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うろんな本屋の日常

本と本屋とその周辺

謹賀新年

2007-01-07 03:51:46 | 日記
もう、1月7日なのに、新年もないよなあ。
2ヶ月間もブログを留守にしていました。

書店は年末が忙しい。年始は荷物が入ってこないから忙しくない。
少なくともうちの店は。
それにしても今年は休みの巡り合わせが良いのか知らないけど、荷物が入ってこない。ようやく昨日入ってきたけれども、これでは棚がすかすかになってくるではないか。

書店だいたいどこも年中無休だが、出版社はどこもだいたい三が日は休む。というのは、取次が休みなので、流通がストップするから仕方ない。けれども、8日まで休みというのは、書店に勤める者にとっては、なんだかね。

さて、年明けで年末からたまりにたまっていた仕事は片づいて、棚を見る余裕が出来てきて、さらにはフェアを何個か考えることができた。というのは眉唾で、考えていたけど、毎度のことながら煮詰まってしまった。
担当する人文書のフェアを考えるのは簡単ではない。もちろんどんなジャンルも試案を巡らせるわけだけど。
今回考えていたのはイスラム関係のフェアと、プロセミックス(文化変容だっけ)のフェアなんだけど、なぜか、同じような著者の本がどんどん集まってくる。意識しなくても、あ、あの本もこの本もとかいいだすと、なんだよ結局ここにたどりついちゃうのかよ。

「言葉」に束縛されてしまう。

そういう感覚に陥る。どのフェアにも内田樹の本が入り、中沢新一の本を入れたくなる。構造主義ではないけど、フェアのテーマを理解するにはこう理解して欲しいという僕のバイアスがかかって、「理解の仕方」を示すためにそういう人の本を入れてしまいたくなる。だって面白いんだもん・・といえばまあそれまでなんだけど、そんなんで良いのかとも思う。
自分の思考方法を抜け出す本が出てくると、気持ちイイ。
それは思想とかそういう範疇だけではなくて、小説もあるだろうし、思わぬジャンルに眠っているのだろう。

そう思うと、世の中には自分が巡り会っていない本が無限にあると言うことが分かり、自分の無知を恥じ入るのである。

今年2007年、そういう本に格闘を挑もうと思う。

こまったこまった

2006-10-30 05:50:48 | 日記
ポケット六法の売れ行きがかんばしくない。こまった。

最近あんまり本が読めてない。こまった

依頼された原稿がかけない。こまった。

日ハムから小笠原と、ヒルマン監督が抜けそうだ。こまった。

困ったことばっかしかおもいつかないのが一番困るよね。マイッタネ。

やったね 日本ハム優勝!!!!

2006-10-13 08:29:53 | 日記
いやいや、やりましたよ。

25年ぶりっても、それは僕が生まれた年なので、もちろん知らない。
うれしい。テレビもその映像が流れるチャンネルに替えてしまう。何度見ても
うれしい。目頭が熱くなる。こんなにテレビで日ハムが流されることはなかったし、新聞でスポーツ面全面にのることもなかった。すごいねえ。すごいなあ。

札幌のファンがうらやましい。あのマイナーなチームがあんなにファンに囲まれてる。それもすごくたくさんの温かいファンだ。ファンがビールかけまでしてるし、本当に選手とファンが間違いなく一体となったチームだ。間違いなくファンが育てたし、選手もがんばった。日本ハムは札幌に移ってよかった。
めでたい。めでたい。

やったね。ほんと泣けてくるよ。

日本ハム首位

2006-09-19 05:36:22 | 日記
なにを隠そう、プロ野球では広島にいながら日本ハムファンである。(生まれは広島ではないから広島の必然性はなくて、周りは巨人ファンばかりだった。)
これをいうとよくなぜまた日ハムファンなのかと訝しがられるが、昔から
そうなのだ。何となくといえば何となく、新庄が入る前の、小笠原がまだいない、片岡がまだ、日ハムにいて、田中幸雄が頭角を現す前の、西崎幸広が全盛だった時期からファンである。
といっても、結果が気になって、勝ったらとてもうれしいというぐらいのゆるいファンです。
なんといってもマイナーなチームで、いまでこそ北海道をフランチャイズにしているから、メディアへの露出も高くなってきたけれども、これまで、なかなか報われない日々を送ってきた。巨人とともにひそかに東京ドームで、なんせ、81年から優勝をしていない、目下全球団で一番優勝から遠ざかっているチームである。ただ、ときどき2位にはなるからそこそこ力はある。数年前もビッグバン打線って言われてたし。

で、今年はとても強い。
例年になく強い。僕のみた中では過去最高の強さではないかとおもう。
投手陣が良い。日ハムは外国人補強がとてもうまい。いまはセギノールだけど、オバンドーとか、ブリトー、ウィンタース!!とか(もう笑ってしまうくらい懐かしい。)ホームランをスコンスコン打つ外国人がいた。打線は良かった。でも投手陣がダメで、先発のコマが揃わないとか、中継ぎがさっぱりとか、まあ、悲しくなるくらいだった。でも今年は違った。新人がすごい。ダルビッシュ、八木の活躍は目覚ましいものがある。金村も頑張ってる。(あとは田中くんが入れば、日ハム黄金時代がやってくるに違いない。)毎年、防御率4点台でうろついていたのに今年はなんと3点前半。やはり投手がいいと成績も違うらしい。

そして、昨日、ついに首位である。9月はいってほとんど負けてないんじゃないかというぐらい毎日勝っている。いつも結果を知るのは帰ってからのスポーツニュースだけど、選手がとても生き生きしとていて、こっちまで気合いが入ってくる。楽しんでるというとなんだか軽いけど、力強い野球をしていと思う。プレーオフがあるから優勝はわかんないけど、1位通過となれば優勝がかなり目前に迫ってくる。
1位通過を心から祈っている。

ヒロシマにいるということ

2006-08-15 06:48:26 | 日記
終戦記念日。

昨日「原爆災害」(岩波現代文庫)を読み終わり、知らないことがあまりにも多くて、広島に住みながら乏しい知識に恥ずかしくなった。

去年は「夕凪の夏桜の国」で、被爆者の心の痛みが自分なりに理解できた。(もちろん、それがおこがましいこととはしりつつ)
考えてみれば、原爆を落とした国アメリカに対して大きな反発が見られないのはなぜだろうか。反米感情はおおきくてもおかしくないのだ。
夕凪でわかったのは、それは「生き残ってしまった」という悔恨ゆえでなかったかということだ。反米という憎さよりもあまりの衝撃に自分を責めてしまうこと。
なにか、ホロコーストに通じるところを見てしまうのである。

ホロコーストのあと、おおくのユダヤ人が沈黙したのは、自分だけ生き残ってしまったという悔恨だった。
哲学者のレヴィナスはナチの支配下で、収容所生活を送る。しかしそれは比較的たえやすい収容所生活だったようだ。しかしその比較的耐えやすい収容所生活を送っている間に、アウシュビッツやダッハウではユダヤの同胞が死んでいった。
それにはレヴィナスに責任はない。しかし、「『私には関係がない』と言うことができない」(内田樹「他者と死者」せりか書房)

被爆者も同じように、たまたま建物の影になっていて、爆心地から離れていて、生き残ることが出来た。しかし、生き残った人たちの多くが家族、友人を失ったのである。自分のせいではない。けれども、自分に関係がないとはいえない。

そうして生き残った人たちの思いは察するにあまりあるのである。
そして、平和や核廃絶をこうした思いなしに語られることにどこか薄っぺらさを感じてしまうのである。
だからこそ被爆者の声はとてもおもいのだ。

そして、今回の「原爆災害」は、具体的な被害の状況や原爆直後の様子などがデータとして語られるため、被爆者の声がより説得力をもつものとなった。
例えば、原爆で家族を亡くした人がとてもおおいのは想像がつくが、広島の場合、5人家族の場合は約3人を失っている。家族を失い、その上、自身はは原爆症に苦しめられる。
それぞれのデータがあまりにも大きくて、感覚が麻痺してしまう。そもそも、約30万人の人口で死者15万人(正確なデータはないらしい。15日後の8月20日に死者行方不明者あわせ45500人、死者は死体処理数、11月までに9万人)とはいったいどういう被害であろうか。
想像がつかない。その想像がつかないことに対して、やはり僕たちは知る努力をしなければならない。そうしてその情況を思い浮かべなければならない。そして、今後そう言うことが二度とおこらないようにしなければならない。
そうしないと死者は報われない。

そしてそれは戦争全てに言えることなのだ。

連休

2006-05-06 18:15:37 | 日記
久しぶりの連休。

世はゴールデンウィークだけれど、小売業の我々は、関係なく、お仕事である。
年末年始、お盆、GWはかき入れ時だから、それはそれで楽しいけれど、ただ
周りが大型連休というのをきくと、ちょっと悲しくなる。休み欲しいなあ。

まあ、いいや。

すこし遠出をしようかと思っていたけど、あまりに眠たくて中止。明日がんばる。
さらに、今日は雨である。昨日まで天気良かったのにね。

今日は読書をするでなく、どこかに出かけるでなく、緩慢な休日を過ごしている。
目の前で奥さんは、通販雑誌を鼻歌混じりで読んでいる。

そういえば、先日、三段峡に行ってきた。

昼から出かけて、15時前に(入口に)着いたんだけど、そこからながく分け入っていくのを知らなかった。だいたい、夕方前からあんな場所に入っていくものではない。汗をかきながら、2時間ほどで5キロほど歩いた。
景観は見事と言うほかない。峻険な山々から流れ出る水も澄みわたっていて、場所場所で魅せる滝や水の流れには圧倒される。鳥の鳴き声や、わらび、ぜんまいなどの山菜もそこかしこにはえていて、ここが同じ広島かと思わずにはいれなかった。
思いのほか歩くことになったのだけど、満足。
次は一番奥までいってみよう。きちんと準備して朝から出かけないと。

山歩きに目覚めてしまったらどうしよう。

体操服の夢

2006-03-21 04:32:17 | 日記
夢を見ても、起きた瞬間に忘れんだけど、ここのところ、たまに決まった夢を
見ることがあって、自分でもとても不思議である。

それは体操服の夢。
高校生の時、体操服と忘れたり、着替えるのが遅いと、先生に怒られていた。
といっても、僕自身がそんなに怒られた記憶はない。

夢の中ではきまって体操服を忘れている。
時間割が上手く確認できていなくて、鞄の中身は昨日と同じで、ほかの
教科書も忘れてたりする。
そして、弟に借りにいく。弟とは同じ高校だった。
弟の体操服はだいたい汗でぐしょぐしょで気持ち悪い。
そして授業がはじまる前に目が覚める。

昨日は、僕も弟も体操服を忘れていて、なぜか弟がタクシーで家まで取りかえるという夢だった。

それから似たよう夢では理科や数学、英語の授業で宿題を忘れている(きまってやってない)とか。
そういう困った夢で、起きて、あー俺、社会人だーとほっとする。
こうゆう夢はちょっと疲れる。
これは会社に遅刻するーという夢をみて、起きた瞬間、なんだ今日休みじゃん
とほっとする心境と似ている。

なんだろう。
共通するのは
・やらないといけないことを忘れている。
・忘れている授業の先生がどの人も怖かった。

てことは、今の仕事で
・なんだかわかんないけど、なんかやってないことがある。
・怖い上司がいる
てことか?
でも、怖い上司もいないし、とくに仕事をとちってしまってるわけでもない。
(だいたいいいかげんだけど)

わかるようでわからない。

でも、なんでこんな夢を見るんだろう。
一回二回ならいいけど、何度もみる。
不可解きわまりない。

ちょっと山口まで 宮本常一巡礼

2006-02-22 04:09:44 | 日記
なにを隠そう、宮本常一のファンである。
ってだれ?と思う人も多かろう。
敬愛すべき宮本常一(1907~1981)とは民俗学者であり、佐野眞一氏の「旅する巨人」(文藝春秋)で書いているとおり、文字通り日本を歩き回り、かの渋沢敬三から「日本列島の白地図の上に、宮本くんの足跡を赤インクで塗りつぶせば、日本列島は真っ赤になるだろう」と言わしめた旅する民俗学者であった。
主著は「忘れられた日本人」。岩波文庫から出ていて(未来社の宮本常一全集にもある)、岩波文庫の中でも人気の高い一冊である。

さて、その常一さんは研究者のあいだよりも庶民の間で人気が高い。そして今静かなブームになっている。先日「「忘れられた日本人」の舞台を旅する」(木村哲也著、河出書房新社)という本がでた。


著者は山口県の周防大島(常一さんの故郷)にある「周防大島文化交流センター(宮本常一記念館)」の学芸員さんであり、この人は僕なんかより数段上の宮本ファンである(研究されているからファンというと失礼か)。まだ若いらしい。
その本を読んでいると、どうしてもむずむずしてきた。周防大島に行きたくなったのだ。たまたま連休だったこともあって、「そうだ周防大島へ行ってみよう」と本屋のバイトの子と飲んで帰ったあとに(飲んだ勢いか)思い立って、昨日行ってきた。これが2回目の来訪である。

周防大島は僕の住む広島からそう遠くはない。車で2時間も走ればついてしまう。
高速で玖珂ICまでいって(大竹ICから下道走ってもそう変わらないことを帰りに発見)、南に下る。周防大島は山口、広島、愛媛にはさまれた大きな島で、瀬戸内海では淡路島ついで2番目(小豆島に続いて3番だっけ?)に大きな島である。地図でみると横にに細長くてタコのような島だ。
昨日は天気が良くて、旅には絶好の小春日和。周防大島はきれいだった。海があおく、雰囲気ものんびりしていて、世の中はそんなに悪くないように見える。

目的地は周防大島文化交流センター。特に宮本の遺品があるわけではない。写真パネルや民具。常一が使っていたカメラなどの旅用具(この人の遺品は本当に旅道具しかない)、常一さんの著書がならべてある。平日だから見学している物好きは僕しかいなかった。木村さんがおられたらちょっとお話でもできたらと思ったがどうやらおられなくてちょっと残念。また今度のぞいてみよう。
特集は「長州大工」。この大島では江戸時代に人口が爆発して農業だけでは生きていけなくて次男、三男は大工として身を立てるものが多かった。その長州大工が四国高知に出向いて、立派な建物を建てていたという面白い話がある。長州と土佐の関係?なんて想像を巡らせるが、高知のほかにも、四国全体、九州、美濃など求めるところがあればどこにでも行っている。その高度な技術は田舎のおっちゃんとなめてはいけない。釘を使わないで木々の組み合わせで骨組みを作るという知恵は、建物を長続きさせる合理的な方法だし、それはまた非常に美しい。その一つ一つの組み合わせが展示されていたのだが、よくもこんなのを・・という、そのノウハウの蓄積にはただただ驚かされる。「手持ちのもの」を使っての「ものを作る」というのは、何かやりたいことがあっても、あれがないこれがないと断念してしまう自分に大きな示唆を与えてくれる。昔の人の知恵に教わるべきことがとても多い。

そんな風土を持つ大島。その息吹を肌で感じながら、また明日から仕事を頑張ろうと勇気づけてくれた。

ブログというものをやってみる

2006-02-13 06:07:08 | 日記
本屋である。
目立たない地方の本屋で働いている。
本は売れない。いや売れているだろうと言う向きもあろう。
売れている本はほんの一部で、テレビで紹介されたり、書評にのったり、有名作家だったりする場合以外はほとんど売れない。
本屋にはいい本がたくさん眠っている。そんな本が売れないと言う理由で返品される(新刊のうちは基本的に返品できちゃうのである)。誰も知らないうちに絶版になる。
悲しいかなそんなもんである。
だからこのブログでそんな中から良書を発掘してやる!なんてことはこれっぽちも考えてはいない。難しいことだ。それは過って落としちゃったコンタクトレンズを探すよりも難しいことかもしれない。
けれど、自分が好きな本やら本屋の実に地味な日常を書いていきたいと思っている。

我ながら偉そうな前口上である。
正直なところまだぺーぺーの本屋だし、読書量もたいしたことはない。
好きな作家は村上春樹とそれに関連する外国文学。国内小説も読む。
最近の流行は内田樹。
内田さんは本もたくさん出されてるけど、ブログもすこぶる面白くて、僕は毎日読んでいる。いわば、それに触発されて(というと失礼か)ブログを始めることになったのである。
読書日記いちいち付けるのめんどくさいけど、ブログだったらできるかもしれないと思って。

今日の読書:町田康「告白」中央公論新社(遅々として読書中)