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急死!大物力士の寂しい人生

2009-06-08 | 日記

 大相撲元幕内・大輝煌(だいきこう)といっても、よほどの相撲愛好家しか、知らないだろう。 

 本名・林正人(はやし・まさと)。
6日午後4時、脳出血のため和歌山県御坊市の自宅で急死した。
享年41。


【89年12月20日付・報知新聞】

 大型力士として、各相撲部屋の争奪戦があったほどの逸材だった。
当時、近大は東の日大と学生相撲の双璧だった。 

 近大は元大関・朝潮(現広報部長=高砂部屋)の出身校。
近大OBはほとんどが高砂部屋入りしていた。
当然、林も高砂へすんなり入門するものと思われていた。 

 ところが林は奇人というか、変人というか、変わり者だった。
体育系の人間としては珍しい性格。
自分の考えをしっかり持っていた。 
 相撲をやめたら何になりたい?との問いに「アメリカで園芸、植木職人になりたい」と答えた。
好きな食べ物はバナナ。好きな音楽は当時人気の女性ポップグループ「プリプリ(プリンセス・プリンセス)」だった。
「部屋で聴くし、コンサートにも行きます」
大相撲入りする前、うれしそうに話してくれた姿が忘れられない。 

 「近代的なトレーニング施設を整えている武蔵川部屋がいい」
部屋選択は近大相撲部のしがらみを振り切った。
新興部屋の武蔵川部屋入りして、角界をアッと言わせた。 

 当時のベテラン相撲記者らは「信じられない」と驚いた。
しきたり重視の世界をぶち壊した林。 

 当然、利害関係のある近大とひと悶着あった。 

 柔らかい下半身を武器にした突き寄り。
浅黒い肌の大型力士は力を存分に発揮。
武蔵川部屋初の幕内力士になった。
以降の武蔵川部屋は武双山、雅山ら多数の大関、関取を輩出。

隆盛を極め武蔵川親方が理事長に上り詰めたのは、林がきっかけになったともいえる。 
入幕するのも速かった。
だが、ケガに悩まされた。

入門わずか4年足らず、26歳の夏、廃業した。 

 その後は大阪などで不動産や金融の営業マンとして、働いていた。
長続きせず故郷の御坊市に戻った。 
相撲塾など近所の子供らを指導。
そのかたわら、兄弟の経営するレストランを手伝うことになった。
これから、という41歳で脳内出血の急死。

知らせを受けて驚いた。 

 とにかくビックリ人生の連続だった。 

 稽古嫌いで学生横綱を獲得、周囲をビックリさせ、大相撲入りでは武蔵川部屋に入り驚かせ、幕内へスピード出世してビックリさせ、怪我であっさり廃業してビックリさせ、41歳の若さで急逝して驚かせた。 

 アメリカで植木職人、の夢は天国で実現させるのではなかろうか?

 大輝煌。
大きくきらめくように輝く人生こそ成し得なかったが、今は空の星として輝き始める。 

慎んでご冥福を祈ります。

 ◆大輝煌本名・林正人=はやし・まさと)1967年9月15日ー2009年6月6日、脳出血。享年41.箕島ー近大。学生横綱。久島(28タイトル)に次ぐ17タイトルを引っ提げ90年春場所、武蔵川部屋から幕下最下位格(60枚目)付け出しで初土俵。同年九州場所、新十両。武蔵川部屋の関取第1号。「大輝煌」のしこ名で十両を1場所で通過。91年初場所新入幕。だが、けがに泣き、93年夏場所で土俵人生を終えた。相撲人生の晩年はしこ名を「輝ノ海」に改めていた。 和歌山県出身。 184センチ、160キロ。血液型A。



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