
・魚谷さんはふだんは、
化繊のワンピースをうまく、
着こなしているが、
何かあるとそれが彼女の一張羅らしい、
シルクデシンのワンピースを着る
こげ茶の地に、
白い花が飛んでる柄であるが、
すでに白のところが変色して、
黄ばんでしまっている
そうしてその服からは、
永遠に抜けぬであろうというような、
樟脳の匂いがしみついて匂う
「絹は色が変わるからねえ・・・」
と私がその服を見つつ、
何気なくつぶやくと、
おとなしい魚谷さんがキッとなっていった
「これは三十年前に、
主人がフランスのパリーから、
おみやげに買ってきてくれた、
服でございますわ!
あのころ、
日本はもののなかった時代で、
わたし、初めて見たときは、
天女の羽衣かと思いましたわ
肌ざわりといい、
風合いといい、
いまもちっとも変ってませんわ」
ま、そりゃそうだろうけど、
それに、
三十年前は天女の羽衣かもしれないけど、
羽衣も黄ばむのはどうしようもない
私としては、
美術骨董品というような、
そんな古着よりは、
化繊でも現代風な明るい感じの、
ワンピースを着ている魚谷さんが好き
しかしそれは、
人の好き好き
魚谷さんにしてみれば、
黄ばんだシルクデシンの服に、
亡夫の思い出があって、
ほかの人間にはうかがい知れぬ、
愛着があるのかもしれぬ
しかし魚谷さんの色白の古風な面立ちに、
その古めかしい服は似合って、
いなくもないのである
魚谷さんは一年になんべんか、
その服を着るが、
家へ帰るとまたそっとハンガーにかけ、
体熱を取り、
袖口、襟もとの汚れを、
ビロードの布なんかでそっと払い、
畳んで洋服箱へしまい、
新しい樟脳を入れ足しておく、
ということをやっているにちがいない
ひょっとすると魚谷さんは、
いまだにそのドレスを通して、
亡きご主人を愛しているのかもしれない
私なんぞは、
夫が死んでヤレヤレという気でいる上に、
衣装作るのも私の甲斐性や、
誰にも気がねもいらん
という気でいるから、
季節の変わり目ごとに新調する
着物を着て出ていくことも多いが、
このごろは帯を結ぶのが面倒になり、
いっそ付け帯にと仕立てに出した
呉服屋の番頭は、
古くからの出入りであるから、
私の気質をよく知っていて、
付け帯を作ってくれたが、
「西宮のご寮人さんは、
惜しがらはりまっしゃろなあ」
と笑った
西宮のご寮人さんというのは、
西宮に住む長男の嫁である
嫁たちはみな、
私の衣装持ちをうらやんでいるが、
とりわけ長男の嫁は年齢からいって、
私の衣装がすぐ着られそうなものだから、
何を見ても物欲しげな顔をする
私が高価な帯を切りきざんで、
つくりつけの帯に仕立てたと知れば、
自分の持ち物ではないのに、
さぞ残念がることだろう
高価であろうと安価であろうと、
自分の甲斐性で買ったもの、
自分の思うようにして何が悪かろう
私は着るものはたくさん持っているが、
みな万遍なく着て、
しかも一つ一つに愛着を持っている
自分の働きで買ったものなればこそ、
愛着があるのだ・・・
と思っていたが、
魚谷さんが三十年前の、
ご主人に買ってもらったドレスを、
大事にしているのを見て、
(ひとに買うてもろたもんでも、
あない嬉しいんやろうかなあ)
と思った
私も結婚するとき、
死んだ主人に翡翠とダイヤの指輪をもらった
親にあたまのあがらなかった夫は、
それも夫が見立てたものではない、
心斎橋の「芝翫香」で親が選んだのを、
夫の手からもらったのである
それやら、
翡翠の帯留やら、
金に珊瑚をあしらった髪飾りやら、
それらは戦争のとき、
一部は供出して、
あとは戦災を免れたが、
戦後の会社再建のときに、
みんな売ってしまった
「買えるときが来たら、
こんどは自分で買うたるわ」
と私は思った
その通りになったから、
私の持ち物に古いものはないのである
ということは、
私は古い思い出とか、
さまざま思いのこもるものを、
持っていないことである
これも考えれば戦争のおかげ、
戦争がなかったら私はいまも、
船場の古い家のしきたりに縛られ、
意地の悪いあたまも悪い姑の、
形見の古ぼけた品を後生大事に受け継ぎ、
ありがたがらされてきたであろう
思ってもぞっとする
それからいえば、
まがまがしいおぞましい戦争であったが、
一面、昔の古いいやなものを、
すっぱり断ち切ってくれて、
私には好都合な点もある
古風なものが好き、
昔ながらのものがいい、
という人もいるだろうけれど、
それは好き好き、
私は人の嗜好に口を出さないけれど、
それを最上のもの、
と心得て人に強いるのには反発を感ずる
ウチの馬鹿息子どもがそうだ
四十代、五十代というトシになると、
とみに古風大好き人間になり、
「トシヨリはトシヨリらしゅう」
とか、
「老いては子に従え、
いうやおまへんか」
とか、
「いまはよろしけど、
先になって体、
動かんようになったら、
どないしまんねん
そんな憎まれ口叩いていられるのん、
いまだけだっせ
それ思たら、
ちと可愛がられるおばあちゃんに、
なりなはれ」
などというのだ
あほなこと、
身動きできなくなってしまったら、
それまでのこと、
あとは神さん、
(私は無宗教であるが、
超越者の存在をみとめている
何かわからぬが、
モヤモヤしているので、
私はモヤモヤさんと呼んでいる)
のお心まかせである
先の取りこし苦労をせず、
昔のことは忘れて、
今を元気に楽しく、
というのが私の方針である



(次回へ)