goo blog サービス終了のお知らせ 

「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

11、姥湯ざめ ⑥

2025年04月04日 08時51分25秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・たつ源氏とはそのあと、
手紙のやりとりをするようになった

彼は少し耳が遠いようなので、
電話は好まないという

字は震えがちで、
それが癖なのか左へよろけ、
全体的に行がゆがむようであるが、
それでも男らしいしっかりした字で、
文章も簡潔でくどくない

言葉の選び方に教養がほの見えて、
私は思わぬ拾いものをした気になる
掘り出しものというか

オジンで私の気に入るような、
出来のよいのはめったにないからである

女は苦労する
男と社会の双方に苦労する

しかし男は、
社会の苦労しか知らないので、
その無修養が年を取るともろに出てくる

定年を過ぎて妻に逃げられる男などに、
よくそういう無修養のタイプがいる

男は女の苦労をしなければならぬ

女の苦労といったって、
商売女に入れあげることではない

自分の女房と、
苦労してつきあうことである

たいていの男は、
女房は自動的に自分に合わせてくれるもの、
という思い込みがあるから、
人格は進歩しないのだ

たつ源氏のつつましやかで、
ほどのよい手紙を読むと、
氏は結婚生活において、
女房の顔色をよくよく見、
女心についての研鑽を、
十分に積んだ男のようにみえるのであった

そして必ず終わりには、

「なつかしく、
なつかしく存じます
ぜひもう一度お目にかかり、
生まれた町の天満のこと、
あのことこのことなどを、
歌子さんにお話し申し上ぐべく、
愚老の人生に希望の光を、
再びさしこむのをおぼゆる、
今日このごろでございます」

とある
また、

「愚老の見果てぬ夢を、
はからずもわが孫がかなえて、
くれましたことは、
天の配剤と申しましょうか、
それにつけても、
いま一度お目にかかりたし」

などとあった

そういう手紙を読んで、
我にもなくうっとりしている私に、
西条サナエから電話がある

「奥さま
今日ですのよ
『熟年婦人講座』は
お供させて頂けるんでしょうね」

この前、
ビューティサロンでもらったパンフレットを、
サナエに送ってやったのであった

どういう講座であろうかと、
私も好奇心にかられていたので、
承知しておいたのであるが、
思いもかけぬたつ源氏との再会で、
すっかり忘れてしまっていた

市のホール、
二階の日当たりのいい一室に、
アルミパイプの椅子を並べて、
なるほど熟年婦人ばかり、
四、五十人集まっている

そして黒板を前にしゃべっているのは、
「比翼会」メンバーの、
波野ヒサではないか

あのとき確か、
七十三歳と紹介されていたが、
鍼灸マッサージ師で、
茶飲み友だちを希望していた

ヒサは髪は黒々とし、
黄ばんだ大きな歯を見せ、
笑っている

茶色いセーターに、
焦茶のスカートといういでたち、
手足にも力がありそうで、
声はきんきん声である

私とサナエは遅れて入ったので、
いちばん後ろの席に坐る

私はジャージーの黒いワンピース、
サナエはいつもの通り、
紬の着物にひっつめ髪である

サナエは筆記用具も用意してきていた

そしてやはり、
眉間にはたて皺が深く刻まれている

「よろしか
皆さん
笑てる場合やおませんの
もうお医者さんも頼りにならん、
看護婦さんも若いから知らん、
むつかしい本書かはる先生かて知らん、
という
こうなったら、
我々で研究せな、
あきませんの」

ヒサはどこのなまりか、
言葉に変わった抑揚があり、

「・・・の」

という語尾をつけるのが癖らしい

「老人いうたかて、
男と女であることに変わりおませんの
なんでボケるかというと、
これ、男や女やめてタダの老人に、
なるからですわ
いつまでも男や女でいるためには、
これからはせえくすの訓練に、
ようはげまな、いけませんの
私、これ持論で、
あちこちの老人講座で講義してますの」

私は「比翼会」で、
「汁気足らん美人」といわれたことがある

ヒサは声を張り上げ、

「人間はほかに楽しいことを持っていても、
やっぱり体も楽しまな、
あきませんの
体もよう使いこなさないと、
錆びついてしまいますの
せえくすほどええ運動はおませんの」

しかし私はたつ源氏との、
ほのかな心の交流だけでも、
充分、心も体もほのぼのしているのである

心の交流はよいクスリである

いやもう、
へんな講義を聞いてしまった

それも向き向きというのがある

ところがその夕方、
帰ってみると速達が来ている

たつ源氏である

山陰の温泉へ浸かりに行きませんか、
というものである

「老生も少々、
足元があやしくなりましたが、
鳥取くらいなら近くもあり、
駅から車で三十分ばかり、
若い者の助けを借りなくても、
行けそうです
以前、よく行ったことがあり、
気心も知れているところです
必ず歌子さんのお気に召すことでしょう
小さい宿ですが、
露天風呂もあり、
食事も吟味されております
そこで落ち合うことにいたしましょう
愉快であります
しかし、もしお気がすすまなければ、
お断り下さって結構です
お気が向かれればお出かけ下さい
その場合はお返事には及びません
老生もいそいそと鳥取へ向かいます」

そして日時が書いてある

私の思ったのは、
深い満足と嬉しさである






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 11,姥湯ざめ ⑤ | トップ | 11、姥湯ざめ ⑦   »
最新の画像もっと見る

「姥ざかり」田辺聖子作」カテゴリの最新記事