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今回の報告は、踏査、藪刈り、報告作成で千早古道へ何度何度も通ってくれたメンバーからの投稿を掲載します。
今のバス道ができるまで、千早の人たちの生活道であり、葛城古道等と並べると、古道という呼び方には歴史的に賛否があるかも知れません。今回は天誅組が五條代官所襲撃へ抜けるために使ったと聞く尾根通しの八国道を紹介します。
今回の千早古道(尾根通し道)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第9号)」
この千早古道はワンデルングガイドⅠ金剛山で、著者の根来春樹氏が紹介しているコースなんです。
ワンデルングガイドの中では下りのコースの紹介なんですが、今回は登りに使います。
本来は森屋よりスタートするのが正統と考えられるんですが、今回はズルして村民グランドより歩き始めました。
森屋から村民グランドまでの道は、千早中学校付近の分岐さえ見逃さなければ、スイスイです。
さて村民グランド前のバス停より歩き始めます。
バスを降りると、バス路線と分岐して、右方向に登りの車道があります。
その道を村民グランドを目指して進みます。
グランドを過ぎた辺りの分岐(自販機がある)で左に入ります。
(この特養施設を背にして、写真の坂を登ってきます)
この舗装路をどんどん進むとまた下記分岐があります。
(クリックして確認してください)
この日の踏査では写真のルート歩いて近道をしています。(金峰神社を経由する場合は右の道をとり、民家か?と躊躇する道を入っていくと道があります:別途紹介予定)
竹林を通り東阪バス停(東条線です。千早線ではありません)のそばにひょっこり出ます。
東阪バス停(手前)より簡易郵便局へ
正面に郵便局があるので直進、郵便局の横を通り、突き当りを右、次の分岐を左に行きます。(地図参照)
この辺りは地図さえあれば迷わないでしょう。道なりに行き千早小学校と書かれた鳥居をくぐるります。
千早小学校、そして
ここから先が本格的な山道となります、ここから当分の間は尾根を歩く感じです。
さくらトンネルの上部
墓場の横を過ぎ、桜トンネルの上を過ぎ、八国塞跡までは道が荒れていて、ブッシュがきびしい場所があります。
途中に最大の難所の笹薮があります。初めてこの笹薮を見た時は正直帰ろうと思いました。
初めてだと、めげますよ。きっと。
この辺りからが難所です
ここでこの僕の笹薮の突破方法を解説します。
地図で見ますとこの笹薮は南東の方向に尾根沿いに150mくらい続いているようです。
まず薮の入り口に立ち、深呼吸3回して気持ちを落ち着かせます。
おもむろにコンパスを取り、南東の方向を確認し、薮の弱点を突きながらひたすら前進します。
後半、東方向へ少しカーブし約40mでいったん薮を通過します。
(正面にある東方向の尾根には誘い込まれないようにして下さい。)
南東に走る尾根の東側をトラバースする感じで約60m進みます。
再び尾根に取り付き、薮に突入し南方向にひたすら
約60m進み薮を抜けます。
これで難所を突破しました。
これからの道はルンルンです。
10分程で地道の林道に突き当たりますので、左に行きます。
尾根になり右左に分岐します。ここは右にいきます。
(確か、この辺に下り用道標がかろうじて残っていました)
(左に行くとテレビアンテナ塔を経て上東阪へ???)
すぐに八国塞跡(鉄塔)につきます。ここで少し休憩します。
(写真は右の鉄塔から林道へ降りたところで振り返っています)
八国塞跡に着くと八国林道(舗装路)と合流します。
しばらく舗装された八国林道を歩きます。
(途中、関電巡視路の矢印の分岐がありますがこれが根来氏が言っている、千早古道ではない道=左に行く道です)
ここを左に入らないこと
八国林道をどんどん登って行きます。
5月28日の時点では、高圧電線の下まで舗装路が完成しており(下記写真)、
そこから千早大橋方向に肩衝山を巻くように200mほど林道が延びています。
林道の終点より登山道に入り10分ほどで分岐に。
観心寺と千早大橋の分岐を千早大橋方向に行きます。
千早大橋の手前
(写真は左手から降りてゴールしたところです)
千早大橋バス停より富田林、河内長野に向かうことができます。
(金剛バスはバスの停留所があるんですが、南海バスの停留所は見当たりません。
でも、それっぽい雰囲気で立っていると止まってくれます)
以上千早古道のレポート終わりますが、八国林道が現時点で工事中なので少しの間は利用しない方が良いかもしれませんね。
Copyright (C) 2005 gouyuukai ALL Rights Reserved 金剛山剛友会
今回の報告は、踏査、藪刈り、報告作成で千早古道へ何度何度も通ってくれたメンバーからの投稿を掲載します。
今のバス道ができるまで、千早の人たちの生活道であり、葛城古道等と並べると、古道という呼び方には歴史的に賛否があるかも知れません。今回は天誅組が五條代官所襲撃へ抜けるために使ったと聞く尾根通しの八国道を紹介します。
今回の千早古道(尾根通し道)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第9号)」
この千早古道はワンデルングガイドⅠ金剛山で、著者の根来春樹氏が紹介しているコースなんです。
ワンデルングガイドの中では下りのコースの紹介なんですが、今回は登りに使います。
本来は森屋よりスタートするのが正統と考えられるんですが、今回はズルして村民グランドより歩き始めました。
森屋から村民グランドまでの道は、千早中学校付近の分岐さえ見逃さなければ、スイスイです。
さて村民グランド前のバス停より歩き始めます。
バスを降りると、バス路線と分岐して、右方向に登りの車道があります。
その道を村民グランドを目指して進みます。
グランドを過ぎた辺りの分岐(自販機がある)で左に入ります。
(この特養施設を背にして、写真の坂を登ってきます)
この舗装路をどんどん進むとまた下記分岐があります。
(クリックして確認してください)
この日の踏査では写真のルート歩いて近道をしています。(金峰神社を経由する場合は右の道をとり、民家か?と躊躇する道を入っていくと道があります:別途紹介予定)
竹林を通り東阪バス停(東条線です。千早線ではありません)のそばにひょっこり出ます。
東阪バス停(手前)より簡易郵便局へ
正面に郵便局があるので直進、郵便局の横を通り、突き当りを右、次の分岐を左に行きます。(地図参照)
この辺りは地図さえあれば迷わないでしょう。道なりに行き千早小学校と書かれた鳥居をくぐるります。
千早小学校、そして
ここから先が本格的な山道となります、ここから当分の間は尾根を歩く感じです。
さくらトンネルの上部
墓場の横を過ぎ、桜トンネルの上を過ぎ、八国塞跡までは道が荒れていて、ブッシュがきびしい場所があります。
途中に最大の難所の笹薮があります。初めてこの笹薮を見た時は正直帰ろうと思いました。
初めてだと、めげますよ。きっと。
この辺りからが難所です
ここでこの僕の笹薮の突破方法を解説します。
地図で見ますとこの笹薮は南東の方向に尾根沿いに150mくらい続いているようです。
まず薮の入り口に立ち、深呼吸3回して気持ちを落ち着かせます。
おもむろにコンパスを取り、南東の方向を確認し、薮の弱点を突きながらひたすら前進します。
後半、東方向へ少しカーブし約40mでいったん薮を通過します。
(正面にある東方向の尾根には誘い込まれないようにして下さい。)
南東に走る尾根の東側をトラバースする感じで約60m進みます。
再び尾根に取り付き、薮に突入し南方向にひたすら
約60m進み薮を抜けます。
これで難所を突破しました。
これからの道はルンルンです。
10分程で地道の林道に突き当たりますので、左に行きます。
尾根になり右左に分岐します。ここは右にいきます。
(確か、この辺に下り用道標がかろうじて残っていました)
(左に行くとテレビアンテナ塔を経て上東阪へ???)
すぐに八国塞跡(鉄塔)につきます。ここで少し休憩します。
(写真は右の鉄塔から林道へ降りたところで振り返っています)
八国塞跡に着くと八国林道(舗装路)と合流します。
しばらく舗装された八国林道を歩きます。
(途中、関電巡視路の矢印の分岐がありますがこれが根来氏が言っている、千早古道ではない道=左に行く道です)
ここを左に入らないこと
八国林道をどんどん登って行きます。
5月28日の時点では、高圧電線の下まで舗装路が完成しており(下記写真)、
そこから千早大橋方向に肩衝山を巻くように200mほど林道が延びています。
林道の終点より登山道に入り10分ほどで分岐に。
観心寺と千早大橋の分岐を千早大橋方向に行きます。
千早大橋の手前
(写真は左手から降りてゴールしたところです)
千早大橋バス停より富田林、河内長野に向かうことができます。
(金剛バスはバスの停留所があるんですが、南海バスの停留所は見当たりません。
でも、それっぽい雰囲気で立っていると止まってくれます)
以上千早古道のレポート終わりますが、八国林道が現時点で工事中なので少しの間は利用しない方が良いかもしれませんね。
Copyright (C) 2005 gouyuukai ALL Rights Reserved 金剛山剛友会
一つ目は、さくらトンネルの真上のところ、木にしっかりと掛けられてあり、10年以上経ったとも思われないほど新鮮な感じ。
二つ目は、直角に曲がり笹薮に突入する少し手前、以前は地面に立っていたと思われますが、今は地面に寝ているように石で押さえつけてある。
三つ目は、八国塞跡付近の鉄塔の裏手で、新しく作られた林道からその旧道へ入って行く、その方向を微妙な角度で指示している、ほとんど朽ちたように切り株に括り付けられてある貴重な道標、以上の三つです。
よろしく、お願い申し上げます。
関電と思いますが、鉄塔の下で完全に迷ってしまいました。
同様の方もおられたようで、木製の折れた登山ステッキが放擲されていました。
そこで、脱出方法は、府道の方へ、迷い人が複数付けたのであろう道があって、上東阪の浄水場の建屋の横、土砂崩れ防止柵に沿う形で、その建屋のところに下りてくることができます。
金剛バスのバス停は、すぐそこにあります。
この古道の経路を行くときのことですが、
千早小学校から、墓地を通ってゆくのですが、初めてのときは、とても判らないと思われます。
それで、千早小学校の周りを、のこのこ歩きまわることと相成るわけですが、どうも村の人にとっては、へんなオッサンがうろうろするものですから、不審者と間違われて、ちょっと危ない。悪くすると、携帯でパトカーが呼ばれかねない、ご注意を。
ということで、村の方も、こんなところに古い道があることをほとんどご存知ではありません。
剛友会の道標の写真、全部ではありませんが
1部ありましたので、管理人様にアップお願いしています。
今年で剛友会は32周年を迎えます。
12年前の道標が残っているのは嬉しい事です。
たしか村界尾根にも残っていたような?
ところで千早小学校前を通過の際、おっしゃる通り地域の方より、不振な目で見られたりします。
僕はそんな時は自分から挨拶するとか、わざと道を聞くとかして、自分は善良な登山者だと訴えるようにしています。
大変な時代になりましたね。