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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

28、姥あらくれ  ③

2021年11月26日 08時53分12秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・脇田ツネさんの死を聞いて、息子に言う。

「ずいぶん、ご主人の看護にくたびれていらしたようですわねえ・・・」

お悔やみを言って、ツネさんの苦労をねぎらうと、息子は、

「しかし、母は父に献身的に尽くすのが好きな方ですから」

「それで、お父さまのご病状はいかがですか」

「今は京都へ引き取っていますが、
おかげさまでかなりよくなりました。
もう近所を散歩できるくらいで」

私は見たこともない脇田氏が猛然と憎らしくなってきた。
それから、のほほんとしている息子にも腹が立つ。

息子の目から見れば、母は、
(父に献身的に尽くすのが好きな方)としか、
見えていなかったのか。

ツネさんは、夫のわがままに堪えて、行き届いた看護をしたのに、
脇田氏は、
(妻が看護をするのは当り前、今まで養うてやったんやから)
と言い放ったというではないか。

ツネさんの手紙を引っ張り出してみた。
ツネさんは、
(男の人には定年がございますのに、
なぜ女には定年がないのでしょう)
と訴えている。

(私の方こそ、体がえらくて、息が切れそうで・・・)
と悲鳴をあげている。

(病人にじゃけんなことは出来ず)
という女の心のやさしさを利用して、
男たちはやりたい放題、わがままをしてきた。
私は久しぶりにぽっぽっと腹が立ってきた。

ツネさんは夫の眠っている間に清書した作品を送ってきていた。
私はその作品をツネさんの遺作として、書道展にこれを額装し、
出品してあげようと思った。

その時、息子を呼んで、ツネさんの気持ちを伝えてやろうと思った。
何だか行き場のない怒りをもてあます。

ツネさんが亡くなっているので、
こういうことは電話で済ませたくない。

(息子さんのおっしゃるとおり、
ツネさんは夫に献身することに喜びを感じていらしたのでは?)

(手紙ではついつい反対の気持ちを書いてしまうときもあるんですよ)

などという奴もいるかもしれない。


~~~


・そこへ、「あ、ワシや、西宮や」と長男から電話があった。

「何しとってん。珍しいに居るねんな。
たまには運動せなあかんデ。
習字したり本読んでばっかりではあかん。
お日ぃさん浴びてゲートボールでもせえや」

「ふん、あんなスポーツできますかっ」

「いや、この秋は車で紅葉見物でも誘おか思て、電話したんやけど、
いつかけても居らへんし、留守番電話でもつけたらどないや」

「留守番電話やて、あれは儲け口逃がそまいとする、
しみったれた根性の小商人がとりつけるもん。
紅葉はな、日帰りの有馬温泉で見てきました」

「いや、実はな、この前、伏見町のお爺ちゃんトコが、
本宅の跡にマンション建てはりましたやろ」

と一族のことを言った。

「伏見町のお爺ちゃん、元気でいやはりましたんか」

「もう九十二でっけど、えらい元気でな、
落成式のお祝いに招かれましたがな。
最上階とその下のフロア、自宅にしてはりまんが。
座敷見せてもろたら、結構な掛け軸がかかってましたけど、
お爺ちゃんの言わはるのに、

『この掛け軸は疎開荷物の中に入っていて、
包みに、山本勝本店、と書いてあった』

と言わはりますねん。
もしウチのやったら返さなあかんなあ、いう口ぶりやった。
文晁でしたデ」

「へえ、文晁がなあ、伏見町へまぎれこんでたんか。
あの頃の疎開の荷物は、
親類みなでトラック借り切って運びましたよってな、
五十年も前のこと、今ごろになっていうのは、
伏見町が取り込むつもりやろ」

「いや、そら筋が違う。
ウチのもんなら返してもらわないかん」






          





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