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酒の肴を独断偏見でエブリデー更新。関西3県境の北摂(兵庫東北部、大阪北端、京都南部)に生息※敬称は略。

映画「三島由紀夫VS東大全共闘」の評判とナビゲータ杏の夫

2020-03-23 | 日記
草葉の陰で三島由紀夫が苦虫噛み潰しているだろう。
ドキュメンタリー映画「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」(豊島圭介監督)の評判がいい。
その一方で、何よりも話題になっているのが不倫男の東出昌大がナビゲータをしていること。

吹き荒れた学園闘争の真っただ中。
我が20歳の1969年5月13日、作家・三島由紀夫が東大全共闘の討論会に単身乗り込んだ。
警視庁が警護を申し出たが断った。
ニューライトの旗手として当時、三島は石原慎太郎と双璧だった。
「さすが三島」と言わしめたパフォーマンスだった。
慎太郎とはやることが違うワイ、と。
メディアもスピード感あふれ、イキイキとしていた時代だった。
新潮社が討論会の1か月後すぐに出版(250円)。
完全収録の上、両者から特別手記まで寄せられた。
興味津々ですぐ購入したのが上の本だ。
内容は東大全共闘1,000人と2時間半に及ぶ熱い討論。
三島は討論の中でこう言い切った。
「私が行動を起こすときは、結局、諸君と同じ非合法でやるほかないのだ。決闘の思想で人を殺めれば、それは殺人だから、そうなったら自分もおまわりさんに捕まらないうちに自決でも何でもして死にたい、と思うのです。いつ、その時が来るか分からないけど、身体を鍛錬して「近代ゴリラ」として立派なゴリラになりたい」
三島の自衛隊での自決(享年45)は、この1年半後の70年11月25日だった。
討論の言葉が重みを増す。

大学が自決現場の市ヶ谷駐屯地の近くだった。
ニュースで知り、駆けつけヤジウマになった。
もちろん、停止線を張られ、入り込めるはずもない。
それほど、騒然としていたことを記憶している。
その後、全共闘運動は過激化し、雲散霧消した。
そして三島は意志を全う。
慎太郎は保守体制に埋没、ただ、吠えるだけの政治屋に成り下がった。
思想的には相反する三島イズムだが、ある覚悟は十分に看取れた。
映画はその時代を生きた団塊世代には懐かしい。

本の目次をみても過激そのもの。
現代ならピー音や◎▼×〇など禁止用語も満載だ。
昔、東大全共闘、今、クイズ番組の東大王。
若者はどう、捉えるのか?興味はある。


2 コメント

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Unknown (wada67miho)
2020-03-23 15:13:40
僕は封切り初日の20日に観に行くつもりでしたが、吉村知事談話に恐れをなし、自重してます。思えばあの時代、討論とデモの時代でした。仰る通り、左翼学生からは慎太郎は毛嫌いされてましたが、三島は何か親近感を持たれてましたね。愛嬌があるというか。よく討論しました。何とか相手を論破しようと、本もよく読みました。今のネットの意見の違う相手に罵詈雑言を浴びせるだけの人達は、知的退嬰というしかないですね。
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Unknown (こちウワ男)
2020-03-23 15:59:15
書棚から引っ張り出し、ついつい読み直してしまいました。若者の罵詈雑言(当時は同世代ですが)は観念的で今と変わりません(笑)
今読むと三島のユーモアあふれる知的センスが素晴らしい。
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