むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

12、手習 ⑧

2024年08月05日 08時11分06秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・しかし中将は、
断念したわけではなかった

八月十なん日か、
小鷹狩りのついでにまた、
小野へ行った

少将の尼を呼び出し、

「どうか姫君に、
お取りなしください」

と訴えた

浮舟が返事するはずもない

妹尼が中将に会うと、
中将はけんめいにかきくどく

が、妹尼は、

「そうでありましょうけれど、
かの人は世を捨てたい、
と思っているようです
出家するということは、
残り少ない齢の人でも、
心細いものですのに、
まだ先の長い身、
案じられましてね」

親のような口ぶりでいう

妹尼は浮舟に、
中将への返事をすすめるが、
浮舟は臥せってしまう

「つれないお仕打ちですね」

という中将の挨拶に、
浮舟はこたえようともしなかった

あまりにも張り合いのないこと、
妹尼は思う

浮舟にとっては、
まことに迷惑であった

ここにこうして生きていると、
人に知られたくないのに、
人々は熱心に中将との交際を、
すすめる

いまに中将と、
のっぴきならぬ関係を、
結ばされてしまうのではあるまいか

世の人々に、 
知られぬまま命を終えたい、
浮舟は悲しく思いながら、
臥していた

中将は、
浮舟のあまりな引っ込み思案に、
白ける思いである

といって、
あからさまに色めいた風を、
匂わせて言い寄るのも、
尼の住む庵という場所がら、
具合悪いのであった

中将は物思わしく、
笛を吹いていた

月の美しい夜、
日ごろは訪れる人もない、
淋しい山荘、
妹尼は久しぶりに風雅を、
味わいたかった

浮舟は周囲の浮かれ心に、
同調する気になれず、
今夜は不本意な羽目になるかも、
と一人醒めて警戒していた

しかしその夜は、
思いがけない宴になってしまって、
浮舟の心配は杞憂に終わった

かの大尼君、
僧都と妹尼の母尼が、
笛の音に誘われて、
老い呆けた心にも、
興を催して出てきた

母尼は八十ばかり
話のあちこちで咳がまじり、
聞きにくい震え声で、

「その琴をお弾きなされ」

と妹尼を促がす

妹尼も元来が、
かなりの風流好みの粋人とて、
調子はずれになっておりましょう、
といいながら弾いた

松風も琴の音を引き立てるばかり

笛の音がそれに加わると、
月も心合わせて、
いよいよ澄み渡る

「まあ、面白や・・・」

母尼はいよいよ賞でて、
眠そうな顔も見せず起きている

中将は帰る道々、
笛を吹いていた

山おろしの風に乗って、
笛の音の面白さ、
老尼たちは聞き惚れて夜を明かした

朝になって、
中将からの手紙が届けられた

「<忘られぬむかしのことも笛竹の
つらきふしにも音ぞなかれける>

(忘れることの出来ない、
亡き妻の思い出、
姫君の冷たいお仕打ち、
どちらも辛くて泣かれます)

何とか尼君から私の気持ちを、
あの方にお言い聞かせ、
願えないでしょうか」

妹尼は婿の手紙に、
どうしていいかわからず、
ため息をつく

それにしても、
亡き娘のことがいよいよ忍ばれ、
涙がこぼれるまま、
返事を書いた

「亡き娘が生きていた頃のことが、
笛の音と共に思い出され、
袖がぬれました
あの人のことでございますが、
不思議なまでに人嫌いで、
ひっそりと閉じこもっております」

中将は落胆して、
手紙を置いた

浮舟はしげしげともたらされる、
中将の手紙が煩わしくて、
ならなかった

若いくせに、
世の中を思い捨てたような浮舟が、
妹尼には理解出来なかった

若さの花やぎのようなものが、
全く見られない

しかし、
器量の美しさ、
愛らしさは見る度、
楽しみなほどなので、
それにすべての欠点は、
許される思いだった

明け暮れ、
浮舟を見るのが喜びで、
妹尼は心が浮き立つように、
めでたくもあっていとしかった




          


(次回へ)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする