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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

6、ほととぎす

2023年02月11日 09時20分27秒 | 「なにわの夕なぎ」










・ほととぎすの季節である。
古典では夏の象徴だ。

私の好きなのは、

「ほととぎす鳴くや五月の菖蒲草(あやめぐさ)
あやめも知らぬ恋をするかな」

『古今集』巻十一の「恋歌」のトップ、
詠み人知らず。  

花のあやめに、
文目(あやめ~ものの道理、分別)をかけている。

<きみが恋しくてぼくは道理も分別もなくなっちゃいそうだ>

しらべ美しく、品のいい歌。

私は『花衣ぬぐやまつわる・・わが愛の杉田久女』
(集英社文庫)で杉田久女を書いたので、
やはり久女の、

「こだまして山ほととぎすぎすほしいまま」をあげたい。

清澄凛冽な句。

久女がこの句を作ったという、
九州の英彦山(ひこさん)の頂上に立ちたいと思い、
行ってみたらさすが山伏の修験場だけあって急峻なこと、
しかたなく中腹の奉幣殿を拝んで下山した。

六月というのに肌寒く、
霧が渦巻く石段を下り悩んでいると、
突如、美しい鳴き声、キョッ、キョッ、キョキョキョ。

ほととぎす?

あまりに美しく明瞭なので、
誰かがテープを流したのではないかと、
笑いあったのも楽しい思い出。

のちに、鳥にお詳しい上村松篁画伯にお目にかかったおり、
画伯はほととぎすの鳴き声をまねて下さった。

それはまさしく、英彦山の山道で耳にしたものだった。
貴重な体験になった。

古典のほととぎす礼賛者の筆頭は清少納言である。

『枕草子』によくとりあげられているが、
これはその一つ。

あるとき「賀茂へまゐる道」で、
ところの農民の田植えを実見。

早乙女たちは板のお盆みたいな笠をかぶり、
「折れ伏すやうに」かがまり、
「うしろざまにゆく」。

あとじさりしつつ稲の苗を植えるさまは面白いが、
清少納言は彼女らの田植歌に一驚する。

王朝貴顕の愛執してやまぬほととぎすが、
農民たちにののしられているではないか。

「ほととぎす、おれ、かやつよ、
おれ鳴きてこそ、我は田植うれ」

(ほととぎずのやつめ、あいつが鳴くおかげで、
あたいらはえらい目して田植えしなきゃならない)

清少納言が手まめにメモしてくれたおかげで、
千年前の田植え歌が残された。

ほととぎすは勧農鳥という思想もある。

ところで大阪の住吉大社の御田植神事(六月十四日)。
先年、私は拝観し、清少納言ではないが一驚感動した。

御田で実際に田植えがあり、
田の中に設けられた舞台では豊穣を予祝して、
諸種の芸能が神に捧げられるが、
これらは重要無形民俗文化財に指定されている。

中でも八乙女の舞う田舞い。
蒼古たる舞の手ぶりもさりながら、
歌声はのどやかに初夏の空へ。

<ほととぎす おれよ 彼奴よ
汝鳴きてぞ 我はよ 田に立つ・・・>

住吉大社の古さはいうまでもないが、
庶民の敬虔な祈りの心が、
古風を伝え続けたのであろう。

住吉さんのほととぎすは、
ゆかしく慕わしい。






          


(次回へ)

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