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Feelin' Groovy 11

I have MY books.

百パーセントの耳について

2005-12-21 | 村上春樹
これまで耳について、よく考えたこともなかった。
人の一部として見えているくらいで
耳だけに着目したことなんて一度もないんじゃないかな。
どちらの本を先に読んだのかは覚えてないが、
以下の本を読んで思った。
私が出会っていないだけで
否応なしに目に入ってくる「耳」ってのが
存在しているんだろう。


立ち上がった瞬間、窓からもれた光線がぱっと彼の耳を
照らした。ずいぶん大きな耳だなと思った。
(『R62号の発明・鉛の卵』より「耳の値段」安部公房著 新潮社)

全てが宇宙のように誇張し、そして同時に全てが厚い氷河の中に
凝縮されていた。全てが傲慢なまでに誇張され、そして同時に
全てが削ぎ落とされていた。
それは僕の知る限りのあらゆる観念を超えていた。
彼女と彼女の耳は一体となり、古い一筋の光のように時の斜面を
滑り落ちていった。
(『羊をめぐる冒険(上)』村上春樹著 講談社)

どこであれ,それが見つかりそうな場所で

2005-11-06 | 村上春樹
  「このあたりで捜しものをしているんだよ」
  「どんなものを?」
  「わからない」と私は正直に言った。
  「たぶんドアみたいなものだと思うけど」

  「でも一目見れば、その場でぱっとわかるはずなんだ。
   ああ、そうだ、これが捜していたものだって。
   たとえそれが雨傘であるにせよ、ドアであるにせよ、
   ドーナッツであるにせよ」
  「ふうん」と女の子は言った。
  「おじさんはそれを長いあいだ捜しているの?」
  「ずいぶん長く。君が生まれる前からずっと」

  (『東京奇譚集』新潮社より
   「どこであれそれが見つかりそうな場所で」村上春樹著)


この感覚よく分かります。
生まれてからずっと、捜し続けているんだけれど、
そしてこれからも捜し続けていくんだけれど、
それが何なのか自分で分かっていません。
「これか」と聞かれたら
「それではありません」とはっきり分かるのに。


奇妙な夢②・③
奇妙な夢④

  求道すでに道である。
 (『農民芸術概論要綱』の序論 宮沢賢治著)
  

日々移動する腎臓のかたちをした石

2005-11-05 | 村上春樹
【注意】短編なのにとても引用していて、ストーリーが分かってしまいます。


主人公淳平が16歳の時父親に言われたこと。

 「男が一生に出会う中で、本当に意味を持つ女は
  三人しかいない。それより多くもないし、少なくもない」

  これが呪いのように淳平につきまとい、
  それ以降新しい女性と知り合うたびに、
  この女は自分とって本当に意味を持つ相手なのかと問いかけることになる。
  そうであることを期待しつつも
  限られた数のカードを人生の早い段階で使い切ってしまうことに
  怯えもした。

この気持ちは十分理解できる。
でもそのような考えは1人目がダメでも
残り意味を持つ人と2人に出会えると思ったら、
真剣に付き合えなくなってしまう可能性がある。
そして3人目に出会った後は意味を持つ人と出会えないと思うと、
死ぬまで「この人が3人目」だと決められないだろう。

私もずいぶんそれに近い考えで生きてきてしまったと思う。
最後の人が決められない、というように。
(今まで付き合った人ごめんなさい)

  淳平から2人目と決めた人が去った。
  それから何ヶ月もして彼は今まで感じたことのない
 「特別な感情」を抱くようになる。
 「明確な輪郭を持ち、手応えをそなえた、奥行きの深い感情」
  彼は身体のどこかで彼女の欠落を感じ続けるだろうと考える。

淳平はこの2人目と出会って変化している。

残りはあと1人ということになる。
しかし彼の中にはもう恐怖はない。
大事なのは数じゃない。
カウントダウンには何の意味もない。
大事なのは誰か1人をそっくり受容しようという気持ちなんだ、
と彼は理解する。
そしてそれは常に最初であり、最終でなくてはならないのだ。
    (『日々移動する腎臓のかたちをした石』新潮社 村上春樹著)


問題は気持ちなんだよね。
いつもこの人は最初で最後の人なんだという気持ちで
人と付き合っていくべきなんだよね。
誰かを本当に受け入れようと思ったら、
その人が最後だという気持ちになるはずだもんね。
絶対。
もしかしてそれがうまくいかなくなって、その後別の人と出会ったとしても。
それはまたそういう心構えで付き合っていくのだから。

読んだ瞬間、
(あれ、なんか当たり前のことをそのまま言っているよ)
と思ったのは事実。
でもよく考えると、こういう内容は本文(太字)にあるように
直接的な表現でこそ訴えかけてくるものがある。
おまけにいざ他の言い方に代えようとすると
それ以外の言葉が見つからない。

さすがだな。
直接的な物言いが好きではなかったはずの私も
素直に受け入れられる。
そうあるべきだというように。

さみしいことで。

2005-10-19 | 村上春樹
村上モトクラシ」の更新が終了してしまいましたね。
最後のアンケートの集計結果が見られます。

アンケートは
  
  村上春樹さんの小説に出てくるフレーズで、
  あなたが一番好きなものを教えてください。

でした。
私はこっそりアンケートに回答していました。

ともあれ、他の方のを見ていると
ああ、それがあったねぇと思ったのが

  やれやれ、と僕は思った。

という表現。
うっかり忘れていたね。

やれやれ。

「究極の2択」

2005-10-02 | 村上春樹
【村上モトクラシ大調査】
村上春樹さん(本人)からの出題です。
村上作品を、『ノルウェイの森』の前と後に分けると、
あなたはどちらが好きですか?
『ノルウェイの森』を除いてお考えください。


一昨日言っていた「究極の2択」とは上の質問でした。
ほとんどの作品は好きだけれど、
正直、正直言って私にとっては究極でなく
迷わず【『ノルウェイの森』の前】の方が好きです。

たぶん私が初めて読んだ本は『ノルウェイの森』で
その時は内容が重くて耐えられなくて
とても読み返す気持ちにはなりませんでした。
おそらくまだ若かったので(たしかコバルト文庫を主に読む中2)、
その時代の自分に必要な部分が得られなかったからでしょう。

あるいは・・・
私が他に読んでいるのは近代小説でしたが
それは作品全体で1つのテーマがどぉんと伝わってくる気が
していました。
でも春樹さんの作品は始めから最後まで
あっここ!あっここも!
てな感じで伝わってくるものがいろいろあるので
中学生の私には処理しきれなかったのかもしれません。

ともかくその後続け様に春樹さんの作品を読むという感じにはならず
少し時が経ってから(年齢不明)
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読み、
(「ハードボイルド・ワンダーランド」を跳ばして
 「世界の終り」を先に読んでしまったことを覚えています)
とても気に入って、『風の歌を聴け』から発刊されている
小説をすべて読んだという経緯となります。

経緯はどうでもよいですね。

書きたかったのはどうして【『ノルウェイの森』の前】の方が
好きなのか、でした。
ずばり、私は『アフターダーク』がひっかかっているだけです。
『アフターダーク』は上で言ったところの
近代小説を読んだ時のように感じるのです。
そして大人になった私が春樹さんの作品で好きなのは
あっここ!あっここも!って思えるところなのです。
初期の作品はその発見の楽しみのために
何回も何回も今でも読み返します。
でも『アフターダーク』は読み返さなくても
作品全体が現代の一側面を切り取り、
それを感じ取ることがすべてのような気がしてしまい
1度読んだだけで何回読んでも読後感は同じだと
思えてしまったのです。
つまり私の今の読み方には合っていないようなのだにゃ。

『アフターダーク』を除いたら(勝手に質問を変えるな!)
私にとって究極の選択になりますが、
それでもやっぱり【前】が好きかな。

だって鼠が好きなんだもん。