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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

14,姥とちり ⑥

2025年04月24日 08時13分23秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・「田舎へ帰られへん、て、
身内の人は誰もいやはらへんのか、
あんた一人ぼっちかいな」

私のあくなき好奇心は、
むらむらと燃え上がる

「お母ちゃんがいてますけど、
再婚してますので、
その家へは帰られません
義理の親父にやっと高校、
出してもらいましてん」

「ふーん」

「お母ちゃんも間に立って、
苦労してますよって、
僕、可哀そうで帰られません
どないぞしてこっちで身立てよ、
思てるんですけど・・・
これ売るのむつかしいです」

「そら、そやわ
生馬の目ぬく大阪で、
こんなもん三十万円やて」

「けど、この前、
ミナミの大けな漢方薬のお店の、
ご隠居さんが三十八万円で、
買うてくれはりました
その口ぞえで四つほど売って、
会社にほめられましたけど、
それからこっち、
さっぱりです
僕、はよ身立てて、
苦労しているお母ちゃん、
引き取ってやりたいんですけど・・・」

またびしょびしょと、
涙が盛り上がる

なんでこう、
このぶきっちょな大きな図体の、
兄ちゃんが哀れなのであろうと、
考えたら、
この男の「・・・けど」に私は、
心を動かされたらしい

この兄ちゃん、
言葉に自信がなく、
どこかオドオドして、
いつも語尾に「けど」がつくのが、
イライラするような、
哀れなような、
それに私の見るところ、
ウソをいうでもなく、
(しゃあないなあ)という気で、

「預かるだけやったらよろし」

「ほんまでっか」

青年は目をぬぐい、
顔を輝かせる

「そないしてもろたら助かります
お金、要りません
二、三日して引き取りに来ます
助かります
クビにならんですみます」

「買うのやないよ
きっと引き取って下さいよ」

「ハイ、
二、三日のうちにきっと来ます
ほな、すみませんが、
この預かり証にハンコだけ下さい」

「申し込み書やないやろね」

「違います
引き取りに来たとき、
これと引き換えに頂きます」

青年は打ってかわって晴れ晴れし、
帰っていった

何となく押し付けられた、
イヌ・サル・カエルはつくねんとしている

床の間へ置くのも、
違い棚へ置くのも、
居間に置くのも場違いで、
膝へ置いてみると重いわ冷えるわ、
とうとう座敷の隅に座布団を敷いて、
その上に坐らせた

そうして何ということなく、
イヌ・サル・カエルの頭を撫でる、
自分を発見してふき出してしまった

これでは結構、
セールスマンの暗示に、
かかってしまったことになるではないか

夜になって次男がやって来た

「戸板商事に類似した商法が、
あいかわらずはやっているそうやさかい、
気ぃつけや」

久しぶりに見る次男は、
前髪がいよいよ後退し、
皺が深くなり、
腹が突き出して、
夫にというより舅、
つまりおじいちゃんに似てきた

キッチンからビールを取ってきて、
グラスにつぎつつ、

「ああいうのに引っかかるのは、
淋しがりが多いねん
セールスマンがごじゃごじゃ、
話しかけてきたら嬉しがって、
相手になるから引っかかるねん」

「私ゃ忙しいから、
そんなん相手にしてられまへん」

「それからうまいこと、
おだてよるらしい
こっちの自慢していることを、
よう調べて、
そらうまいことほめるらしい
お母ちゃんはうぬぼれ強いよって、
危ないぜ」

「あほなこと」

と私はいったが、
羽根ぶとんを思い出してしまう

「それから、
泣き落としいうのもあるらしい
そら、いろいろ手ぇ使うて食い込むさかい、
よう気ぃつけなあかんで」

私はそれとなく、
イヌ・サル・カエルの置物に、
座布団を一枚乗せてかくしてしまう

「何し、
相手にならなんだらええねん
ハンコなんかつかなんだらええねん
どうしよう、思うときは、
ワシのとこへ電話してんか
兄貴も忙しいやろし、
ワシ見たるよって」

「そんなこと、
わかってますがな
しょうむないセールスに、
引っかかる私やない」

「そないいうてる人が、
財産を紙切れに代えてしまわれるねん
なあ・・・ほんまのこと、
ワシだけに教えてんか、
いま何ぼある?
通帳見せてんか」

この次男は欲ボケであるから、
私の資産状態に、
いちばん熱心である

こういうのを見ていると、
戸板商事の被害者の老人たちが、
わが子にも見せなかった通帳を、
セールスマンに見せた、
という気持ちはわかる気がする

「さあなあ、
私もひょっとして、
再婚するかもわかりませんよって、
お金も持ってんといかんしなあ」

次男はビールをあおったところ、
とたんにむせかえって、

「再婚やて、
そんな相手おんのか、
お母ちゃん、そらあら手の商法やで!」

と叫んだ

イヌ・サル・カエルのセールスマンは、
四、五日たっても引き取りに来ない

まさか泣き落としセールスとは思えないが、
あら手のセールスがはびこって、
いるそうだから心せねば

日曜はセールスも来ないはずなのに、

「失礼します」

と男が来た

「アンケートに答えて頂きとうおます」

押しの強そうな男である

「何で答えないといけないんですか」

「いや、
ウチは戸板商事みたいに、
怪しい商売ではおまへんのや
そのためにアンケート頂くんですさかい、
おばあちゃんお差支えなかったら、
うかがわせてください
敬老アンケートですわ」

この男、
私の嫌いな言葉をよくも並べたものである

おばあちゃん、なんて、
馴れ馴れしく呼んでほしくない

かつ、敬老という言葉も好かない

別に尊敬もして要らんが、
そもそも「敬老の日」、
なんていうのが老人に対する差別であろう

私は怒りのあまり、
ドアを開けてしまう






          


(次回へ)

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