いや、僕は全然読めるけど。
まわりの同僚たちに村上春樹をどれくらい読んでいるか聞いてみると、意外と読んでいないことが多くてがっくりくることが多い。もちろん、読んでなきゃいけないわけじゃないし、読書は個人的なものだと春樹さんも言っている。
先日、「村上春樹の本をいろいろ読んではみるんだけど最後まで読めない」という上司がいて、村上春樹談義で盛り上がった。
その人が言うには「村上春樹には幻想的なところがあって、そこが受け容れられ」ず、「ページをめくるごとまたかとがっくりくる」らしいのだが、それはその人の小説の趣味だから、つまらないものを僕が「そんなはずはない」と否定するつもりはないけれども、そこが面白いんだけどなあと思う。
それでもその人は、村上春樹は長いキャリアの中で質が下がらない、日本でもまれな作家だというから評価自体は高い。
じゃあ、なぜ読めないのかというと、「よく分からないものが怖いからではないか」と結論づけた。だから宗教的なものは信用ならないらしい。幼児体験という無茶苦茶な結論だけど、仕方ない。
村上春樹は「よくわからないもの」が世界を操っているのではないか(僕は知らない誰かに操られているのではないか)、という世界観があって、それがわかりやすい陰謀論とも考えられるし、いやいやもっと深い人間性の話だ、とか世界のメタファーなんだとかまあいろいろ解釈のしようがあるけど、結局のところ、村上文学の魅力は「よくわからない」ところではないか。よく分からないことに魅力を感じるのは知りたいという好奇心ではなくて、どうしても世の中には分からないことがあるんだという、自己相対化であって、どれだけ科学が発達してもわからないことはたくさんある。よく分からないものを無視しないことは最近流行っている。(茂木健一郎がよくいうクオリアだってそうだろうし、内田樹が書いていることはまさにそうだ。)だからといって、宗教的な何かを頼りにするとか、善悪二元論の世界に持ち込むわでもない。善を賛美せず、悪を糾弾しない。
僕はそう言う話に共感を持つ。その柔らかさというか、ふにゃふにゃだけどなんだか信じることができる文章には独特の魅力がある。世界中で読まれるのは「なにか」あるんだと思う。考えてみれば物語とは逆説的に「世界はそんなに単純じゃない。だまされるなよ」というのを僕は村上文学から教わっている気がする。
と書きながらも自分で納得が出来ない。「こんなに簡単じゃない」と思ってしまう。それがきっと村上春樹を読み続けてしまう原因なんだろう。
まま、なんといっても同時代に同じ言語で村上文学を体験できるのは一つの幸せと言ってもいいだろう。
まわりの同僚たちに村上春樹をどれくらい読んでいるか聞いてみると、意外と読んでいないことが多くてがっくりくることが多い。もちろん、読んでなきゃいけないわけじゃないし、読書は個人的なものだと春樹さんも言っている。
先日、「村上春樹の本をいろいろ読んではみるんだけど最後まで読めない」という上司がいて、村上春樹談義で盛り上がった。
その人が言うには「村上春樹には幻想的なところがあって、そこが受け容れられ」ず、「ページをめくるごとまたかとがっくりくる」らしいのだが、それはその人の小説の趣味だから、つまらないものを僕が「そんなはずはない」と否定するつもりはないけれども、そこが面白いんだけどなあと思う。
それでもその人は、村上春樹は長いキャリアの中で質が下がらない、日本でもまれな作家だというから評価自体は高い。
じゃあ、なぜ読めないのかというと、「よく分からないものが怖いからではないか」と結論づけた。だから宗教的なものは信用ならないらしい。幼児体験という無茶苦茶な結論だけど、仕方ない。
村上春樹は「よくわからないもの」が世界を操っているのではないか(僕は知らない誰かに操られているのではないか)、という世界観があって、それがわかりやすい陰謀論とも考えられるし、いやいやもっと深い人間性の話だ、とか世界のメタファーなんだとかまあいろいろ解釈のしようがあるけど、結局のところ、村上文学の魅力は「よくわからない」ところではないか。よく分からないことに魅力を感じるのは知りたいという好奇心ではなくて、どうしても世の中には分からないことがあるんだという、自己相対化であって、どれだけ科学が発達してもわからないことはたくさんある。よく分からないものを無視しないことは最近流行っている。(茂木健一郎がよくいうクオリアだってそうだろうし、内田樹が書いていることはまさにそうだ。)だからといって、宗教的な何かを頼りにするとか、善悪二元論の世界に持ち込むわでもない。善を賛美せず、悪を糾弾しない。
僕はそう言う話に共感を持つ。その柔らかさというか、ふにゃふにゃだけどなんだか信じることができる文章には独特の魅力がある。世界中で読まれるのは「なにか」あるんだと思う。考えてみれば物語とは逆説的に「世界はそんなに単純じゃない。だまされるなよ」というのを僕は村上文学から教わっている気がする。
と書きながらも自分で納得が出来ない。「こんなに簡単じゃない」と思ってしまう。それがきっと村上春樹を読み続けてしまう原因なんだろう。
まま、なんといっても同時代に同じ言語で村上文学を体験できるのは一つの幸せと言ってもいいだろう。
よく分からん!って思うけど、それが魅力ですよね。うまいこと言いますね~☆
「よく分からないけど、いい」ってのは、じれったいけど、実感としてわかります。
それを言葉にしようとさらに本を読んだりするわけですが、その良さについて、たとえば、「青春の喪失がよく描かれている」なんで評価しちゃうとそこで終わっちゃうよなとも思います。「言葉に出来ないこと」はそんなに悪いことじゃないと思います。
まあ自分には読めなくてもその作家のよさがわかる人がここにいるのでそれでよいと思います。