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Feelin' Groovy 11

I have MY books.

しあわせは・・・

2011-01-26 | 
groovyの最近読んだ本

『スヌーピーのしあわせは…あったかい子犬』
(作/チャールズ・モンロー・シュルツ 訳/谷川俊太郎)
 以下斜字除く太字は引用

左頁には「Happiness is~(しあわせは~)」で始まる文章、
右頁にはピーナッツに登場するキャラクターが描かれている絵本。

  Happiness is sleeping in your own bed.
  しあわせは自分のベッドで眠ること。


そうそう、ただ眠るだけじゃなく「自分の」じゃなきゃね…
と、その的確さに同意したり

  Happiness is taking three airline stewardesses to lunch.
  しあわせは三人のエア・ホステスを昼ご飯に連れ出すこと。


などのユーモアもあったり、
(スヌーピーはひとりじゃ十分じゃないのか?)

  Happiness is being able to reach the doorknob.
  しあわせはドアの取っ手に手がとどくこと。


とかでハっとしたり。

しあわせは~のつづきを自身にあてて考えると、
それだけでしあわせな気持ちになれる、ほっこり本でした。

同時に「いつもここから」の悲しいときや「色とり忍者」のブルーな気持ちを思い出してニッカリしたり。
  あるあるネタといっても、さすがにRGは思い出さなかったな~と1人でうなずいてみたり。

窓の灯

2011-01-25 | 
   結局私が見たかったのは、淡々とした人々の日常ではなく、
   無表情の下にある矛盾や、欲望や、悲しみでゆがんだ、
   ぐちゃぐちゃの醜い顔だったのかもしれない。
           (『窓の灯』青山七恵著 河出書房新社)


↑そんな醜い顔を主人公が見せるお話(だと思う)。
第42回文藝賞受賞作。

受賞した作品は少なくとも誰かが評価したんだから
いい作品なんだろうと思ってよく読むけれど、
これは んーな部類の本だった。

いろんなことが古くさい。

いいところはこのじめじめが
言葉だけでなく読んでるものの感情まで浸食してくるところなんだろうな。
とにかく読後感が悪いので。

プリズン・トリック

2010-04-14 | 
昨年の江戸川乱歩賞受賞作、『プリズン・トリック』(遠藤武文著 講談社)。

東野圭吾が「乱歩賞史上最高のトリックだ」というからに期待大。

本文を読み進めていくうち、
ところどころ感じていた真犯人の言動に対する違和感は
彼が犯人であるがゆえだとナント最後の1行で気づきました。
それが「史上最高」といわれる所以でしょうか。

しかしその最後の1行で裏切られたというか、
説明もそこそこに逃げられた気がする内容は大変おさまりが悪く、
なにか手掛かりはないかとネットを見ていると、
講談社の特集ページに↓こんなものがありました。

「真犯人からの手紙」(犯人が判明するのでクリック要注意…)

この手紙までを含めて本になっていたら完璧なお話でしたね。
とにかく気持ちはおさまりました。
こういうデータは自分で見つけていくしかないのだろうか?とかw
別の気持ちが頭をもたげてきますけどね。。。

これからこの本を読まれる方は是非
「真犯人からの手紙」の存在をお見知りおきを。


さて本題ですが、
この本はもともと『三十九条の過失』というタイトルだったもので、
憲法第三十九条の一事不再理について触れています。

一事不再理は、1度裁かれた事件で裁かれることは2度とない、ということですが、
その善し悪しについては考えさせられます。

またこの本はひさしぶりに心を動かされました。
交通事故の加害者と被害者の描写についてです。
残された家族について、また加害者の家族の犯罪の責任をとる覚悟など
こういうことを想像できる人を増やすことが、
悪質な交通事故を減らすのに一役買っているにちがいないのです。

トリックなんかとはまるで関係ない場面ですが、
この点で『プリズン・トリック』は多くの人に読んでほしい本だと思いました。

国語について

2010-03-05 | 
塾講師をしているとき特に国語は困った。
設問を読んで本文から答えを自分で探しなさい、としか言いようがない。
答え合わせをしているときなんか、
設問を読んで、答えは本文のココに書いてあるねーって場所教えていくだけみたいな…
もうみんな各自解説付きの答えを読めばいいだけじゃない?みたいな。

この話(「九月の海で泳ぐには」)は、そんな気分を思い出させる箇所があった。


  周作はまず子どもたちに、試験問題として立てられた問いは、
  かならず「閉じた系」であるということをしっかり理解させる。
  設問が開いていると、一つの問いに一つの答えという、試験問題の鉄則が
  守れないからだ。
  (中略)
  書いてない部分を、子どもたちは推測しようとする。
  その推測は、概ね妥当なものだ。しかし入試問題というのは、
  回答者の推理能力を問うものではない。
  書いてあることから判断して、何が言えるかを問うているのである。
  考えてはいけない。推論してはならない。とにかく目を皿のようにして
  文章を読みなさい。
     (『もしも私が、そこにいるならば』より「九月の海で泳ぐには」
                          片山恭一著 小学館)

ここに書いてあるのは正しいと思う。
でもなんだかなぁ。。。
生きていくには考えることの方が大事なのにね。
て思ってたけど、そういうのは道徳の時間で習ってたんだっけ?

そうか。
たとえば「走れメロス」とか同じ教材を使ったとしても
根本的に教える内容が違うってわけね?
知ってたようで、今の今まで混同していたかもしれない。

ドーン

2009-11-27 | 
今回読んだのは『ドーン』平野啓一郎著(講談社)。

2033年以降を舞台にした近未来小説なのだが、
リアリティのある世界だった。

そこに出てくる要素はかなり興味深い。

まず「分人主義(dividualism)」。
分人とは相手や場所ごとに使い分けた自分一つ一つのことで、
個人は分人の集合であるという考え方。
演じられる「キャラ」とは別物である。

今既にこの考えで生きているような気もしますが…
こうやって誰かが名前をつけて表現すると、
現代の状況が明確になって解決する面もでてくるのではないかと期待できる。

次に「散影(divisuals)」。
監視カメラの映像をネットワーク化し、誰でも使用できる。
たとえば知人の顔で検索をかければ、
コンピューターが全国の防犯カメラの映像からその顔を寄せ集めてくる。
その人がどこへ行ってどんなことをしているのかが筒抜けというもの。

防犯目的以外で使用すのは個人的に違和感はあるが、
警察だけの特権にせず広く公開するようにという声が多ければ
これも将来実用されていてもおかしくはない。

最後に「可塑整形」。
顔の中に塑性シリコンを埋め込んで手で形を変えられるようにしている。
一人の人間が、いくつかの顔を持つことができる。

是非は別として、
より複雑な社会・人間関係になってくると(今でも十分そうだけど)
需要が増え、それに対応する技術も当然生まれてくるだろう。


ところで、
このように面白い要素がたくさん含まれているのに
どこか惜しい本であった。

なんていうのかな。
文章を読んでいると理解はできるのだけれど、
登場人物に共感ができない。

でも確実に現代を含む未来が語られている本だと思う。