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ちょっと前の会話

2012-10-31 23:05:23 | 般若心経考
人はどうやってできるのか、精神と肉体、の肉体の方、物質でもいいんだけど、

精子と卵子、受精が始まり、いや、その精子と卵子はどうやってできたのか

成人男女の体が作りだしたもの…
成年男女の肉体はどうやってできた…
地球上の動植物を食事して体ができた…水と空気と光も必要だった
動植物はどうしてできた…
水と空気と光、地中の無機質、有機質、
動物もさらに小さな動植物を食して出来た…
逆から考えて
究極の分子や原子、そのまた微細な素粒子が始まりで結びついていく…
その結果が人間

例えば雲を見て、あれは水蒸気で、水の分子H2
であるとすれば…

何億年かは海水だった、何千年はヒマラヤの万年雪、シェークスピアの体に3日ほど
マリリンモンローの涙で8時間ほど、雲は100万回以上やってる…
人の体を通過したのも100万回以上ある

地球上の、いや、宇宙全体の、分子原子のさらなる微細粒子は
結びついて動植物になったり、死んで分解して、動植物に再吸収されて結びつく
結びついては分解を、延々と繰り返す
宇宙全体の微細粒子レベルでの量は変わらない

般若心経にあるように、「不増不減」増えることもなく減ることもない

それが、この世の物質、人、人の肉体である。。。




厭世観じゃなく厭生感?

2012-06-11 14:26:46 | 般若心経考
戦争や悪政、それによる飢餓の時代に、世の中に絶望する。
というようなイメージが厭世観なんですが、、、

衣食住足りて平和な時代に自殺や生きる力が乏しい症状が蔓延している。
世を儚んで、生きることに絶望するのではない。
世の中ではなく、競争に敗れて、自分が厭になって死にたい。。。と思うのだと思う。

世の中が混とんとして秩序もない、結果、自分の力で生きることが当たり前の時代と、
国家や政治などの体制が国民に利益をもたらす仕組みが高度化した現代は、
その体制、つまり世の中が生きることを保証してくれることが当たり前という考えから
「自分の力で生きる」意識が弱くなっている可能性がある。


自分が厭になる・・・コンプレックスとか自尊意識とかプライドが根なのか、失敗のリカバリーや救済システムがないことが根なのか、、、


例えば、
もちろん全てではないが、社会的地位や役割、財産や金銭で人生の評価がされていると見えます。または学業成績、職業能力、その根にある知識情報、表現力など、人は相対比較されて競争しているのである。
その競争に敗れる者が必ずある。
おそらく全ての人にプライド、自尊意識はある。
人から信頼されたい、愛されたい、という感情です。
どのように言いかえても、それも競争である。信頼度合い、愛される順序のようにである。

これだけ科学技術が発展しているのに
犯罪が多発している、
犯罪の原因を解明すれば予防も救済もできるはずなのに。
生きる力が弱まる精神症状が増加している。
このメカニズムと、予防と回復の社会システムなどは、
あって当然のように思えるが、
医療だけの仕事であるかのように、予防も救済方法も確立していない。

むしろこの社会全体の思考の硬直性にこそ、厭世観があり得るかもしれない。



「生きる力を強くする社会プログラム」
自殺も犯罪も、精神的症状も、、、その根は生きる力





五蘊の空論

2012-04-19 21:23:53 | 般若心経考
空論は空(くう)の論とでも言うつもりでしたが、ひねらないでそのまま五蘊が空論かどうかという思考をしてみましょう。


五蘊(色、受、想、行、識)
人を五つに分解できるという解釈ですね。
色は肉体あるいは物質ですが、人の肉体はどのようにしてできるか
精子と卵子が出会って生命が誕生するのですが、その精子と卵子はどうやってできるのか、
動植物を食べて人の体はつくられる。それだけでなく水や空気や太陽光も必要です。動植物はどうしてできるのかというと、同じように栄養素の摂取のための食でその体を作る。その食はまた同じように・・・
空想は・・・
宇宙全体の物質の分子や原子のさらに細分化できるすべての物質が何かの原因があって結ばれて生物となり、これも食物連鎖などの原因があって、最終的に人の肉体になる。
宇宙全体の分子や原子が縁があって結ばれて人の食物となるあらゆる動植物、太陽光、水や空気などが人の体に分子や原子まで分解されて吸収される。
逆に人が死ぬと、火葬などで再び分子や原子レベルまで分解されて大気中や地中に「戻る」。

人の体を作るたんぱく質や脂肪に感情や思考機能はない、が、その集合体である肉体も精神とは別のものである。精神は(受、想、行、識)いう感覚機能とこれを感じて思ったり知識として蓄積する、つまり知識や認識といった機能。


この精神というものが、肉体の死によってどうなるのか。

これは実際に確認できないし、生きているものに死んだ人が確認して知らせることも、出来るのかどうかということについても、出来ないとしか言いようがないのである。

説明として
物質は諸行無常、絶えず変化して同一の物体はない。これを空という、つまり色(肉体や物体)は空なのである。般若心経は受想行識亦復如是(精神もまた同じ)と続けて空と説明する。

私見ですが
精神は霊界で莫妄想(まくもうぞう)という境地であり続ける。
・・・といいなと