーケード街1回しか通ってないのにとても懐かしいです。お盆には清々しく釣鐘山の祭事にいかれたのですね。世間ではO型人間に虫が寄ってくるとききますが、なーに人間も虫も好むところはお酒なりですかね。
私もお盆の3ヶ日は仏様の3度のご飯つくり、夜はご詠歌と、毎年ちょっとだけ頑張ります。こうすることでとても気分がハレますから。
まだまだ残暑きびしいですがお元気で徘徊して下さい。愉しみにしています。
お盆の行事をきっちりとこなしておられるご様子、こちらは子供のころは盆提灯などもつられて、寒天でつくったお菓子などもあり、ああ盆やなあという感じだったのですが、年々季節感が無くなっていけません。
池田の商店街は閑散としているのですが、たこ焼きや吾妻などは帰省者で逆に混んでいるようです。またお時間をいただけたら御案内しますね。