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高慢とイジメ

2006-09-11 10:54:35 | 高慢の定義
いじめる人といじめられる人がいます。

いじめる人は、自分が「えらい」と思っているのかもしれません。
その自覚がある人、又は自覚がある時は反省するので、いじめないと反問できますが、多くのケースでは無意識に近い心理かも。
「何故そんなことをしたの?」
「あいつが生意気だったからさ!」
生意気≒高慢、と言葉を変えると分かりやすいですね・・・君も高慢だよね。

事の大小問わず(個人のケンカから国の紛争まで)、高慢が紛争の心理の、おそらく根であるかもしれません。自分の力に慢心しないで謙虚であることが、反省の美徳であることは周知のことであることからも。

「えらい」に漢字を当てはめることができないのは、偉い(立派で地位が高い等)と異なる意味で使われるように思うから。

「偉そうにする」「偉ぶる」などのように、その言動を批判する言葉があるにも拘らず、人はその気持ちをおそらく誰もが持つのかも。ちょっと罪は軽そうな言葉で「自慢」も、高慢の近所にいそうだし・・
高慢は嫌われる、と知っていながら、自分の高慢には気がつかない・・・

「弱いものいじめ」って言うけど、いじめる人は、力がある・・・?
しかし、体力、運動能力、知力、学力、親の経済力、自分の職業能力や経済力(成人)・・・これらが強いことが、いじめの主体となる原因・・・じゃないよね。
そういう客観的な力が弱いことのコンプレックスから強い人に攻撃的になる場合もあると思いますし、双方の高慢がぶつかることが紛争なのかも。
いじめの力は、自己保身の言い訳に使われる「言葉」の力・・・声の大きさと乱暴さの程度・・力じゃないか・・・

おおむね・・・、紛争の根には「高慢」がいつも潜んでいる。
紛争の当事者双方には見えないけど、第3者には見えやすい・・ちょっとironical

人には多くの力があって、イジメはその力の優劣の比較で起きることもある・・・とすれば、「相手の人権を尊重する」という「力」がないことと定義すれば・・。
「相手の人権を尊重する力は、他のあらゆる力より尊く、強い」となるのかな・・・。

「自立を目標として生きる。他人の迷惑や被害に依存する行為を自立と言わない」ということと合わせて・・・・・・



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