社会時評

現代社会の有り様についてコメントする

女性の社会進出

2021-02-26 16:05:11 | 日記
ガラスの天井とは言い得て妙である。
女性の社会進出を阻む障壁を象徴してのことばであろう。
その障壁とはなんであろうか。
古来、因習的性差別は当然のごとくに行われていた。
大和撫子などのことばは女性を美化することばであった。
だがそれは男性からのものであった。
女性はそうあるべく仕向けられたとも言えよう。
おしとやかという言葉は今でも廃れてはいないだろう。
だがそれが性差別と無関係かというと、そうとも言い切れないのだろう。
男性優位社会が長いことつづいた。
それはそれでよかったのかもしれない。
男が外で働く。
女がいえを守る。
こんな時代があったことも事実だろう。
洋の東西を問わずの習慣であった。
それが見直しの時代を迎えたのだ。
掃除、洗濯、炊事さえ機械がやってくれる。
女性がかしずく時代はおわった。
その意味での平等社会が目の前に到来した。
それは世界的傾向でもある。
女性に対する暴力が厳しい目で見られることも。
別姓の問題も根本理念にかかわる。
女性の社会進出は能力主義という概念で括ることはできないだろうか。
まずは障壁をひとつづつ取り除くことである。












外国においても、日本においても然りである。
日本においては、それが美徳とされるところが多々あったのだろう。
男女の性差は越えようのないものである。
能力による社会進出が当たり前となった今日
性別による差別があったはならない。
議員や企業における重用など
その能力で評価されるべきである。
そのためにはどうすればいいか。






genderとsex


動物的性別      form 形態
社会的性別gender   power 力
風習的性別custom    skirt  外見appearance


発言が長いのは能力を理由とするところが大きい。
言いたいことが簡潔に言えない。
何が言いたいのかが自分の中でまとまっていない。
だが、発言というものは簡潔であればいいというものでもない。
男女の問題は能力の問題に置き換えたらいいのではないか。
社会背の女性の活躍については
gender的障壁を取り除くことに集約できるのではないか。








































ニュースの傾向

2021-02-23 07:40:19 | 日記
日本がアメリカの子分であることは誰も否定できないであろう。
日本に子分はいるのか。
ヤクザ社会は親分の連鎖があるようだ。
日本国家は戦後微妙な立場にある。
これは日本国民の立場でもあるのだろう。
反韓国、反中国はかっての反動である。
アジアに対する日本の優越主義は政情攻撃に徹している。
今時代は一変し、中国の台頭は揺るがないものになった。
日本は、アメリカと中国の重圧のもとに置かれることになった。
弱小国を揶揄することで憂さ晴らしをしているかのようなニュース報道が気になる。
これは国民的ニーズでもあるのだろう。
不幸を喜ぶ傾向はみっともないの一言につきる。
小学生の弱い者いじめを連想する。
ヨーロッパ、アメリカは特別待遇。
中東非難はできない。
ユダヤ非難もタブーである。
日本の将来はすぼめられている。
ニュースの傾向がこのあと改善されるのだろうか。
ニュースの傾向が国民の鏡とならないことを期待する。

































政権批判ができないマスコミ

2021-02-18 22:18:40 | 日記
韓国、中国に対する批判は重箱の隅をつつくほどまでに執拗であるのに、
内側に対してはなんと甘いことか。
むしろ、よいしょしているようにも見える。
これで、ジャーナリズムといえるのか。
不備な点を指摘して広く問うのがジャーナリズムだろう。
街頭インタビューはきれいに、橋本歓迎一色でまとめあげられた。
そもそも条件設定なるもの橋本氏を前提につくられたのだろう。
前代未聞の工作である。
橋本氏の選任のどこに透明性があるのか。
委員たちの会見はときにつよがり、支離滅裂なものであった。
彼らも強権の犠牲者とするなら、その根元は菅内閣である。
オリンピックの成否は天下の大事件となり得る。
島根県の聖火リレーの中止はオリンピック開催反対の声明であった。
島根県には敬意を表するのほかない。
安っぽ評論家たちは政治的意図があるとか言っていたが、
これは国民の総意である。
世論調査が示している。
マスコミはなぜこの事実を大きく取り上げないのか。
今回の候補者選びはジェンダー問題と相まって、
久しぶりに明るい話題であった。
それがしぼんでしまうのは残念である。





































なにも変わらないのか

2021-02-17 16:43:54 | 日記
橋本さんで決定したようだ。
相変わらずのごり押し政権である。
透明化などどこ吹く風である。
次はオリンピック開催問題である。
国民の多くが反対するオリンピックは中止とすべきだろう。
オリンピックに罪はない。
それを扱う人間の問題である。
だれが喜ぶのか。
大きなことに対応できない日本の頭脳。
度胸がない。
彼らを推しているのは国民。
国民の多数が彼らを否定すれば世の中変わる。
民主主義。
実力行使は選挙である。
これは出来レースであった。
はじめから決まっていた。
いつもの手口なのだ。
こんなの認めるのはやめようではないか。






























女性の復権時代

2021-02-14 17:03:01 | 日記

 「先日、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が女性蔑視発言で批判を浴びた。女性役員の比率を上げるのに反対する発言の趣旨は、「女は黙っていろ」。あからさまな差別に批判が集中した。だが、性差別の多くは慣習や制度で社会構造に組み込まれ、見えにくくされている。女性が人権侵害に怒ること自体が、「わきまえていない」とタブー視される。」(東京新聞2月)
東京新聞に掲載されたどなたかのコメントである。
森発言が世界に発信された。
gender差別問題は世界的なうねりとなっている。
女性の登用を比率的にも改革しようというものである。
今回の組織委員会会長選考についても、女性が適任なのではないかと議論されている。
森さんの発言からgender問題が一気に本格化した。
オリンピック関連で初めての前向きなテーマである。
そおいう意味で森さんはたいへんな貢献をした。
森さんの真意は深いものではなかったのだろう。
だが結果的に火に油を注いだ。
女性が増えることに関しての老婆心もあったのだろう。
つまり、社会の変革に危惧をいだいたということではないか。
女性にとっていいことが、男性にとっては心配ごとになっている。
石田純一氏は率直に語っている。
計算通りにはいかないよ、と。
率直に語りあったとき必ず見解の相違が生じてくる。
それをどのように是正していくのか。
女性の過去が暗いものだったと評することは可能だろう。
女性の特質、男性の特質には争えないものがあるはずだ。
西洋にはレディーファーストというものがある。
それは、理屈を超えた文化であろう。
それを揶揄することもできるだろうが、それはそれでいいのだと思う。
日本にもなにかそれに似たものはないのか。
ぎすぎすした未来にはしたくない。
今後急速に進展してゆく男女平等化。
江戸文化は男女差別の典型であったろうが、
女性がどれほど不幸であったのかは自信がない。
近代では女性の参政権がなかった。
大戦以降ではだいぶ変わってきたのだろうが、
それでも悪しき因習は残った。
森さんをその代表と言ったら失礼だろうが。
すでに動きだしたgender改革である。
後戻りはできない。
女性主導で進めるべきだろう。
男性も障害物ではない。
女性の発言時間に規制をかけるという暴挙はもはや無理である。