日本の出版社の数はいくらくらいあるのだろう。千は超えるだろう5千くらい?詳しくは分からないけどとにかくたくさんある(調べてみるとやはり5千くらい。主なところでも多分500社位はありそう)。
まあ、とにかくたくさんあるわけだけど、出版社にも当然だけど、特性がある。好き嫌いもある。法律が強い出版社とか、詩専門とか、建築書だけとか、はたまた、ほぼどんなジャンルも網羅する出版社とか様々である。だから、書店員は版元で本の出来具合を判断したりもする。「この版元なら信用出来るな。よしよし、長くおいとこう。」「また、こんなくだんねえ本だしやがって、返そう」とか、何を出しても「良い本だなあ」と思う出版社もあれば、何を出しても・・・。あんまり版元(出版社)に聞かれたくないようなことをぶつぶつつぶやきながらやってます。
ときどき、柄でもなく良い本出すじゃないと思うこともあって、それで、その版元を見直すこともある。「どうも良い編集者がいるな」とか想像したりする。
前も書いたけど新刊の量がばかにならないから、すべて棚に詰めていくとすぐにパンパンになる。何かを返さないと入らない。今そう言う現象が大きいのは新書だろう。何せ新書創刊ラッシュ。来月から朝日新書(朝日新聞)もはじまるそうです。
そんなに新書はうまみがあるんだろうか。700円くらいで、売れてもそんなに利益が出ない。新書(教養新書だけ)で月に50点以上新刊が出るけど、当たるのは月に1点あるのかな。最近ヒットしてんのは「美しい国へ」(安倍晋三、文春新書)だけど、これも発売は7月か。そんなにどれもこれも売れませんよ。ただ最近のベストセラーはほとんど新書なはずで、多分、去年一年間ならベストテンのうちほとんどは。。新潮新書みたいなことになってんのかな。
新潮は文芸書はとてもいいのをだすのに、新書になると俄然売ることに命を賭けたような本しか出さないから分からないものだ。その辺がしたたかと言えばしたたか。
新潮以外では岩波、中公、講談社現代新書は老舗だから、質は高く。筑摩書房は版元の特性からか質の高い本を出しながらヒットを飛ばす(ちくまプリマー新書はすばらしい企画だと思う)。集英社、光文社は装丁が似ていて探すときに困るのだが、集英社はアマルティア・センの著作をいろいろ抱えてる。
PHPはとにかく「数」の勝負で、これは青春も同じ。
この中で、ときどき、「おっ」と思うのを出すのは光文社である。期待に反してというと、失礼だけど。
先月も「日本とフランス 二つの民主主義」なんて渋い本だしてるし、仲正昌樹や丸川哲史(ともに思想系)なんて人たちも入っている。そういえば、さおだけ屋もここか。なんだか隠れた優等生。
で、その光文社が(ここからが本題)、また僕たちを驚かせる。
「古典新訳文庫」なるものを創刊である。
名作といわれる
翻訳作品の読書を
途中で断念してしまった
ことはありませんか?
(パンフレットより)
やや、なかなかくすぐる。
そして、ラインナップをみてびっくり。
そうそうたる翻訳者のかたばかりである。はっきりいって見くびっていた。光文社って翻訳作品を単行本ではあまり出していないはずで、そういった下地のないままにこんなことができるなんて、驚き以外のなにものでもない。例えば、フランス文学でいま一番読みやすい訳を書くであろう野崎歓氏(「ちいさな王子」)。同じく中条省平氏(バタイユ「目玉の話」)。
それからロシア文学者で、この人のドフトエフスキーを読みたかった人が多いはずの亀山郁夫氏(「カラマーゾフの兄弟1(全4巻))。それから難解な哲学をわかりやすく説くことで人気の中山元氏(カント「永遠平和のために」)。
いやいや、くらくらするぐらいすごい。
まさに、「いま、息をしている言葉で。」名作が読めるのは、なかなか良いですよ。岩波、新潮で挫折したなら、これはいけるかも。朗報といってもいい。
早速、亀山カラマーゾフを立ち読みしてみましたが、これがなんとも、読みやすい。文章がなんか若い(というのが正しいのか新潮の原訳に慣れ親しんでいたので)。それがまた嫌な感じがしない。なんかもっと発見がありそうな訳なので、買うかどうか悩んでいる。読み比べも楽しそうだし。
光文社がんばれ。
まあ、とにかくたくさんあるわけだけど、出版社にも当然だけど、特性がある。好き嫌いもある。法律が強い出版社とか、詩専門とか、建築書だけとか、はたまた、ほぼどんなジャンルも網羅する出版社とか様々である。だから、書店員は版元で本の出来具合を判断したりもする。「この版元なら信用出来るな。よしよし、長くおいとこう。」「また、こんなくだんねえ本だしやがって、返そう」とか、何を出しても「良い本だなあ」と思う出版社もあれば、何を出しても・・・。あんまり版元(出版社)に聞かれたくないようなことをぶつぶつつぶやきながらやってます。
ときどき、柄でもなく良い本出すじゃないと思うこともあって、それで、その版元を見直すこともある。「どうも良い編集者がいるな」とか想像したりする。
前も書いたけど新刊の量がばかにならないから、すべて棚に詰めていくとすぐにパンパンになる。何かを返さないと入らない。今そう言う現象が大きいのは新書だろう。何せ新書創刊ラッシュ。来月から朝日新書(朝日新聞)もはじまるそうです。
そんなに新書はうまみがあるんだろうか。700円くらいで、売れてもそんなに利益が出ない。新書(教養新書だけ)で月に50点以上新刊が出るけど、当たるのは月に1点あるのかな。最近ヒットしてんのは「美しい国へ」(安倍晋三、文春新書)だけど、これも発売は7月か。そんなにどれもこれも売れませんよ。ただ最近のベストセラーはほとんど新書なはずで、多分、去年一年間ならベストテンのうちほとんどは。。新潮新書みたいなことになってんのかな。
新潮は文芸書はとてもいいのをだすのに、新書になると俄然売ることに命を賭けたような本しか出さないから分からないものだ。その辺がしたたかと言えばしたたか。
新潮以外では岩波、中公、講談社現代新書は老舗だから、質は高く。筑摩書房は版元の特性からか質の高い本を出しながらヒットを飛ばす(ちくまプリマー新書はすばらしい企画だと思う)。集英社、光文社は装丁が似ていて探すときに困るのだが、集英社はアマルティア・センの著作をいろいろ抱えてる。
PHPはとにかく「数」の勝負で、これは青春も同じ。
この中で、ときどき、「おっ」と思うのを出すのは光文社である。期待に反してというと、失礼だけど。
先月も「日本とフランス 二つの民主主義」なんて渋い本だしてるし、仲正昌樹や丸川哲史(ともに思想系)なんて人たちも入っている。そういえば、さおだけ屋もここか。なんだか隠れた優等生。
で、その光文社が(ここからが本題)、また僕たちを驚かせる。
「古典新訳文庫」なるものを創刊である。
名作といわれる
翻訳作品の読書を
途中で断念してしまった
ことはありませんか?
(パンフレットより)
やや、なかなかくすぐる。
そして、ラインナップをみてびっくり。
そうそうたる翻訳者のかたばかりである。はっきりいって見くびっていた。光文社って翻訳作品を単行本ではあまり出していないはずで、そういった下地のないままにこんなことができるなんて、驚き以外のなにものでもない。例えば、フランス文学でいま一番読みやすい訳を書くであろう野崎歓氏(「ちいさな王子」)。同じく中条省平氏(バタイユ「目玉の話」)。
それからロシア文学者で、この人のドフトエフスキーを読みたかった人が多いはずの亀山郁夫氏(「カラマーゾフの兄弟1(全4巻))。それから難解な哲学をわかりやすく説くことで人気の中山元氏(カント「永遠平和のために」)。
いやいや、くらくらするぐらいすごい。
まさに、「いま、息をしている言葉で。」名作が読めるのは、なかなか良いですよ。岩波、新潮で挫折したなら、これはいけるかも。朗報といってもいい。
早速、亀山カラマーゾフを立ち読みしてみましたが、これがなんとも、読みやすい。文章がなんか若い(というのが正しいのか新潮の原訳に慣れ親しんでいたので)。それがまた嫌な感じがしない。なんかもっと発見がありそうな訳なので、買うかどうか悩んでいる。読み比べも楽しそうだし。
光文社がんばれ。