
以前、師匠に京街道を案内してもらった時に、守口宿にある小さな道標を見ました。その時からずっと気になっていたので、本日はこの道標の示すままに守口から野崎、さらに奈良を目指しました。
トップの写真は、京街道です。この辺りでは豊臣秀吉が築いた文禄堤の跡をよく残しています。この近辺には「うだつ」の上がった立派な町家も何軒か残っています。

お目当ての道標は、京阪電車の守口市駅からすぐのところにあり、この道標から石段が下っています。


ここだけを見ていると、もう何も考えなくても道が勝手に野崎まで導いてくれると思われますが、ところがドッコイ、そうはいかない。この石段を下って30メートルも進むともう何が何か分からなくなりました。「お、向こうに寺がある!」と進むと守口御坊の難宗寺でした。維新時に明治大帝の御座所にもなった寺です。

このまま寺を抜けて向こう側に出ると京街道に戻ってしまうので、門の前で右に曲がりましたが、しばらくは東西南北も分かりません。やっぱり地図というものを持ってでなくてはなりません。ウロウロするうちに見つけたのが唯称寺、本堂がそのまま道に面しているという珍しい寺で、「道場」としての寺の形式を良く残しているそうです。道から直接阿弥陀さんを拝むことが出来る。蓮如さんの吉崎道場なども最初はこういうささやかなものであったのかも知れません。

唯称寺
結局、見なくてはならないものに行き着くやんけ。やっぱり正義は勝つんやなあ等と驕っていると後が悲惨。この後「やるき地蔵」なるものを拝見することはできたのですが、もうどこにいるのかすら判らなくなりました。
西郷の商店街というのがあるのですが、店は全く開いてないし、守口市駅辺りからはしっかりと見えていた生駒の山並みも見えないし、うーと思っていたら西三荘から鶴見緑地までの遊歩道にぶつかりました。

ひとまず、鶴見緑地に出て、それから東を目指そうと思い、この遊歩道を行きます。途中何回か信号に引っ掛かりますが、散歩道としては最適です。道の左右にも目を楽しませたり、頭から馬鹿に出来たりする前衛彫刻や遊具が置かれています。小生などは石を仰々しく加工してあるのがキライです。自然石をそのまま置く方が良いと思います。そういう自然石を4つや8つに切ってみたりする意味が解りません。

鶴見緑地における花の万博からはもう22年にもなるのですね。万博後には各パビリオンの跡がそのまま残されています。後ほど知ることになるのですが、この花博の時に神社なども動かされていますから、古い道や町並なども随分と潰されたのではないでしょうか。


フランス館跡

ローマの松
花博の時に現在の地に移った古宮神社、八幡さんと住吉さんと天神さんが合体しています。流石に本日は参拝の方々で賑わっていて、甘酒のふるまいなどもありました。

古宮神社
結局辿り着いたのは地下鉄の門真南、今地図で見ると野崎まで後少しのところには来ていたようです。野生のカンは怖ろしいなあ。けれども「京橋」というのが頭に浮かんだので、ここで地下鉄に乗ってしまいました。
さてー、元旦から飲める店は…(爆)、何と満ゾク屋が開いていました。エライ!エライ!

ということで、1年の計は元旦にありということからすると、今年もいい加減で行き当たりばったりの人生を送るんだろうなあと予感させる徘徊ではありました。
トップの写真は、京街道です。この辺りでは豊臣秀吉が築いた文禄堤の跡をよく残しています。この近辺には「うだつ」の上がった立派な町家も何軒か残っています。

お目当ての道標は、京阪電車の守口市駅からすぐのところにあり、この道標から石段が下っています。


ここだけを見ていると、もう何も考えなくても道が勝手に野崎まで導いてくれると思われますが、ところがドッコイ、そうはいかない。この石段を下って30メートルも進むともう何が何か分からなくなりました。「お、向こうに寺がある!」と進むと守口御坊の難宗寺でした。維新時に明治大帝の御座所にもなった寺です。

このまま寺を抜けて向こう側に出ると京街道に戻ってしまうので、門の前で右に曲がりましたが、しばらくは東西南北も分かりません。やっぱり地図というものを持ってでなくてはなりません。ウロウロするうちに見つけたのが唯称寺、本堂がそのまま道に面しているという珍しい寺で、「道場」としての寺の形式を良く残しているそうです。道から直接阿弥陀さんを拝むことが出来る。蓮如さんの吉崎道場なども最初はこういうささやかなものであったのかも知れません。

唯称寺
結局、見なくてはならないものに行き着くやんけ。やっぱり正義は勝つんやなあ等と驕っていると後が悲惨。この後「やるき地蔵」なるものを拝見することはできたのですが、もうどこにいるのかすら判らなくなりました。
西郷の商店街というのがあるのですが、店は全く開いてないし、守口市駅辺りからはしっかりと見えていた生駒の山並みも見えないし、うーと思っていたら西三荘から鶴見緑地までの遊歩道にぶつかりました。

ひとまず、鶴見緑地に出て、それから東を目指そうと思い、この遊歩道を行きます。途中何回か信号に引っ掛かりますが、散歩道としては最適です。道の左右にも目を楽しませたり、頭から馬鹿に出来たりする前衛彫刻や遊具が置かれています。小生などは石を仰々しく加工してあるのがキライです。自然石をそのまま置く方が良いと思います。そういう自然石を4つや8つに切ってみたりする意味が解りません。

鶴見緑地における花の万博からはもう22年にもなるのですね。万博後には各パビリオンの跡がそのまま残されています。後ほど知ることになるのですが、この花博の時に神社なども動かされていますから、古い道や町並なども随分と潰されたのではないでしょうか。


フランス館跡

ローマの松
花博の時に現在の地に移った古宮神社、八幡さんと住吉さんと天神さんが合体しています。流石に本日は参拝の方々で賑わっていて、甘酒のふるまいなどもありました。

古宮神社
結局辿り着いたのは地下鉄の門真南、今地図で見ると野崎まで後少しのところには来ていたようです。野生のカンは怖ろしいなあ。けれども「京橋」というのが頭に浮かんだので、ここで地下鉄に乗ってしまいました。
さてー、元旦から飲める店は…(爆)、何と満ゾク屋が開いていました。エライ!エライ!

ということで、1年の計は元旦にありということからすると、今年もいい加減で行き当たりばったりの人生を送るんだろうなあと予感させる徘徊ではありました。
大橋の向こうへ行けば、あの辺りも梲の上がった民家が多いと思います。私は一向に上がらず切歯扼腕ではありますが・・・。守口にも、まだこんな床しい街並みが残っているのか、と認識を新たにしました。
寺の「道場」とは、仏道以外に何か修行をしたのでしょうか。道路に面するのが珍しいとなれば、やはり特異な分野の修行とか。雲水が薙刀を振り回している図は見たことがありますが。
野崎と申しますと、お染久松の登場する野崎参りの場所なのですか。東海林太郎の唄は有名です(した)が、エノケンと笠置シズ子とか、ひばりと里見浩太朗などの映画もありました。大昔の話です。
花博は仕事が忙しくて、結局は行けなかったことを思い出しました。万博は行く暇があったのか、会社もパビリオンを出していたので行きましたけど。もう二昔も三昔も前の話です。元旦早々の徘徊が満足裡に終わって何よりでした。今年も未知の世界へ連れて行って下さい。
「元旦や満ゾク屋にて満足し」道草。
野崎は、のざき参りの野崎です。屋形船で行く風情はとっくに失われていますが、5月でしたか「のざき参り」のシーズンはムチャクチャにぎわいます。何故か「江口の君」にも関係があってお堂が建っていたように思います。それからやはりお染久松ですね。四条畷神社から飯盛山に登り野崎の慈眼寺に下りてくる遠足を企画してもいいかも知れませんね。
真宗寺院の道場というのは「教室」みたいな意味だと思います。唯称寺のような形式だと、農民が野良帰りに気軽に縁側に腰かけて坊さんの話を聞くことができる、時には穫れた野菜などを持ってくることもあったでしょう。寺と農民との緻密な関係を作り出すことが浄土真宗本願寺派の爆発的な教勢拡大のもとになったと思われます。
「EXPO’90」の花博は、少しでも涼しくなってからと、最終月の9月末の券をとっていました。
「咲くやこの花館」に行くのをもっとも楽しみにいていました。炎暑で会場の花が枯れたとかのニュースが度々流れて、気にはなっていました。そんなある日突然我が家に最悪のとこが起こったのです。主が事故で倒れました。花博も行かずに。
最近になって、鶴見緑地に行ってみたい気もあるのですが、まだ実行に至っていないのですよ。今年は行こうかな。
鶴見緑地、花紀行のささ舟様ならば、きっと色々な発見もされると思います。元旦は何も花が咲いていませんでしたが、春になれば様々な花が咲きます。ご主人も連れて行けーとおっしゃっているのでは。今は京橋から地下鉄の鶴見緑地線で便利に行けるようになりました。けれども日にちが合えば、車で送迎もいたしますよー。
元旦のアテ、おせちのような気の利いたものは満ゾク屋には期待できません(笑)。いつもの天ぷらとおでんです。横のおっさんは命がけでカニを食べていましたが、小生などは普通の酒飲みのアテ(刺身など)を取らない、まあ店にしたら嬉しくない客です。
街道歩きに興味が行きだしてからは熊野古道を歩いたりしましたが、これも実質的には京街道を利用することなく京から船で下りましたので、天満が始点になりますし。しかし古道を歩いていると、古の人が通った街道筋にはいろいろ語りかけてくれるものがいっぱいありますね。
そういう点では、各地に残る○○街道という道こそが、我々の先祖が日常に歩いていた道ということに最近気付きました。この野崎道も守口宿からのざき参りに行く人が多く歩いたと思われますが、今は何が何か分からなくなっています。
当面のテーマは高浜街道(笑)、歩き通すということは考えずに、ボチボチつないでいきたいと考えています。
放出の飲み屋、あちこちでmfujino様の知り合いの方が店を出しておられる(おられた)ようで、大阪時代は楽しくもあり大変でもあったでしょうね。
最初は1泊2日でテストウォークを2回して、最後は2泊3日で全行程を一気に歩くという考えです。
如何ですか、参加されませんか?
一部参加が無理でも補給所その他後方支援を是非してみたいと思います。神楽坂その他、山道を越えるのですね。
ワゴンで移動・サポートしますのでワゴンに乗れる人数が定員です。6-7人。全路歩きが原則ですが、余席があれば一部参加も受けます。
歩くのは出来るだけ昔の道を歩きます。具体的には、福谷坂・棚野坂・神楽坂・佐々江峠・縄野坂・茶呑峠・縁坂峠・京見峠が旧道そのものを歩きます。
これから具体的プランを立ててメールで案内します。
また、これとは別に明日ヶ谷、佐々江など残る寺社や道標などをじっくりと見ていきたいとも思っています。先日、高谷に入ってきました。アップは未だ先になると思いますが、なかなかいいところでした。