むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

12、手習 ⑥

2024年08月03日 09時18分46秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・この山荘の尼君に仕えるのは、
たいそう年老いた尼、七、八人

若い女たちは、
こんな淋しい山里に辛抱できる、
はずもなかった

ただ、ここで籠る尼たちの、
縁者、娘や孫といった人たちが、
時々通ってきて、
浮世の風をもたらした

浮舟はその人々に、
姿を見られないように警戒していた

薫、匂宮・・・
あの人たちに、
自分がみじめな姿でいるのを、
知られたくない

浮舟に仕えているのは、
侍従という女房と、
こもきという女童、
この二人は妹尼が、
自分の手もとから割いて、
浮舟付きとした

顔立ちも心ざまも、
昔いた女房たちとは、
比べものにならず劣っている

世を忍ぶところでは、
浮舟は不足とは思わなかった

浮舟が、
人目から隠れようとしているのを、
妹尼は面倒な事情のある人、
と察し周りの人々には、
くわしいことは知らせていなかった

秋の一日、
山荘に珍しい男客があった

先払いをして、
身分ありげな若い公達が入ってくる

山荘には秋の草花が咲き乱れている

その花々に競うように、
色さまざまの狩衣姿の男たち

彼らを引き連れた公達も、
同じように狩衣姿

南面の客間に招き入れられた青年は、
年のころは二十七、八

落ち着いて大人びた風采、
たしなみありげな様子だった

それは妹尼の、
亡き娘の婿であった

今は中将の位にいる

弟の禅師が横川の僧都の弟子で、
山籠りしているのを、
見舞いに山へ登っていた

山荘は横川へ通う道にあるので、
中将はついでにやって来たのである

妹尼は几帳を据えて婿と会ったが、
涙ぐまれてしまう

「月日が経つにつれ、
昔のことは遠く思われますが、
それでもこの山里に、
あなたのおいでをお待ちする、
気持ちが心のどこかに残っています」

妹尼の言葉に中将は、

「いつも義母上のことを、
思い出しています
過ぎた昔を忘れる折とて、
ないのですが、
もっぱら俗塵を避けて、
ご精進のこととお察しして、
ご遠慮しておりました
山籠りしている弟もうらやましく、
始終訪ねていくのですが、
行くのなら一緒にという友人も多く、
今日はその連中をみな置いて、
こちらへ伺いました」

妹尼は微笑みつつ、

「でも、亡き娘を、
いつまでもお忘れ下さらず、
私を訪ねて下さるお気持ち、
ほんとに心から嬉しく、
ありがたく存じます」

中将の一行を、
山荘の人々は心こめてもてなす

中将の昔語りの相手になりつつ、
婿のこの青年の、
気立て、人柄、
まことに好もしかったものを、
これからは縁切れて、
他人になってしまうことが、
たいそう悲しかったことを、
おぼえていた

娘はどうして、
忘れ形見の子供を、
残してくれなかったのか、
その悲しさは、
忘れる折もなかったので、
こうして中将が久しぶりに、
訪ねてきてくれたのが、
嬉しく身にしみた

話が弾むままに、
浮舟のことまで、
いい出しそうであった

浮舟は物思いに捉われて、
外を眺めていた

白い単衣の、
何の風情もないのに、
出家した人の習いとして、
檜皮色のものを着せられている

(昔、着ていたものとは、
まるで違う)

光沢もなく、
ごつごつと肌触りもよくないもの

側にいる尼女房たちは、

「まるで故姫君が、
よみがえられたかのよう
まして中将さまを拝見しますと、
昔が思い出されて」

「同じことなら、
中将さまをこちらの姫君に、
お通わせ申したいですわね
いかにもお似合いのご夫婦ですもの」

とうなずき交わす

浮舟はうつむいているものの、

(とんでもないこと、
この世ではもう二度と、
結婚などする気はないわ・・・
あの昔の、
辛かったこと、
悲しかったこと、
苦しかったこと、
あんな思いをもうくり返したくない)




          


(次回へ)

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