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人の見方:覚悟3

2011-01-06 18:25:16 | 人の見方
覚悟

死の覚悟とは、
命をかけて何かをするという状況かもしれないし、
恐れるものは何もない、という心境をいうのかもしれない。

哲学的な話として考えるのは、おそらく、うまくいかないような気がするので、
違う角度から、死を考えてみようとする場合、どうなるか。

家や家族の有形無形の状況が変化する・・・戦前と状況が変わる背景として
家族の生業である家業が変わる→先代の家業を引き継がない
→家業を維持する財産が分散→経済的利益が減少する→親子の繋がり希薄化

戦前までの日本であれば、産業構造の分類では
<総務省統計局『国勢調査報告』産業3大部門の区分>

第1次産業:農業,林業,漁業。
第2次産業:鉱業,建設業,製造業。
第3次産業:電気・ガス・熱供給業・水道業,運輸・通信業,卸売・小売・飲食店,金融・保険業,不動産業,サービス業,公務。

で、この3つの分類の就業者数推移をみると
    第1次産業 第2次産業 第3次産業
1920年  53.8%    20.5%   23.7%

2000年   5.0%    29.5%    64.3%

1920年以前ともなれば、1次産業の比率は高いはず

短絡的なんですが、ほとんどの家族には引き継ぐ家業がある時代です。
金銭的な相続がなくても、経済利益を生み出す家業を引き継ぐことは
その家と家族の紐帯( 血縁・地縁・利害関係など、社会を形づくる結びつき)
です。
その時代背景においては、親は親たり、子は子たり(孔子)という秩序ができる。
しかし、
家の長として親が親たりうるための家業や貯蓄もないという状況が、増加している。
子は子たりえなくなる。
十分な食事は当然、義務教育はその名の通り「親の義務」である。
それは間もなく高等学校、大学と義務(感)が広がり、就職のための各種負担は親の負担、結婚費用と新築費用も親が負担することが当たり前のような豊かさを情報拡散したものですから、高度成長期の成功者レベルを平均と錯覚したような感がある。
全体論として、
親子の関係モデルの再確認や自立の定義をして、家族関係を再構築しなければならない。

家と家族関係が崩れて変化することは、「死」が変わることかもしれない。
家の構成員である家族は、家族の老後と死についてイメージがあった。
相互扶助の仕組みは共通認識である。今は「あった」である。

何が未来予測なのか、漠然と見えてきます。
経済力がない親が子に介護されない社会を予測しなければならない。
経済力がない親は、子により高度な教育を与えられないから、
次の世代の親であるその子も低い所得となる比率が高いことは、歴史の学習です。

覚悟とは
家族の中でいかに死を迎えるのか、
家族が家族の死についてどのような共通認識を持つのか

経済的な理由で病気の手術を躊躇せざるを得ないなどの状況を想像すると
自殺とは言えなくても、死は人の判断で決することも、ある。

死を覚悟する前に、長生きの恐怖が新たに加わる。
信頼する家族がない、収入がない、貯蓄がない、肉体が老衰している
最低限の消費で何十年も生きなければならないかもしれない


そういう不安をイメージした場合
これを不可避のこととして覚悟した場合
人はどのように行動するのか

正義とか、良く生きるというような実践哲学や善行に
興味を持つようになるかもしれませんね

どうせ・・・だから、人さまに喜ばれるようなことして