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Feelin' Groovy 11

I have MY books.

反芻しない。

2008-08-05 | 村上春樹
昨日下記の文章を思い出した。


 「本当のことを聞きたい?」
  彼女がそう訊ねた。
 「去年ね、牛を解剖したんだ。」
 「そう?」
 「腹を裂いてみると、胃の中にはひとつかみの草しか入ってはいなかった。
  僕はその草をビニールの袋に入れて家に持って帰り、机の上に置いた。
  それでね、何か嫌なことがある度にその草の塊りを眺めてこんな風に
  考えることにしてるんだ。何故牛はこんなまずそうで惨めなものを
  何度も何度も大事そうに反芻して食べるんだろうってね。
  彼女は少し笑って唇をすぼめ、しばらく僕の顔を見つめた。
 「わかったわ。何も言わない。」
  僕は肯いた。
         (『風の歌を聴け』村上春樹著 講談社 太字:groovy)


もちろん、嫌なことでも一通りその原因や対策を考えるのは必要だと思う。
でもそれをしたら、終わり。
反芻しない。
もうそのことは忘れればいい。
忘れられないのは
自分がそれに浸っていたいだけなんだ、と
むしろそれを望んでいるんだと思えてしまうんですが、ね。

牛の反芻を思い出してw
苦しむよりも楽しい時間を多くとってほしい。


1973

2008-06-09 | 村上春樹
  同じ一日の同じ繰り返しだった。
  どこかに折り返しでもつけておかなければ
  間違えてしまいそうなほどの一日だ。
  (『1973年のピンボール』村上春樹著 講談社)


似たようなものがたくさんあるうちの1つを
覚えておく手段としての「折り返し」

こういう表現

ロング・グッドバイ

2007-07-01 | 村上春樹
村上春樹訳『ロング・グッドバイ』を読んだ。
訳者あとがきが44頁もあり、とても読み応えがある。
そこにある通り、たしかに『グレート・ギャツビー』に通ずるものがあった。
そして、『羊をめぐる冒険』の「僕」や「鼠」を思い出す。
春樹さんの言葉を借りれば「深い憂愁と孤絶感」を感じるのだ。

マーロウがテリー・レノックスと会う本当の最後になった場面に、
こうある。

  「君は私の多くの部分を買いとっていったんだよ、テリー。
   微笑みやら、肯きやら、洒落た手の振り方やら、
   あちこちの静かなバーで口にするひそやかなカクテルでね。
   それがいつまでも続けばよかったのにと思う。元気でやってくれ、アミーゴ。
   さよならは言いたくない。さよならは、まだ心が通っていたときにすでに口にした。
   それは哀しく、孤独で、さきのないさよならだった。」
  (『ロング・グッドバイ』(レイモンド・チャンドラー著 村上春樹訳 早川書房)

マーロウは前回、恐らく今生の別れになるであろうと思われた時に
テリーに残すことができる部分をすべて与えてしまったにちがいない。
マーロウはその分少しだけ死んだ。
あるいは失われた。
この感覚が読んでいる側にも移り、余韻を残す。


参考)さよならを言うのは少しだけ死ぬことだ。

   
   この一節はフィリッピ・マーロウがリンダ・ローリングとお別れをする場面で
   使用されている。

   さよならを言った。タクシーが去っていくのを私は見まもっていた。
   階段を上がって家に戻り、ベッドルームに行ってシーツをそっくりはがし、
   セットしなおした。枕のひとつに長い黒髪が一本残っていた。
   みぞおちに鉛のかたまりのようなものが残った。
   フランス人はこんな場にふさわしいひとことを持っている。
   フランス人というのはいかなるときも場にふさわしいひとことを持っており、
   どれもがうまくつぼにはまる。
   さよならを言うのは少しだけ死ぬことだ。

   訳者あとがきにはこう説明がある。

   一般的にはフランスの詩人エドモン・アロクールの
  「離れるのは少し死ぬことだ。それは
   愛するもののために死ぬことだ   どこでもいつでも、人は
   自分の一部を残して去っていく」
   という詩が元ネタになっているとされている。

『グレート・ギャツビー』の冒頭

2007-01-24 | 村上春樹
訳者あとがきに、こうある。

  もうひとつ個人的なことを言わせていただければ、
  『グレート・ギャツビー』の翻訳においてもっとも心を砕き、
  腐心したのは、冒頭と結末の部分だった。なぜか?
  どちらも息を呑むほど素晴らしい、そして定評のある名文だからだ。
  (『グレート・ギャツビー』スコット・フィッツジェラルド著
                村上春樹訳 中央公論新社)


冒頭はよく引用されているので
なじみのある文であった。
単独でもすばらしい内容であるが、
本を一通り読んだ後、再度たち返った時
その文が本全体へ与えている影響に思い当たり
深く感動を覚えた。

私たちはその文が冒頭にあったからこそ、
ニックだけが何故、ギャツビーの理解者となり得たかを
疑問を持たずに読み通すことができたし
また、私たち自身もギャツビーに心をよせ
最後には悲しい気持ちになったのだと。


【冒頭の引用】
  僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ
  忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに
  考えをめぐらせてきた。
  「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるように
  するんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように
  恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」
  (『グレート・ギャツビー』スコット・フィッツジェラルド著
                村上春樹訳 中央公論新社)

  In my younger and more vulnerable years my father gave me
  some advice that I've been turning over in my mind ever since.
  ‘Whenever you feel like criticizing anyone,' he told me,
  ‘just remember that all the people in this world haven't had
  the advantages that you've had.'
  (『THE GREAT GATSBY』F.SCOTT FITZGERALD
              PENGUIN MODERN CLASSICS)

『闇の奥』にも着手

2007-01-11 | 村上春樹
毎晩少しずつ読んでいる『グレート・ギャツビー』ですが
途中で姉の本棚よりコンラッドの『闇の奥』を見つけ
並行して読み始めてしまいました。


『羊をめぐる冒険』で鼠の別荘に残されていた鼠の痕跡。

  奥の小部屋にだけ、人間の匂いが残っていた。
  ベッドはきちんとメイクされて、枕はかすかにへこみを残し、
  青い無地のパジャマが枕もとにたたんであった。
  サイドテーブルには古い型のスタンドが載っていて、
  そのわきには本が一冊伏せてあった。
  コンラッドの小説だった。
         (『羊をめぐる冒険』村上春樹著 講談社)

何回読んでも鼠がもういないことが悲しくなります。