韓国・慶尚南道

古代の歴史の香り・自然の神秘が残る場所

韓国 統営-忠烈祠

2011-02-25 13:53:52 | 日記


忠烈祠は、偉大な英雄 李忠武公の位牌をまつってある霊屋で文禄の役が終わった8年後の祖先39年(1606年)第7代統制士人であるイ・ウンリョンが公の忠節と偉大なる手柄をあがめ敬い、 追悼するために王の名に基づき建てられた。その後玄宗4年(1663年)、王が忠烈祠に名前をつけ、それを彫刻した額を 下賜したのだがその文字は、ムン・ジョンゴンとソン・ジュンギルが書いた。
粛宗21年(1695年)に第70代統制使であるチェ・スクの時、 景忠齋を増築し書堂を開設し地方民の子弟たちを訓育し同年、第71代統制使であるキム・ジュンギにより 崇文堂を作り将校3名を任命し敷地内の境界線の事務、管理を任せた一方 烟臺島(統営市 山陽邑 所在)を 下賜地としてもらい受け、収穫を墓の祭祀の費用に当てる田畑を用意し祭堂の保存作物を講究し 正祖19年(1795年)王から忠武公全書を発刊させ 御製祭文を王から与えられ、朝鮮後期にあたる高宗5年(1868年)大援軍が韓国国内全土に書院撤廢令を下した時も唯一、 忠烈祠本堂の書院だけは保存された。



現在、 忠烈祠は祭堂ををはじめとする 東西齋、 景忠齋 、崇文堂、 碑閣、展示館、江漢樓などの17個の建物と5つの門があり境域面積2723平米でミョンジョパルサ(財宝第440号)をはじめとする位牌類型文化財である忠烈墓石と位牌記念物であるツバキの木と多くの銅山文化財を持っている。
特に 忠烈祠本堂は護国の英霊であるイ・スンシンをはじめとする 配下の将兵の慰霊のために毎年旧暦2月と8月中程度日に春秋郷士とボールの生誕日である4月28日の生誕祭、そしてこの地方の祭りは閑散大捷祭の行事のゴユジェを真心をお詫び厳粛に伝統的な祭礼儀式に奉行している。
この忠烈祠は、統制命令の官級が切断された後、1919年からは、地方民の意思を集めて忠烈祠永久保存会を組織し、諸郷士と管理をしてきて、1951年に財団法人統営の忠烈祠を設立し、現在までに体系的に管理してきている。特に、日帝治下では、管理に深刻なジレンマがあったが、民族の誇りとして今日に至るまでの様々な文化遺跡を原型に保持するために心血を注いだ先賢たちの精神的苦労に頭を下げて感謝を申し上げる。



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