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女工○史

貧乏女工ミミの、デムパでイタタでグダグダな"感性の備忘録"

本筋?どーでもええかも… : 映画『オクラホマ!』

2006年02月04日 17時57分18秒 | 映画鑑賞のーと

やっぱり土曜日はいつも主婦するアタイ。今日も天気がええから布団干して洗濯して…。

その合間にこうしてブログ更新してます。お題は『オクラホマ!』です。

言わずと知れたロジャハマ(リチャード・ロジャース&オスカー・ハマースタイン2世)の初のコンビ作にして、

結果的にこのコンビの最大のヒット作(2212回の当時ダントツのBWロングラン記録。14年後に登場した、

『マイ・フェア・レディ』まで塗り替えられなかった)になった作品です。

今まで『南太平洋』『王様と私』『サウンド・オブ・ミュージック』辺りは観たことがあって

(勿論全部映画版だけどさ…)、どれもかなりお気に入りの作品だったりするんですが、

これとか『カルーセル』といった、先の大戦中(驚くべき話ですが…こーゆー話する度に、

こりゃ日本負ける筈やわーと溜息をついてまうアタイ…orz)に初演された初期作品については、

最近になるまで何故か観る機会がなかったんですよねえ…なんか知らんがあらすじ的に、

ピンとくるものがなかったせいか、TS○TAYAとかで見かけてもスルーしてたからなんでしょうねえ…。


あらすじはこねえなカンジ。ただアタイ的には、ここで触れられてるカーリー・ローリー・ジャッドの主軸の三角関係より、

あれでは省略されてるローリーの友人(従姉妹と書いてあるサイトもあったけどそうなん?)のアド・アニーと、

カーリーのカウボーイ仲間のウィル、そして行商人のアリ・ハキムといった面々の、

サイドに挟まれたコメディタッチの三角関係の方に目が行ってましたのよ。

特にアド・アニーたんがねえ…おつむがゆるゆるで、お脳をほっぽって体だけ成長したようなカンジの女の子だから、

男たちに誘われてもほいほい付いていって、今そばにいてくれる人=あたしの一番好きな人と、

短絡的に考えちゃう貞操観念という概念すら存在しない頭の中。

アメさえあげりゃ誘拐犯だって拉致り放題な、別な意味で危険なカンジの女の子です。

どうやらあたいはこーゆースレてないおばかさんに萌えてしまうらしいわあ…。

余りの万事にわたってのおぼついてなさにどうもほっとけなくなってしまうのよねえ…。

また演ってるグロリア・グラハム嬢が絶妙でねえ…。あの間の抜けたファニーフェイスと、

ふにゃふにゃした喋り口調、調子っぱずれの歌い回しがなんかすげえかわえくて。

特にランチボックス・ソーシャルの場面の、なんだか50sしちゃってるポニーテールにでっかいピンクのリボンっていでたちが超キュート!

あんまりかわええんでぐぐって調べてみたら、この人、50年代のハードボイルド系映画の、

代表的なヴァンプ女優の一人で、この映画から3年前の『悪人と美女』でオスカーもゲトしてる人なんですと。

どおりでキャットファイトが上手い筈やわ…。あんな抜け子ちゃんなカンジで男を篭絡してたのかすぃら?

さとう玉緒の皮を被ったコンドリーサ・ライスを目指すあたいとしては、是非見習いたい所やわあ…。


さて、そのアニー&ウィル&ハキムの三角関係ですが、補足としてあげておきますと…

アニーは元々ウィルと恋仲やったんですが、判事をやってるアニーの父親(ガチで過保護)が、

カウボーイの事を毛嫌いしているせいか(農民とカウボーイの仲が悪い事に付いては話の中で度々出てきますが、

この人はその最右翼やったりします)2人の結婚は許して貰えず、娘を嫁にしたけりゃ50ドル作って来い

(宵越しの金は持たんカウボーイにはムリやろとたかをくくってんのね)と条件をつけ、

ウィルは50ドル作って男を上げる為カンザスに旅に出るわけです(ここまではこの話が始まる前の事)。

しかしアニーはその間に、あろう事かぺルシア人(あ、怪しひ…)との触れ込みのプレイボーイの行商人なハキムとええ仲に…。

ウィルがカンザスから帰ってくるその日になってもハキムと馬車でイチャイチャデートしててその事を忘れて、

しかもランチボックス・ソーシャルに一緒に行く約束までしてローリーから呆れられる始末(1)。

でウィルが帰ってきたら帰ってきたで、甘い言葉一つで再び陥落してまうアニー。

しかし結婚の支度の為に稼いだ50ドルを使ってしまった事でイチャモンをつけられ、アニーとの結婚はオジャン。

一方ハキムの方は完全なキャッチ&リリースの恋愛体質男で、なんか変なカンチガイして結婚までいれこむアニーに、

嫌気が差してきているものの、甲斐性のないカウボーイに娘をやる位ならと考えるアニーの父親に、

誘惑した責任を取れとばかりにライフルを突きつけられ結婚を迫られ、にっちもさっちも行かなくなる。トホホ…

そこでランチボックス・ソーシャルの時にウィルの結婚の支度道具を50ドルで買い取り、

その金でアニーのランチボックスを競り落としてもらおうと画策。ウィルは大喜びで、

アニーのランチボックスに50ドルの値をつけるが、競りはチャリティで金は学校建設の費用になるから無効だと、

またもアニーの父にイチャモンをつけられる。ハキムは更に51ドルの値をつけてアニーのランチボックスを競り落とし、

それで50ドルはまるまるウィルの手元に残り、漸くウィルとアニーの婚約が成立してでめたしでめたし(2)。

ハキムは腹痛3日という凄まじい出来の、アニーお手製のパイ入りのランチボックスを押し付けられ、

しかもその後、アニーの父親のそれと同じような形で迫られガーティと結婚。彼女の奇妙な笑い声に延々と悩まされる事に…。

こんなカンジの話です。なんかハキムがええ加減可哀想ですが、それはそれでええやないすかうすす。

あらすじ中に数字をうってますが、この中の(1)で『I Cain't Say No(いやとはいえないの)』というアニーのソロ、

(2)で『All Er Nothin'(いちかばちか)』というウィルとアニーのデュエットが歌われます。大きなナンバーはこの2つ。

どちらも訛りのキツい(題の綴りを見てもらえればお分かりでしょうが)、くだけた感じの微笑ましいナンバーです。

なんかアニーたんの性格がよー出とるなーって。なんも判っとらんようで結構ちゃっかりしとるんよなあ…。


全体についてサラッと。アタイ的にはロジャハマのキモは、何度もゆーてますがラブソングやと思うんですよ。

あの静かに盛り上がる情熱といった面持ちが萌えるんですが、所々後年のそれの片鱗はあるんですが、

どうも大味で萌え要素が足らんようなカンジが致しました。『Out of My Dreams(私の夢から)』のような、

惜しいナンバーはあるにはあるんですが…。こればっかりは歌ってる人の声質にもよるからなあ、

一概には決め付けられんですが…。寧ろ『Farmer and the Cowman(農夫と牧童)』や『Oklahoma!』のような、

全員で歌い継ぐコンチェルタート的なナンバーの方が、エネルギッシュで楽しくて好きなんですが。

賛否両論ある1幕ラストの長~いバレエシーンはどうも…観てて疲れましたです。ワケワカラン。

『Kansas City』やランチボックス・ソーシャルでのダンスシーンはとてもええんですけどね。何でやろ。


結局アニーたん萌えだけで突っ走ったなあ…どっかからツッコミが来そう…(´・ω・`)



あなたを~探して~ 伸ばした~指先が~♪ : 映画『黒いオルフェ』

2006年02月01日 22時25分01秒 | 映画鑑賞のーと

今日は一日、雨が降ったり止んだりの鬱々とした天気でした。

明日は晴れるけどまたとんでもなく寒くなるみたいやし…いややわあ。

まあでも地球の真裏の某所は、これからが一番盛り上がる季節なんですよなあ。羨ましい限りです。

今年は今月の25日~28日までなんですと。さてこれは一体なんでせう?

そう、お分かりの方はお分かりでしょう、"Carnaval do Rio(リオのカーニバル)"の事でしてよ!

あたいこれ大好きでねえ…。偶然2001年のサンポドロモのグルーポ・エスペシアルのパレードを、

テレビで観て以来(これは永久保存版としてエアチェックして置いてます)、いつか必ず愛する誰かと、

2人で観に行ってやるんだ…って、心に誓ってるんですけどねえ…どうなんでしょう…。


さて、Carnaval do Rioといえば、強烈な印象をもって世界にコレを宣伝した、不朽の名作映画がありますねえ。

『黒いオルフェ』。今地味に観ております。ヅカでこれの影響を受けて作られたといわれる、

『ノバ・ボサ・ノバ』っちゅー、ヅカのショーの最高傑作の一つに数えられる作品がありまして、

あたいもそれつながりで、初めて観たときは入っていったんですけどねえ…

あらすじ読みゃ分かるけど、これって、モロ『オルフェオとエウリディーチェ』なんですよなあ。

このお話、世界で一番使い回されている物語(確証無し)と言われているだけあって、

過去にもモンテヴェルディだのグルックだのオッフェンバックだの池田理代子だの(違う?)、

様々な方がこれをネタにして名作を作り出していますが…20世紀の代表作といえばやっぱこれかね。

少しミュージカルとは言い切りにくい作品ですが、一般的なミュージカルとはまた別な意味で、

音楽の放つエネルギーがとにかく物凄く、眩しい限りでございます。

冒頭、ギリシャ風のレリーフがいきなり割れて飛び出る強烈なパーカッションのビート!

一斗缶を頭に抱えたオバチャン達の行列の歩の進め方の何とダンサブルな事!

そしてダメ押しでその後から物悲しげなギターに乗って流れる、耳に優しく爽やかな響きの、

『フェリシダージ(悲しみよさようなら)』がもうテラステキス…。軽いスキャットから入って、

まるで山から吹き下ろすそよ風のように聴こえ、リオの朝日に映えるその歌声…かなり中毒性高し。

ヘタすりゃ一日中エンドレスで頭の中流れるわ…。街中に出りゃ出たで、遠くからブラスバンドがサンバを奏でる音が聴こえるし…。

とにかくもう、サンバとボサノバでこの『黒いオルフェ』はできていると言っても過言じゃない位!

それも決してくどくないんよねえ。動的な音楽に満ちている筈なのに、静かな印象を受けるの。不思議と。

"歌うための場面"ってのがある訳やなく登場人物たちは皆、生きているリズムの中で、勝手に、自然に、歌う。

歌うというより、音楽が口をついて溢れ出す。

そしてそれらの歌が、音楽が、全てカルナバルの狂乱に向かって一点に集中していく。

オルフェの愛、ユリディスの恐怖、ミラの嫉妬…全てを飲み込んで…。

そしてカルナバルの捧げものででもあるかのように、死の仮面の男に導かれるがままに死んだユリディス。

地下に広がる黒々しい空気に包まれた交霊場で行われる、あの世のユリディスとの顔を見ずの対話。

そして最後に嫉妬に狂ったミラの投げる石で崖に突き落とされるオルフェ。

神話を軸にイメージの点と線で繋がれた物語、結局全て"死と再生の儀式"としてのカルナバルを、

この作品は具現化させていたのかすぃら?ラストで子供たちが歌う明るい調子の『オルフェのサンバ』、

それを見守るかのように燦燦と輝く太陽…オルフェは歌声で太陽を昇らすことができる。

カルナバルにオルフェの命は捧げられ、そのギターを次いだ者が新たなオルフェとして、

その歌声で新たな太陽を昇らせる…カリオカ・カルナバル・太陽…この3つの結びつきの神秘が、

鮮烈でロマンティックで…悲恋の物語の筈なのに、観終わった後の気分はとても清々しい。

…なんかボサノバにも興味がわいてきました。



言いたい事は山ほどあるんだけど… : 映画『バンド・ワゴン』(2)

2006年01月28日 21時21分19秒 | 映画鑑賞のーと

気が付いたらまた2日経ってましたなあ…。昨日は仕事がキツ過ぎて帰ってすぐ寝たよ…。

在庫が保管不可能な位に生産をタイトにするような状況なんかっちゅーんじゃ(゜Д゜#)ゴルァ!!

まあでも…実際どうなんか分からんからなあ…。生産計画決定の現場っつーもんに、

一度立ち会ってみたいもんだわねえ…。

家帰りゃ帰ったで、調子に乗ってDLしたいだけDLしたヤヴァめのファイルを整理する作業に追われたり。

名前を日本語に直して、どう関連付けてフォルダに纏めるかで頭を悩ませて…大変だあ。

そんな日々の中で暇つぶしにスーファミ版の『ドラクエ1』をやってみたりね。

しっかしスーファミ版、ヌルし!こんなサクサク進むゲームやったっけ…?初めてまだ5時間位しか経ってへんのに、

もういつでも竜王の城に行けるレベルですよ。無一文から岩山の洞窟に一度潜っただけではがねのよろいが買えたり、

リムルダールの南で10分でまほうのよろい買えるだけの金額が稼げたり(ゴールドマンのお持ちのゼゼコが、

ファミコン版の2倍半もあるし…キメラもなんか弱くね?)、ガライの墓越してからロトのよろい取るまで、

なんかファミコン版では尋常やない苦労(レベルがとにかく上がらんで…)したよな記憶があるのに、

楽勝やったしねえ…。竜王も弱いんやろなあきっと…噂じゃダースドラゴンラリホー使わんらしし…。

まあ暇つぶしの手遊びじゃこの位のヌルさが丁度ええんかしらん?


おおっと…枕が長すぎた…とっとと『バンド・ワゴン』の話の続きに…。


前回書いたようなカンジで、アステア御大はトニーを演じているワケなんですが、

やっぱり肝心のダンスの事に話を振っていかなあかんでしょ。やっぱり一番のメインとなる事項なワケですし。

御大のダンス、明らかにスタイルが若い頃とは変わってきてるなあってのが一番の感想かな。

かつてのような軽やかさや派手な技巧は失われてはきているものの、ゆっくりとした動きの中での、

流れによるダンスの組み立て方、キメのポーズの一つ一つの美しさを最大限に生かした踊り方というのを、

重要視しているのではと感じました。最小限の動作で最大限の効果をという志向か。

その分お相手のチャリシー姐さんの動きを大きくとらせる。でも、その一連の動きをデュエットとして、

キレイに纏めるのは御大の仕事と。マイケル・キッドの振付がまたそんな御大の踊りに合わせた、

ストップモーションを多用したものだから(入念な擦り合わせの効果か?)、それがまたよく活きてるし。

型に嵌りすぎてて動きが足りないという向きもあるのかなあ…。達人の枯れた演舞を楽しむものでしょうか?

"型としてのデュエットダンス"とでも言いましょうか?志向としては『カッスル夫妻』なんかのそれに近い。

反対に『トップ・ハット』や『スウィング・タイム』、『ブロードウェイ・メロディーof1940』なんかのそれは、

"組手としてのデュエット・ダンス"とでも言えるのかなあ…。踊っている二人の神経を使うベクトルや、

見せている技量の性質等を考え合わせるとね。


で、前半に『Dancing In The Dark』、後半に『Girl Hunt Ballet』っちゅー、そんな"型としてのデュエットダンス"の、

お手本のようなナンバーが2つあるわけですが…前者はとにかく何もかもが流麗ですね。何気ない散歩の、

ぶらぶらした歩きからのさりげないポジションの移行、ターンを多用していながらも必要以上に動きが大きくならず、

その分ダンスの流れが自然で清涼感があって良いですし、いつもながらのチャリシー姐さんの、

襞の動き一本一本まで調節されてるかのようなスカートの絶妙の動き方も良いですなあ。

シンプルな背景とカメラワーク、そして音楽…抑制的な美の世界に酔いしれるワス…。


後半大詰めの後者は、本作の象徴とも言えるナンバーです。だってこの作品がないと、改作後の作品が、

『バンド・ワゴン』であって『バンド・ワゴン』でないものになってしまうんですからねえ。

このナンバーは改作後のナンバーの中で唯一、改作前のプロットが生きているものなんです。

実はこれは元は改作前の作品の主人公の書いていたサスペンス小説の中身やったりする訳なんですよ。

そして改作前の作品でも、劇中劇的に主人公の書くサスペンス小説の中身をショーシーン的に扱う予定でしたし。

つまりこのナンバーは改作前にも(音楽は全く違うものらしいですが))確かに存在しており、

改作後の作品の『バンド・ワゴン』としての正当性を証明する唯一のナンバーと、結果的にはなった訳です。

さらに言えばこれがないと、元のBW版『バンド・ワゴン』を映画化するに当たって付け足したシナリオの、

存在意義が完全に疑わしいものになってしまうんですよ。だから当然、ナンバーとしてのウエイトも、

大きく重くなるって寸法。確かに穴や粗はありますが、全体的にはとても出来のよいナンバーだと思います。

何よりチャリシー姐さんの、パツキンちゃんと黒髪ちゃんという、2つのキャラの踊り分けが素晴らしいです。

エレガントで嫋々としたパツキンちゃんと、アグレッシヴで先鋭的な黒髪ちゃん。2人が代わる代わる、

御大扮する探偵を翻弄します。話の流れは、ダンス・アクトということを差し引いても、

かなり分裂症的でワケワカメなんですが、音楽が秀逸なのも相まって、トリップできて好きだなあ。

だからか長くても、決して冗長には感じないです。とにかく神出鬼没のパツキンちゃんと黒髪ちゃんに限ります!

そういえばこの作品、カットされたナンバーの多さでもつとに有名で、中でも必ず話題に上がるのが、

『A Two Faced Woman』っつーナンバーです。『ザッツエンタ~3』でもチラッと観れるんでご存知の方も多いでしょうが、

なしてこれ程の出来の良いものを…と、語れば必ず怨嗟の声が上がるナンバーです。が…

仕方ないでしょ。こんだけ『Girl Hunt Ballet』とナンバーの性質がかぶってりゃ!

寧ろコレについては日本版DVDの特典で完全版がボーナストラックに入ってなかった事を小一時間…。


他にも色々語りたいのですが…余りにとりとめなくなって来るんでこの辺にします。




踏み絵じゃないはず…なんだけど… : 映画『バンド・ワゴン』(1)

2006年01月25日 23時07分09秒 | 映画鑑賞のーと

とうとう、某国籍マイノリティの為の公共放送会社の集金に捕まってしまいました…orz

夜、小用で外出するはずだったのに、急にネットに繋がらんくなった我がPCの設定の復旧に手をこまねいて、

無駄に時間を費やしている内に…ムカつく程へこへこした集金のおっさんが来やがって、

半ば強制的に口座振替の用紙に書き込みを迫られて(申し込み用紙に記入するまで帰らん構えやった)…。

正直、今のあそこに受信料払いたくないんやけどなあ…偏向報道酷いし、日本人ならまず見ないよーな、

捏造バリバリ幸せ回路フル稼働のエセ朝鮮史ドラマやってるし…。

まあとは言えねえ…忘れた頃に、この前の『ブロードウェイの100年』のような素晴らしい番組も放映してくれるしねえ…。

散々渋った末、口座振替を申し込む事にしました。おっさんに報道姿勢の事等、苦言を呈しつつ。

でもなあ…なんか悔しいなあ…(´・ω・`)


悔しいので今、『バンド・ワゴン』を観とります(関係ないか)。ちょっと書き述べたい事もありますし。あらすじここ。

言わずと知れたMGMミュージカルを代表する超の付く名作。でもその割には案外自分の身の回りでも、

評価が二分したりしてます。なんでかなあ…。ちなみにあたいは大好きですよこれ。頭からしっぽまで。

やっぱりねえ、"リアル"だもんこれ。色んな意味で。実際ゴタついてるミュージカル作りの現場って、

こんなもんなんやないかなと思わず納得させられるもんがあるし。初めに暴走列車状態になって大作を構想し、

ダメになったあと背水の陣でシンプルなレヴュー・ショーに作り変えてドサに出たりとか…妙にねえ。

しかも…これ、映画の製作現場自体も劇中の舞台の製作現場と同じ位、えんらいことゴタついとんですよ。

監督であるミネリパパ(よー考えたらこのしと、ジェフ・コルドバに似てるよーな希ガス。演出のアプローチとか。

どっちもゲージツ家肌のナルシストやし。まあそりゃあミネリパパの方が遥かに繊細そうやけど)の、

気分次第の演出に、リハーサルマンセーの完璧主義者であるアステア御大が怒ってセットを飛び出したり、

御大が振付担当のマイケル・キッドの自分の踊りのスタイルとの齟齬(そら例えば御大御用達のハーミーズ・パンと、

キッドとでは、180度振付の性格が違ってきますわいなあ…)を危惧するせいかダンスシーンが纏まらず、

細かい意見の刷り合わせ(前もって準備した振付を納得して貰う為に、キッドはさもその場で思いついたように、

振りを小出しにして御大に説明したんやそうな…)の果てに完成したのが『ガール・ハント・バレエ』やったり、

当時既に心気症に苦しめられていたオスカー・レヴァントに、彼と作家夫婦役で一緒のナネット・ファブレイが、

散々振り回されてたり(今でもその事を彼女は相当恨んでおり、本作DVDのボーナストラックのインタビューでも、

レヴァントの事をかなりボロクソに語ったんだそうな)…そんなこんなのすったもんだの末に完成したのが、

この作品だったりする訳なんです。しかも劇中の『バンド・ワゴン』は、筋立てのあるミュージカル・プレイを、

バラバラにしてレヴュー・ショーに仕立て上げたのに対し、この作品自体は元々BWのレヴュー・ショー

(こちらでも御大は主演を務めてます)だったものに、シナリオを混ぜ込んでミュージカル・プレイに仕立てているという、

鏡合わせのような関係があったりもするんですよ。勿論映画自体はコメディ・タッチのバックステージものなのに対し、

劇中のそれは『ファウスト』を題材にしたかなり規模の大きい、シリアスな性質の作品やったりするんですよ。

しっかしこの劇中の改作前の『バンド・ワゴン』、悲しくなる位の不入りであっという間にクローズしてますが

(出てきたお客さんの間のお通夜のようなムードがワロス)…個人的には、準備期間をもっと置いて、

じっくりと腰を据えて造ってさえいれば、そこそこ面白そうなものができたんじゃないかなあと、

憶測したりもするんですが…。作品の中で使われてた『あなたと夜と音楽と』等のナンバーは、

ちょっとミュージカルのノリとは異質やけどキライじゃないし、あの可動する豪華なセットも、

十分見せ場として通用するでしょうしねえ。ミュージカル版グラン・トペラのようなノリというべきか、

80年代ロンドン・ミュージカルのようなノリともいうべきか…違うか。それに『ファウスト』を題材にしたミュージカルなら、

この映画の公開されたほんの2年後にガチでBWで大ヒットなんぞしたりしてますしねえ。

ジェフの着眼はあながち間違ってはなかったのでは?まああの作品はいかにもアメリカな作品じゃあありますが…。


それに、アステア御大演じるトニー・ハンターの役柄自体もこれまた"リアル"。『イースター・パレード』で、

銀幕に復帰して以降の御大は、やっぱり年齢とキャリアからオーバーラップされるもののせいか、

やけに曲がり角に差し掛かったベテランダンサー役ってのを演じる機会が多かったりします。

前述の『イースター~』では、長年のパートナーに去られて新しい相手役を探す役だし、

『ブロードウェイのバークレー夫妻』では舞台上のパートナーでもある妻との離婚の危機に直面してるし、

さらに本作では一歩進んで(?)、演じるのはミもフタもない"過去の人"。これで現実に直面してなければ、

『サンセット大通り』のノーマ様と何ら変わらんっつー位の落ちぶれっぷりです。勿論御大自身は別に、

既に功成り名遂げまくってはいても決して落ちぶれてはいないのですが…かなり自分のスタイルが、

古びてしまっているのではという事を気にしていたようで、起こったようなスタッフとの齟齬は、

実際の現場でもあったでしょうし、相手役の容姿やダンスの感覚に非常に神経質になってたってのも、

トニーと御大自身の共通点です。映画自身にもそれを逆手に取ったようなキーワードが出てきますし。

例えばオープニングのタイトルにかかるトップ・ハットとステッキ。これは御大の象徴であると共に、

構図からしても明らかに御大の全盛期の映画であるその名も『トップ・ハット』のオマージュであります

(オープニングを観比べてみませう)。しかもそれが値が付かずにオークションが不成立に終わるっつー皮肉。

凄まじい露悪趣味。よー御大怒らんかったなあと…。でもまあこういった事を全て踏まえて、

トニーの苦悩がそのまんま御大自身の苦悩にオーバーラップしていくような。結局はそれを飄々と受け流して、

出たとこ勝負で乗り切るところも御大らしいですしねえ。


腰据えて語ろうとしたらオーバーフローになりました。もう一回続きます。

やっぱこれ観る側の御大信者度が増せば増すほど面白くなる作品って事なんやろか…?



あなたの部~屋の~前~ 座り込ん~だら~♪ : 映画『リリー』

2006年01月23日 23時53分00秒 | 映画鑑賞のーと

どーやら話によりますと、今日1月23日は、1年で1番鬱になれる日だったんださうです。

どーりで今日、朝起きた時の気分がいつも以上に優れんとヲモタ。

なんかもうねえ…何もしたくないっつーか…。

最近2chのメンヘル板やメンヘルサロン板をねえ、よく覗くんです。そんで知らず知らずのうちに少しだけ、

書かれている、色々なものを否定し、絶望する言の葉どもに共感を覚えてしまう、

あたいの中のフォースの暗黒面が顔をちらつかせて…厭なトリップをしてしまう日々。

まあ余程の事が無い限りは仕事してる内に生気を取り戻していくんですけどねえ…。

この家で安らいでるつもりが、いつの間にか生気を吸い取られていってるんやろかすぃらん…(´A`)


こんなマイナーな気分の時には、思い切って号泣でもしやうかなあと思い、

本日の御題は『リリー』で御座います。毎度の如くあらすじはこちら。

あらすじ読んでもらえたら分かると思うんですけど、なんかおとぎ話みたいなファンシーな話なんです。

時間も80分位で、登場人物も少なく、特に派手な見せ場もあるわけでもない、下手すりゃチープともいえる作品。

人形芝居の一座の男と、転がり込んできた孤児の少女の物語。

ただ…これが…不思議な位ハンパなく泣けるんです!!!

正直自分内歴代泣ける映画ナンバー1だったりしますのよ(2位は『ドラえもん のび太と鉄人兵団』なのは内緒だ!)。

話が小作りで淡い色彩なだけに、より登場人物の心情に共感出来易いってのもあるんですが、

…なんというかねえ…主役の2人、リリーとポールがそれぞれ抱えている大きな"心のスキマ"

それを4体の人形たち(お世辞にもかわええとは言えんもんなのになんかすげえかわゆー感じるのは何故?)とのふれあいを通して、

少しづつ何かに気づいて、近づいたり遠ざかったりしながら、最後にはお互いの存在に気づいて取り戻していく様ってのに、

観ていく内にヤバい位に引き込まれて、いつの間にか自分の心に空いた"心のスキマ"まで、涙と一緒にちょっとだけ、

埋めてくれるかのような…あたいだけなんかすぃらねえ…あたい乙女だからさぁ…うすす。

特にオードリー嬢の元ダンナ、メル・ファラー演じるポールっていうのがもう…萌えを通り越して、

今すぐ抱きしめてあげたくなる位の風情でねえ…。登場した時のびっこをひいた陰ありまくりの面差しからしてもう…。

将来を嘱望されたダンサーだったのに戦争で脚をやられ、仕方なく(なのかなあ…元々子供が好きなんよねえ…)人形芝居の世界に。

心に負った傷は深く、脚の悪い自分の体を否定し、心を否定し…いつしか人形に素直な真心をあずけて、

気難しい憂鬱な"半分男、半分いかさま師"になってカーニバルの巷をさ迷うように。

何とかして立ち直って貰いたいなあ…って、どんどんポールの事がほっとけなくなるあたい…。

キャロンたん演じるリリーもこれがまたねえ…。唯一の肉親の父親を失った事で、自分を本当に愛してくれる人をも失い、

明かりに誘われる羽虫の如く、女たらしのマジシャンのマークのような、うわべだけは優しくしてくれる男にふらふら…。

やっぱりほっとけなくってこれがまた。すれ違いながらのはがゆいはがゆい幸せ探し。

それが客商売の人形との対話=ポールの助言と励ましを通して、リリーは段々目が覚めるように、

自分の求めているものの答えに手が届き出す。それに連れて大人の愛がどんなものなのかも分かり出す。

最後には問う側と答える側が逆になり、ポールはついに"自分の言葉で"全てのからくりを話し、自分を曝け出そうとする。

「理解しろとはいわない、これは仕事だ」とのポールの苦し紛れの言葉に、「もう違うわ」と、

全てを悟ったかのように言い捨てるリリー。そしてまた再び当ても無くさ迷う道すがら頭をめぐるのは、

今まで自分を優しく見守り、励ましてくれた4体の人形たち。気がつけば人形はいつの間にか皆ポールに…。

始めは互いに戸惑い、悲しい顔をして消えていくポール。しかし最後には彼の思いに気付き、その胸の中へ…。

そんな2人の姿を陰から眺め、拍手を送る4体の人形たち…あたしゃただただ…。・゜・( ノД`)・゜・。ウワアアン!!

もうこのラストの人形の中の人がポールだと分かるシーン→『リリーと人形たちのバレエ』→エンドマークの3連コンボは、

ハッキリ言って観て泣かない人間は人間じゃねえと思う程の泣きポインツです。個人的には。

またバックの曲がねえ…。もおええっちゅうねんちゅー位しつこく流れてくる本作唯一のソングナンバー、

『ハイ・リリー・ハイ・ロー』。素朴でちょっと物悲しいメロディー。それが様々な形に展開されて、

通奏低音のように全編通して流れてきます。↑であんな事書いてますが、決して食傷になる事はなく、

見事に場の状況をこの曲1曲のやりくりのみで表現しきってるんですよ。テラスゴス!

勿論前述の『リリーと人形達のバレエ』も、基本的にはこの曲の様々な形の変奏曲の繋ぎ合わせです。

でもそれがとても効果的だし、本職のバレリーナのキャロンたんも本領を十分に発揮してますしね。

初め見たときは地味な踊りだなあとヲモタし、今でも技術的な事はイマイチピンとこんのんですが、

身体表現ってのがやっぱり上手いんでしょうかねえ?踊りを演技に直結さすって、こーゆー事なんかなーと?

まあこの辺りについてはこちらも本職の方のご説明を待ちませう…逃げちゃやーよ。


まあとにかくまだの方、だまされたとヲモて一度観て下さい。

絶対ガチで泣けます!…心に乙女を飼ってさえいれば。



求ム!この作品の愛好同志… : 映画『恋の手ほどき』(2)

2006年01月21日 19時29分12秒 | 映画鑑賞のーと

昨日は大寒だったようで…どうりでまた寒さが戻ってきたと思ったら…。

やっぱりストーブの一つや二つあった方がええんかねえ…?でもなあ…今更なあ…(´・ω・`)

…とっとと本題入ろ。相変わらず更新とびとびやけど…_| ̄|○


さてさて、『恋の手ほどき』についてですが、話については前回粗方書きなぐりましたので、少し視点を移してみませう。

やっぱりこの作品を語る上で欠かせないのが、ビジュアル面の圧倒的な完成度の高さでしょう。

元々ミネリ監督作品っつーのは、そういった映像の"絵画的な美"こそが一番の真髄やと思うんですわ。

もともと映像作品をまるで一幅の絵画のように演出するのは、ミネリ作品の際立った特徴なんですが

(それこそ『若草の頃』の時から、常套手段として"絵からのシーン起こし"なんて手法が使われてますし)、

この作品が最も徹底してるんじゃあないかなあ。同じ監督の同じパリを舞台とした作品として、

ご存知『巴里のアメリカ人』なる名作がありますが、それの特にラストの長ったらしいバレエシーン辺りのエッセンスを、

より発展させて全場面に拡大再生産してみたような感覚といえば分かり易いかなあ…う~ん…。

もう作品全てが、印象派の絵画から一場面を切り出して、そのまま活人画に起こしたかのような面持ちです。

例えばルノワール(最初と最後のブーローニュの森のシーンとか)、マネ(ジジの家の調度の感じとか)、

ロートレック(マキシム店内の様子とか)といった具合に、当時の名画家達のモティーフからの借景的な場面構成で、

この映画は作られてるんじゃないかなと思えましたね。それにフリード作品独特のファンシーでキッチュな原色の多用が、

上手く相乗効果を齎して、決して下品にはならないファンタジックな色彩の洪水が、スクリーン上に姿を現すわけです。

あんまりにもそのまんまなんで、ちょっとベタ過ぎな印象を受ける向きもあろうかと思われますが、

ベタでもここまで徹底させれば立派な映像芸術ですよ。今の映画でこんなんやったって却って白けるやろし。

つーか正直ムリでしょうなあ色んな意味で…。一度ミネリ監督・ポーター音楽(勿論ラーナー&ロウでも可)で、

ラーマンの『ムーラン・ルージュ』を映画化したらどうなるかしらん?なんて想像した事もありますが…。


そのラーナー&ロウの音楽もステキですよね。ナンバー的にはその殆どが『マイ・フェア・レディ』や『キャメロット』で馴染みの、

歌というよりは有節の朗誦に近い語り歌い的な匂いの強いものです。役者の個性に合わせてそれぞれのナンバーが、

ユニークに歌い崩されて、特にキャッチーなナンバーや歌い上げるようなナンバーはないものの、

全体的な世界観はカッチリしてて(そういえばややシャンソンっぽくもあるなあ…)、歌の世界がそのまま、

作品世界を雄弁に語ってくれてて面白いです。特にオノレ役のモーリス・シュヴァリエの酒脱な歌い口が素敵。

最初の『Thank Heaven For Little Girl』からして、そのまろやかで流麗な独特の節回しでメロメロ。

いたずらっぽい表情付けとか微妙にクセが強い感はありますが、それがまたええなあ。

何よりもあの神出鬼没の好々爺っぷりを追ってるだけでも楽しめますし。何気ない発言で物語を右から左に動かしたり…。

レスリー・キャロンのジジ。ここでは自慢のバレエは残念ながら全くなりを潜めておりますが、

個人的には踊って無くてもキャロンたんは好きなので無問題(てゆーかどうもキャロンたんの踊りの魅力が分からん)。

元となったストレート・プレイ版ではご存知オードリー・ヘップバーン嬢がジジを演じていて、

こっちでも彼女がジジを演じていれば…なんていう意見もありますが、個人的にはあそこまで整った容姿だと、

ジジを演じるに当たってはどうもリアリティがなあ…なんて思ったりしますのよ。汚れを落とせば美人のイライザとは違って。

あの歯むき出しの笑い顔とか、妙に目力の強いしかめっ面とか、たまらなくキュートなんやけどなあ。ジジらしくって。

ただ個人的にはここでのキャロンたん、どうもメイクとか髪型とか、オードリー嬢を意識してる臭い気も…。

歌い口もええよね。歌いまわしの短くて舌っ足らずな。突飛で落ち着きの無いジジの性格が良く出てる。

それを受けるルイ・ジュールダンのガストンがまた…。角度によっちゃショボくなったり、ヒゲの剃り跡が気になったりするものの、

まずはニヒルな面立ちと、それに似合わぬブキッチョさんっぷりが何ともモエス。

ほんまこの人ツンデレ演らせたら際限なくハマってくれるから大好き…(;´Д`)ハアハア

歌はシュヴァリエおぢぢからメロディーラインへの声の乗せ方の巧みさをやや減退させて、

艶を足したようなカンジかしらん。かなりよく似てるんだけどねえ。


あと、同じラーナー&ロウが曲作りに携わってることもあって、少し前に作られた『マイ・フェア・レディ』と、

この作品ってよく比較されて("おてんば娘への淑女教育"的な話のプロットの類似性もあいまって)、しかもその上、

"所詮『マイ・フェア~』の二番煎じ"みたいな評価の下され方をされるのですが…ハッキリ言って同じ社交界でも、

扱ってる世界(あっちは表でこっちは裏だし)が違うし、キーポイントとなるものも違う、何より原作者の性別からくる視点の違いは、

『マイ・フェア~』とこの作品の間の越え難い溝の大元ですもの。これって突き詰めれば作品の優劣というより、

イライザとジジ、どちらの物語に観ている人がより共感できるかっていうことの方が、作品の評価に反映されるのでは?

ただ悲しい事に、この作品の世界観の特殊さと、ジジの辿る道がどうにも今の日本人には理解され難い為か、

それがそのまま圧倒的な『マイ・フェア~』側の高評価につながってる点がちょっとねえ…(´A`)

自分は誰がなんと言っても『恋の手ほどき』派ですがねん。そりゃあ『マイ・フェア~』も好きだけどさ。


…なんか愚痴と弁解ばっかになってきたんでこの辺で締めさせて頂きます。



ミュージカルでもこーゆー作品が好き…。 : 映画『恋の手ほどき』(1)

2006年01月17日 23時18分09秒 | 映画鑑賞のーと

…今日はなんか冴えねえ一日やったなあ…。財布忘れて同僚から借りたなけなしの150円で、

昼はおにぎり2個と味噌汁だけで飢えをしのいだり…朝リンゴ1個しか食わんかったから、

まぢでキツかった…。朝昼食う量が足らんと夜の揺り戻しが絶対あるからなあ…。

我慢すりゃええだけの話ですね。ごめんなさい。


…っつーわけで、身辺がわびしい分華やかなもんでも観て心を和まそうと思って…

今回とりあげるのが『GIGI(邦題:恋の手ほどき)』だったりするわけです。あらすじはこちら。はいはい手抜き手抜き。


さてこの作品、どの解説書読んでもサイト見ても、"無邪気なおばあちゃんっ子のジジが社交界の花形になる為"云々…と、

当たり障り無く書いてございます。でもねえ…実はこの作品で扱われてる"社交界"っつーんは、

社交界は社交界でも"ドゥミ・モンド"(半社交界もしくは裏社交界の意)の事なんですのよ。

表の社交界と比べて、男の側の成金度は飛躍的に上がり、女に至っては、いわゆる"カタギの女"、淑女や貴婦人は姿を消し、

女性といえばギラシャラと飾り立てた"ココット"や"ドゥミモンデーヌ"と呼ばれる女性達ばかりです。

こういった女性達の生態についての概要は、てめえんとこの『椿姫』の項につらつら書いちょりますが、

そこで扱っている"クルティザン(高級娼婦。最もこれと前述の2語との違いは無きに等しいのですが…)"程には、

立場的なものが露骨ではないんですが(五十歩百歩やけど)、まあ大体がこーいった場所に出入りする、

黄金虫人士のおかこいさんになって生計を立てるような女性達だったわけです。

大体マトモな社交界に出入りする女性のお披露目をマキシムでするワケがねーじゃん!

他にもアイス・パレスとかシガーの選び方とか、そのスジの女性を連想させるキーワードが目白押しですし。


して、そんな世界に飛び込む事を運命付けられた(?)我らがジジ嬢なワケですが、これがまた…

家は少なくとも親子三代に渡る由緒正しいドゥミモンデーヌのお家柄(てゆーてええのか?ありえねー)。

祖母のマミータは裕福な貴族のオノレ・ラシャイユ氏と、かなりええセンまでいっときながら手が切れて

(トゥルビールで2人が再開して、暮れなずむ浜辺のテラスで歌う『I Remember It Well』の、

感傷的なムードの裏に潜む老練たる潜水艦ゲームの様子が何とも…最後に丸く収める所もまた大人)、

早い内にカタギになったと推測。んでその娘(ジジの母親)は、オペラ・コミークで端役で歌いながら、

パトロンを捕まえてそれを足がかりにのし上がろうと網を張ってる(こーゆー女優や歌手との兼業も、

ドゥミモンデーヌの常套で、ラ・べル・オテロやエミリエンヌ・ダランソンなんかが有名どころかな?

文学作品なら何と言ってもゾラの『ルーゴン・マッカール叢書』のナナでしょうなあ)けんども、

その始めの時点で未だ足踏みを続けなかずとばず。一族の出世頭はマミータの姉のアリシアで、

トルコのスルタンやらスペインの王様やらマハラジャやらと浮名を流した剛の者。

そしてそんなアリシアの夢よもう一度とばかりに、姉妹で結託してジジを一人前のドゥミモンデーヌとして、

大成させようと"恋の手ほどき"を必死になってレッスン中…といった具合なんでしょうねえ…。


しかしまあ、そんな風に大事に大事に育てられてる肝心のジジが、なんともおぼこい娘さんなワケで…。

いつでも恋をしてるパリジャンの気持ちが分からない!と、パリジェンヌにあるまじき本音を

往来でぶつける、なんともはみだし者な女の子。そしてオノレの甥でパリの黄金虫人士の花形であるガストンも、

実はそんなパリの風潮になじめず、何を見てもやっても退屈じゃーとこぼすはみだし者。

表面上はココットの中でも最上級の女リアン(このリアンを演ってるのが、実際に政財界の名士をとっかえひっかえして、

スキャンダルの中心に君臨し続けた、"ハリウッドの叶姉妹"ことガボール姉妹の妹エバ(つーか叶姉妹の方が、

日本の"ガボール姉妹"っちゅーた方が正しい?)なもんだから、そのバックボーンのリアルさは、

推して知るべしでしょう)を囲いながらも、ドゥミ・モンドの"お作法"についてはまるで興味が無く、

その道の玄人中の玄人である叔父のオノレに促されるままだったりする始末。

…最もそのお作法っちゅーのも今の時代から見ればまた何とも滑稽なもんでねえ…。

寝取られた女との手の切り方、男に去られた女の身の処し方、女と手を切った男の方の身の処し方なんてのが、

不文律ではあるものの事細かに規定されてるもんらしいんですわ…なんだかなあ…。

んでそんなはみだし者同士ウマがあう健全なお友達同士の2人が、ジジの女としての成長に歩を合わせるかのように、

互いの距離を縮めていくわけなんです。その距離の縮め方がまた不器用で…。変わり行く自分自身と、

それにより微妙に変わっていくガストンの自分を見る目に戸惑うジジ。ジジが落ち着きの無い、

はみだし者のおぼこ娘だから好きだった筈なのに、次第に彼女の女としての変化に心を惹かれ、

矛盾する二つの気持ちに戸惑うガストン、互いが互いを拒絶しあっては惹かれあいの繰り返し。

最後にはジジは自分の生きる道を受け入れ、その上で「惨めでもいいからあなたと一緒にいたい」とガストンに告白し、

ガストンの方もマキシムでのジジのお披露目で、オノレの茶々入れにいたたまれなくなって暫く夜道を歩いて考え込んだ後、

ジジの人生の全てを受け入れようとマミータにジジとの結婚を申し出て、全てはハッピーエンド…。

多くのドゥミモンデーヌと呼ばれた女性の辿った道から考えると何ともありえねえ甘さの結末なんですが、

そこまでに至る過程の描かれ方が繊細でねえ…話の流れに浸らせてくれるんですよ。

背景となる世界に目がいかないと単なる甘々の少女趣味のお話なんでしょうが、

流石ベル・エポックの権化ともいえる閨秀作家コレットが原作なだけあって、よく観返すと、

なかなかに練られた話なんですよねえこれが…


…って、気が付いたらこの作品のMGMミュージカルとしての楽しみ方やら演ってるひとについてやら、

殆ど書いてねえや。話の魅力ばっか語って。まあいいや。次回!



わしガワー様しか目に入らん、他の人のこと知らん。 : 映画『ショウ・ボート』

2006年01月15日 23時53分50秒 | 映画鑑賞のーと

ここ最近PC買い換えてから、何故かwindowsにデフォで入ってるゲーム群にハマってるワス…。

ソリティアとかスパイダーもだけど、何と言ってもピンボールが!

元々ピンボールが大好きなもので、どうしても見ると打ちたくなってくるの…下手の横好きでね。

しっかし最近ゲーセンとかでピンボールの筐体って見ませんが、どこいったんでしょうか?

味があって好きなんだけどなあ…でもテレビゲーム系のピンボールものも好き。

リアルの筐体じゃありえねーギミックとかがあるヤツが特にお気に入りだったりします。

昔PCエンジンやスーファミであったナグザットから出てた一連のシリーズものは最高。

『エイリアンクラッシュ』『デビルクラッシュ』『ジャキクラッシュ』…どれもサルのようにハマったわあ。

久しぶりにやりたくなってきたなあ…。


んでテレビに目をやると、某ピカリン氏のブログの影響なようなそうじゃないようなですが、

『ショウ・ボート』の51年MGM版なぞを観ております。いつも通りの手抜きのあらすじ紹介はこちら。

この作品、ミュージカルファンには言わずと知れた、ブロードウェイ・ミュージカルのエポックメイキング的作品で、

同時に作曲者ジェローム・カーンの最高傑作とも言われている古典的な名作なんですが、

この51年版、あっちゃこっちゃに手が加えられて、良くも悪くも完全なMGM風味の作品に仕上がってます。

オープニング、川向こうから姿を現したコットン・ブロッサム号の乗組員を目にしただけで、

恐らくもうそれは丸分かりなんじゃないかな?だって全員街中じゃまずお目にかかれない、

フリード指数100%の原色のお衣装でご登場なんですもの…。もうこれだけで勘のいい方なら、

この作品がどんな構成のものかまでおおよそ想像が付いてしまう位の。

案の定始まってから暫くは、いかにもなスターシステム丸出しのショウ・ストップナンバー大歌合戦です。

次から次へと登場人物が顔見世興行的にボリュームのあるナンバーを歌い上げていきます。

それもジュリーが船を追われるまでの40分強もの間延々と…。話の流れは完全に動脈硬化。


それもお歌いになるスターの方々が皆さんお上手なら、さして文句も出ないのですが…どうもねえ…。

特にキャスリン・グレイスンのマグノリアとエバ・ガードナーのジュリーがいけませんです。

前者は相変わらずの表情の無いオールドフォルムの金切り声歌唱だし(しかも登場時の衣装が…

年考えろと。コスプレやないんやから…)。後者は吹き替え、しかもその吹き替えられた歌自体が、

ふらついた歌い回しと押しの弱い高音…という何ともダメダメなもので。もっとマシなん使えと。

吹き替えは上手くて当たり前なんやから!当初の予定通りリナ・ホーン姐さんを使っとりゃあ…。

『Till The Clouds Roll By』で聴かせてくれた『Can't Help Lovin' Dat Man』のあの陰影に富んだ歌唱が、

何とも素晴らしかっただけに(しかもこのしとリアルで白黒混血だったりしますしねえ)…。

そんなに当時のアメリカの映画界は人種関係煩かったんでしょうか?謝罪と賠償(ry

まあ最もガードナー、見た目はいかにも場末の女優ってカンジの婀娜っぽさが良く出てたし、

特に後半、落魄した風情がとてもよく出てたから、それはそれで良かったんやけどねえ。

ラストの投げキッスが絵になること絵になること!…ケツアゴやけど。


まあでもどれだけこの作品をくそみそにけなしても、あたしゃものごっつ大好きなんですこれ。

だってワス的"抱かれたい映画俳優No.1"に輝くガワー・チャンピオン様が出て踊ってるんですものう!

あのシュッとした細くて長い足、はにかんだ笑顔から覗く白い歯、クリッとした小さな目…

フリード系原色衣装も、実際某浦安ネズミ帝国にいてもおかしくない位よー似合うし…。

ああ、萌え…(;´Д`)ハアハア

嫁のマージ(寝首かきてえ…)を相手のダンスも絶品ですし。MGM作品の大きな特徴としては、

歌中心の名作ミュージカルを映画化する際に、ダンスの大きな見せ場を入れ込むために、

わざわざ一部のナンバーをダンスナンバーに改変したりっつーことをよーやるんですが

(代表例として『キス・ミー・ケイト』なんぞをあげときませう)、ここでもいくつかその措置がとられてて、

特に後半の『Life On The Wicked Stage』なんぞが、結構規模の大きいデュエットダンスのナンバーに、

仕立て上げられたりしてます。これがもう…コンパスのような鋭角的な足捌きの見事さ、

隙の無いテンポの早い振りを完璧に踊りこなす息の合ったコンビネーション、そして何より、

まるでモノのようにマージをビャンビャン振り回す完璧なリフトがもうたまりまへん!!

しかも導入部の歌がまたポイントが高くて、ガワー様のコスプレがもう…似合わねー付け髭に萌え、

デビー・クロケットなカンジのカッコに萌え…もうどっちを見ても鼻血状態。歌の出来はさて置き…。

もう個人的には、この映画ガワー様で持ってると言っても過言では…。

一応↑の画像の左の人物がそれなんで、これ見て萌えた方には是非オススメの映画です。

…あんまりライバル増やしたくはないんやけどねえ(何の?)…。



クリスマスですもの…その1 : 映画『若草の頃』

2005年12月24日 15時29分10秒 | 映画鑑賞のーと

皆様今年のクリスマスは如何お過ごしでしょうか?あたしゃ独りよ。

元々独りで過ごすつもりだったし寂しかないの。自分で自分のプレゼントも買ったし。

新しいPCを一台ドーンと現金一括払いでね。もうすぐ届く予定よ。

これでウチのも最近の薄型ディスプレイになるし、OSも98からXPに大ジャンプアップ。

しかも漸くDVDを観る事ができるんですもの…今更だけどさあ。・゜・(ノД`)・゜・。 ウワアアン!!

今夜は酒飲みながらケーキ食いながらPCの設定いじりながら『明石家サンタ』見ながら…

忙しいのよ独りきりでも!決して負け惜しみじゃなく!…


そんな独り寂しい、いつもの週末と変わらないクリスマス時でも、

せめてムードだけでも味わいたいわあ…と、『若草の頃』なんぞを朝から観ております。

あらすじはまたいつものように別掲しようと思いましたが、その必要もないかなあ。

簡単に言うと、万博に沸く1903~4年のセントルイスを舞台に、そこに住むスミスさん一家の一年を、

次女のエスターを中心に、夏から春へと季節ごとに描いていった作品なんですのよ。

そんな作品がなしてクリスマスと関係があるかっちゅーと、それはこの作品が、

クリスマス・スタンダードの名曲、『メリー・リトル・クリスマス』の初出やからです。


しっかしこれ、↑で簡単に触れたあらすじの通り、当時のMGMのミュージカル映画としては、

ありえない位のシンプルさ。対上演時間比でみるとナンバーもかなり少なめだし、

何よりバックステージものでないせいか、ショウ・アップされたナンバーというものとは無縁。

てゆーか当時、バックステージもの=ミュージカル映画って認識がほぼ間違ってなかった時代

(まあそりゃこれの他にも、『オズ』のような名作も若干ながらあるけんどもさ…)に、

こんなシンプルな"家族の肖像"を描いた作品がミュージカルとして成立しえたのが凄い。

やっぱり一番の大きな素因は、少ない中で確実に見せ場を作るナンバーシーンの配し方の巧さと、

淡々としていながらも細かい変化を確実に折り重ねていく脚本の力なのかなあ…。


特にナンバーシーンの配し方は何とも言えん味があります。

登場人物が別個にふと口ずさむような形で反復して歌われ、最後にエスターとローズ(長姉)の、

ピアノを囲んでの2重唱で駄目押しされてすっかり耳に叩き込まれる冒頭の『セントルイスで会いましょう』

(それにしても何だかこの作品ってまるでセントルイス市観光局がいっちょかんでるかのような、

とてつもないセントルイスマンセーな作品ですなあ…)。そして前半のカジュアルなホームパーティー、

リールのバックで歌い接がれる楽しいメドレーナンバー。いつも通りのフリード&ミネリの、

あの原色バリバリのドレスの群れがたなびくのが暖かくも美しい。『オクラホマミキサー』や、

『アルプス一万尺』のようなベタなナンバーで、こんな躍動感溢れるカラフルなシーンを創るとは!

際めつけがこの後の『トロリー・ソング!』!!何の事無い路面電車での移動シーンなのに、

歌を付けてエスターの憧れの彼の登場のタイミングとを細工しただけで、あら不思議、

前半最大の見せ場に早変わり!!ミュージカルかくあるべしという感じの、誰もが納得のステキなシーン。


勿論これら舞台立ての部分がいかにしっかりしてても、中心となる主役がしっかりしてないと、

何とも映えないのは自明の事なんですが、そこはやっぱりホラ、エスター演じるのはジュディたんですもの。

しくじる訳が…それどころかレディーに脱皮間近の平凡な思春期の女の子を、

多彩な味わいを込めて演じてますし。計算だけが先走りすぎてどっかから回りしてる、

ちょっとはにかみ屋だけど明るい女の子。ちょっとしたハプニングや失敗を繰り返して、

いつの間にか輝くような明るさにエレガントさも加わった、大人のレディーの顔も垣間見せるようになって…。

『ザ・ボーイ・ネクスト・ドア』で見せる生硬い少女の面影は、『メリー・リトル・クリスマス』に至って、

まろやかな優美さのようなものに変わってしまうんですよね。髪型や服装のイメージも有りますが、

決してそれだけではない。ナンバーのイメージもあるのかなあ。

『メリー・リトル・クリスマス』って、改めて聴いてみるとかなりアダルトな風情の曲なんすよね。

どっかこう、成熟した女性が軽く昔を振り返りつつ、誰か(あるいは自分)に囁くように、

明日の幸福を言い聞かせているかのような。明るくクリスマスを祝うというよりは、

敬虔な気持ちで静かにクリスマスを祝うムードの曲ですね。

ひょっとしてこれが祝祭一辺倒の日本のクリスマスでイマイチこの曲を耳にしない理由か?


最後に一言、マーガレット・オブライエンたん演じる末娘トゥティたん、

かわええのはかわええんやけど…ちょっと死体や殺人に興味を持ちすぎじゃ…?

登場シーンの人形の葬式がどうのってセリフから始まって、

ラストシーンの洪水の記録映画で水が引いたら泥と死体がどっさりってセリフまで…

正直、あたしゃあの娘の行く末が心配です…(´・ω・`)




某氏のファンの方にケンカ売ってる訳じゃ… : 映画『ジーグフェルド・フォーリーズ』(4)

2005年12月18日 05時14分42秒 | 映画鑑賞のーと

昨日の記事を書き終えて、ご飯つくって食べ終わって、

ちょっとだけファミコン(文字通り)やって掃除せなヲモて窓開けたら…一面まっちろ。

たった2、3時間のうちに猛吹雪が吹いて雪が積もったようですわ。もーいや。

でもくじけず、あと一息、書いていきませう…。


*Limehouse Blues(これまたそのまんま)

アステア御大&ブレマー嬢のデュエットダンスナンバーその2。今回も力入った寸劇入りの凝ったつくり。

どっかのうらぶれたチャイナタウン、御大はそこでブレマー嬢扮する謎の美女に一目ぼれ。

彼女が目に留めた近くの古道具屋の扇。買うにゃ金が無い。ところが丁度都合の良い所に(?)暴動が起き、

店は巻き込まれて打ち壊しに。ドサクサに紛れてコソーリ扇に手を出す御大に流れ弾が当たり…

なんか意味あるんか無いんかワカランあらすじですが、大体こんなカンジなんですよ。

さて、舞台はチャイナタウンいいますが、モブな方々の中にロンドンの下町辺りの昔ながらの晴れ着

(『ミーマイ』とかでお馴染み(でもないか…)の、貝ボタンのいっぱいついたヤツ)を着た大道芸人がいるし、

多分エゲレス国内か、その植民地ないし租借地のチャイナタウンやろなと考えてみるテスト。

多分にややステロタイプな"恐怖の東洋"のイメージの色濃く現れたよな舞台立てですが、

正直ワスこんなん好きでね。九龍城砦とかあーゆー。どことなーくアヘンの煙の漂ってそーな。

今じゃ却って新鮮だし、寧ろ今の震旦自体アレだうわなにをあsdfghjkl;…

撃たれて昏睡状態の夢の世界だって、なんだかムダにサイケデリックだし。トリップしてます。

そしてそんな中での2人のダンスは、扇を使った非常にメリハリの利いたもの。

御大のダンスのイメージとは多少かけ離れちゃいるんですが、これはこれで面白い。

ダンスとしての質がどうのよりも、舞台立ての妙でブッとんでていいなあと思います。

お寝み前のハッキリしねー頭で観るとなお効果的(何が?)。


*A Great Lady Has "An Interview"(大女優へのインタビュー)

ここでいよいよジュディたん登場。とある大女優に扮し、なんかホスト臭い記者の群れから取材を…

つーか、この大女優様、どっからどうみてもジュディたんご本人にしか見えんのです。

かなりうわずった喋り方、せわしない目の動き・動作…完全にイッちゃってます。

なんか全部の言動がアドリブなんやないかっつー位、表情といいセリフ回しといい、

ヤバい位にイキイキしてるんですよ。挙句にあの時代を先取りしまくりのラップ歌唱でしょ。

編集でもしてんじゃねーかっつー位の超ロングトーン(そりゃアレ位ジュディたんには朝飯前だろうが)も、

バッチリ2発かましてますし。色んな意味でやり過ぎてて心配にはなってこないでもないですが、

個人的にはジュディたんの映画の中のあらゆるナンバーの中でも、特に好きなものの一つです。

その突き抜けすぎて不安すら覚えさせる暴走感が、このナンバーが余り人気の無い理由だとも思うんですが…

こーゆー病的なまでにディープなノリの方がジュディたんの持ち味なんじゃないのと考えるのです。

あ、でも…インタビューへのお答えの中で、"ベティ・グレイブル"とか"オスカー"とか出てくる度に、

意識してる意識してる…とついつい顔が( ̄ー ̄)ニヤリとしてしまう自分がイヤ。

ちなみに安全ピンの本当の発明者は、G・W・A・ボンウィルっつー歯医者さんで、

グレッチェン・クレマタント夫人っつーのはガチで架空の人物です。

ええぐぐって探しましたとも。実際に存在すると信じて疑わなかったのに…(´・ω・`)


*"The Babbitt And The Bromide"(凡人と俗人)

通常巷間ではこの作品の中の白眉といわれる、アステア御大とジーン・ケリー共演のナンバー。

でも、ハッキリ言ってあたしゃ好かんのんですよこれ。なぜって、それは…

踊りのスタイルがどう考えてもケリーのそれで、御大の持ち味が全然発揮されてへんからやー!

頼むから御大にガニ股でタップ踏ますな!

不用意に前傾姿勢とらすな!

意味も無くドタバタ走らすなー。・゜・(ノД`)・゜・。 ウワアアン!!

普通考えたらさ~あ、ケリーの方が御大のスタイルに合わすべきなんちゃうん?

片や既にBWでもハリウッドでも功成り名遂げた大スター。

片や実力はあれどもまだまだ名声確立の途上の若手のホープ。

若手力士が大横綱の胸を借りるシチュエーション…ホームとアウェイが逆や逆!

そりゃ御大もおもろなさそに踊るわなあ。笑顔も心なしか貼りついちゃってるしねえ。

前の方のコメント欄でも書いたけど、もしこれの振り付けがハーミーズ・パンで、

ケリーが振付いじる隙が一分もなかったら…ゆーても詮無い事ですがの。

まあやっぱ御大は、デュエット踊るなら女性とに限りまさぁな。


*Beauty(やっぱそのまんま)

事実上のフィナーレ。で…なしてお前やねんキャスリン・グレイスン!

ホンマやったらジェームズ・メルトンがオネーチャンのコーラス引き連れて歌う中を、

アステア御大とチャリシー姐さんとブレマー嬢が優雅に踊って幕…っつー、

非常にオールスターの大作に相応しいフィナーレやったのに…orz

何故こんな前の年に初ヒロインゲト(@『錨をあげて』)したばっかのペーペーのスターにこの大役を?

案の定古臭~い発声とハレーション起こし気味の金属質な高音がなんともかんとも…。

舞台立ては好きなのに…。泡の海を掻い潜るややモブっぽいチャリシー姐さん、

ゴールドのスカートがたなびくに任せて横たわって思い思いのポーズをとる、

一体どーゆー意図で配置されとんのか全く見当のつかんオネーチャン軍団…

このシュールさ!『Limehouse Blues』と並ぶ寝入り端のトリップナンバーなのに…。

ぶち壊しとまでは言わんけど、明らかに人選間違えてます。

つーかお願いだからDVD出すならフィナーレ差し替えてください。


…やっと書き終わった。

これ、参考に…なるわきゃねーか。

すいません。次回から話題変わりますんで。お許しを…。