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Feelin' Groovy 11

I have MY books.

大事なこと①

2004-11-14 | 村上春樹
  「君を探してたんだよ」と僕は息をついてから言った。
  「知ってるよ」と羊男は言った。「探してるところが見えたもの」
  「じゃあ、どうして声をかけてくれなかったんだ?」
  「あんたが自分でみつけだしたいのかと思ったんだよ。で、黙ってたんだ」
                (『羊をめぐる冒険』村上春樹著 講談社)



この羊男の態度が気にいった。
傍から見た結果は同じだとしても、他から作用されて得た結果では
解決し得ないことがある。
あくまでも「自分で」というところが大事なのだ。



   探し出されたところで、なんの解決にもなりはしないのだ。
   今ぼくに必要なのは、自分で選んだ世界。
   自分の意志で選んだ、自分の世界でなければならないのだ。
                 (『燃えつきた地図』安部公房著 新潮社)


「自分の意志」。 
いくら他人がその人の意志を探ろうとしても、
それは想像であって完全に把握するのは不可能である。
だから誰もが持っている「自分の意志」は
何を失っても最後まで自分に残る自分だけのものであるから、
それを大事にし、常にその「自分の意志」を探り把握し、行動したいものである。




1973年の③

2004-11-07 | 村上春樹
1973年の②のつづき

「ねえ、ジェイ。」と鼠はグラスを眺めたまま言った。
「俺は二十五年生きてきて、何ひとつ身につけなかったような気がするんだ。」
 ジェイはしばらく何も言わずに、自分の指先を見ていた。
 それから少し肩をすぼめた。
「あたしは四十五年かけてひとつのことしかわからなかったよ。こういうことさ。
 人はどんなことからでも努力さえすれば何かを学べるってね。
 どんなに月並みで平凡なことからでも必ず何かを学べる。(後略)」
                 (『1973年のピンボール』村上春樹著)


もし元に戻ったようにみえたとしても。

先回の海辺のカフカの引用でもあるように、
意識の変化が必ずあると思う。
外面的には失ったように見えるかもしれない。
けれども内面的に得たものを探してみるとよい。
どんな些細なことでも必ず何かを学んでいるはずだ。
元に戻ったと考えているうちは何処にも行けない。

25歳のときはどうしても僕や鼠に寄り添って読みがちで喪失感だけ共感したが、
30歳で読み返すとジェイの言うことも素直に読め
これは先に進ます本ではないかと思えた。
年齢によって受け取り方がずいぶん変わるものだ。

若者は他人と違って自分は特別だと思いたがり、
大人が「人は・・・」と話す時自分はそこに含まれていないと考える。
自分は違うと。
でも時が経つと自分もその「人」の一部であると理解する。
そういった違いではないかと思う。

まあ25歳も十分大人のはずなんだけどね。

『1973年のピンボール』は今日みたいな11月の日曜日で終わる。

『ヒバリのこころ』のサビはこうだ。

     僕らこれから強く生きていこう
     行く手を阻む壁がいくつあっても♪

                              終

1973年の②

2004-11-06 | 村上春樹
1973年の①のつづき


『1973年のピンボール』村上春樹著 講談社より


     ある日、何かが僕たちの心を捉える。なんでもいい、些細なことだ。
     (中略)二日か三日ばかり、その何かは僕たちの心を彷徨い、
     そしてもとの場所に戻っていく。・・・・・・暗闇。


 「彼女(ピンボール)と僕の会話」

     なんだか不思議ね、何もかもが本当に起こったことじゃないみたい。
     いや、本当に起こったことさ。ただ消えてしまったんだ。
     辛い?
     いや、と僕は首を振った。無から生じたものがもとの場所に戻った、
     それだけのことさ。


 「双子を見送る僕と双子の会話」

     「何処に行く?」と僕は訊ねた。
     「もとのところよ。」
     「帰るだけ。」


初めてこの本を読んだのは5年ほど前で、
私は主人公の僕や鼠とちょうど同じ歳だった。

だからなのか、上の引用部の文字通りの状況に共感した。

興味を持って買い集めたものに、いつか興味を失う。
新しく仲良くなった人とは、いつか会わなくなる。
でもその通り過ぎていったものや人は始めはなかったものだから、
結局元に戻っただけだよね~って思った。
  
だけどね。

今読み返すと、違う印象を持つ。
この本は決して喪失感だけを表現しているのではない。

③へつづく




1973年の①

2004-11-06 | 村上春樹

スピッツの『ヒバリのこころ』の歌詞に
 
     いろんなことがあったけど(F/G)
     みんなもとに戻っていく(C/Am)
     ここにいれば大丈夫だと信じてた(F/G/C)

とある。

この部分を聞く時(あるいは弾き語る時)、
私は村上春樹の『1973年のピンボール』を思い出す。

内容は②へつづく・・・


 

 


励ましのコトバ②

2004-10-27 | 村上春樹
  ドーナツの穴と同じことだ。
  ドーナツの穴を空白として捉えるか、あるいは存在として
  捉えるかはあくまでも形而上学的な問題であって、それで
  ドーナツの味が少しなりとも変るわけではないのだ。
          (『羊をめぐる冒険』(上)村上春樹著)

 
私はこの考え方が好きだ。

これを読むまでの私はドーナツの穴をドーナツがない部分→「空白」と思っていた。
が、逆から考えれば穴がある→「存在」とも考えられるのだ。

それからはこれを応用し、
同じことが起こったとしても常にプラスの面で解釈するようになってしまって、
今にいたる。

たいがいのことは嫌なことでも逆の解釈も出来、能天気に暮らしていけるよ。



  しかし実際にはそのふたつの見解のあいだにたいした違いはない。
  それは(大方の対立する見解がそうであるように)
  ふたつの違った名前で呼ばれる同一の料理のようなものである。
                       (上と同書から引用)