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最強寒波で孤独死!門田博光自宅で発見@通院ためらった?

2023-01-25 | 日記
殿堂入りプレーヤーの門田博光が亡くなった。
糖尿病で晩年は苦しんだ。
最強寒波の積雪で人工透析の通院をためらったか?
通院してこない門田を心配した相生市内の病院関係者が24日、警察に通報。
山深い兵庫・赤穂郡の自宅(会員制別荘)で倒れていたところを警察、消防署が発見した。
享年74。
歴代3位の567本塁打は特筆される。
一本足でフルスイングする姿と170センチの小柄な大砲は、今でいえば吉田正尚に似る。
だが、何より記憶に残っているのは右肩の脱臼ハプニング。
本塁打を放って生還した時に巨漢ブーマーとハイタッチ。
そのままベンチ前で右肩を抑え崩れ落ちた。
故人には失礼だが、そのことが私には強烈な印象が残っている。

【左端が門田、右端はブーマー。上田監督、宮内オーナ、星野投手の姿も(門田の後ろでメモを取っているのは私)】
ダイエーに譲渡された南海からオリックス、最終的にはダイエーでバットを置いた。
天理ー岡山クラレを経て、ドラフト2位で南海入り。
御所工で活躍した三稜中の先輩S(後に大洋入り)は奈良県下で天理の門田とライバルだった。
明星高からクラレ岡山入りした三稜中のチームメイトTは門田と社会人で同僚だった。
私より2学年上のスラッガーだった。
プロ入り2年目(71年)でいきなり打点王(120打点)。
油の乗り切った31歳の春の高知・大方キャンプで右足アキレスけんを断裂。
しかし、翌年には41発を放ち復活。
その後、40歳で2冠王になるなど3度の本塁打王に輝いた。
92年、44歳で23年間のプロ生活を終えた。
「我」を通す一匹狼は、とうとう指導者にはなれなかった。

【1月25日付・報知新聞】
◆門田博光(かどた・ひろみつ)1948年2月26日ー2023年1月24日、享年74。山口・小野田市で5人兄弟の三男として誕生。奈良・五條市で育つ。五条中ー天理高ークラレ岡山ー南海(ドラフト2位)ーオリックスーダイエー。65年、夏の甲子園出場。本塁打王3回、打点王2回。88年、40歳で史上最年長MVP。通算2571試合、2566安打、567発、1678打点。本塁打と打点は歴代3位。ベストナイン7回。92年、44歳で引退。06年に野球殿堂入り。家族は夫人(離婚=21年ごろ他界)と一男一女。現役時170センチ、81キロ。左投左打。 




2 コメント

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こちウワさまへ (くりまんじゅう)
2023-01-26 00:22:41
『中年の星』門田博光選手の急死は驚きました。
まだ74歳の若さながら 透析をしていたのですね。
昨年ソフバン柳田選手のフルスイングを見たとき 門田選手もフルスイングしていたなぁ
と思ったことがありました。

県西部の大方球場は砂地にある球場で 大方はらっきょうの産地ですから
時季には一斉に紫の花をつけ カメラマンが撮りに来ます。
若き日のノムさんも大方の春季キャンプに来ていました。

松坂大輔選手がファンと握手して肩を痛めたとき むかし門田選手もこんなことが
あったなぁと そのときも門田選手を思い出しました。

今回の門田選手も 昨年火災で亡くなった村田投手も 晩年は一人住まいだったでしょうか。
一時代を作った選手の 最後の姿がこうとは なんか寂しいです。
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くりまんじゅう様へ (こちウワ男)
2023-01-26 09:52:56
おはようございます。大方キャンプといえば、土佐の方は懐かしいでしょうね。らっきょうの産地ですか?南海の選手は森下という猛者もアキレスけん断裂を繰り返しました。門田も克服してホームランバッターになりました。昭和の選手、とりわけタカの選手の根性は凄かったですね。
「走らんでもエエように大砲になる」って、いうのも凄いけれど、それを実現したエピソードはなお凄い。
とにかく20代より30代後半にアーチ量産の足跡は驚くべきですね。
引退後は精進の反動?同級生だった福本さんも「呑む量は危ないほどやった」とおっしゃってます。
榎本、兆治、門田・・・現役時代のストイックさは、晩年に家族や心身をむしばむのでしょうか?
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