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ぼけ防止・昭和を振り返る-⑧

2016-10-09 09:59:23 | 昭和史
 昭和19年   

(^^♪かわいい魚雷と いっしょに積んだ  
       青いバナナも 黄色くうれた
        男所帯は 気ままなものよ 
    ひげも生えます ひげも生えます 不精ひげ~
  
           (轟 沈)

【世 相】

街中は「進め一億火の玉だ」の標語があちこちに目に付く。
隣保班では 竹槍訓練が始まり、学校では 学童集団疎開が開始された年である。

で、竹槍のことであるが、「竹槍では間に合わぬ」と書いた毎日新聞の記者が東条首相の逆鱗にふれ 懲罰招集に発展している。誰が見ても“竹槍では敵機は落とせず”、当たり前のことを言った者が罰せられたご時勢である。

一方巷では、一人一杯20銭の雑炊食堂が大人気となる。但し店によっては汁ばかりなので、丼に箸を立てて倒れなければ合格と定めている。また、酒は配給制となり一所帯月2合(2級酒1升8円)とのこと。

そのうち中学生以上の学徒全員動員が発せられ、14~25歳の女性を女子艇身隊として軍需工場などに動員することになる。そして11月24日には、70~110余機のB29による東京初空襲が行われている。 

ここにきて いよいよ「神風特別攻撃隊」の出番となるのである。
       
       ♪燃料片道 テンツルシャン  涙で積んで  
      行くは琉球 死出のたび  エーエ 死出のたび~ 
  
             (特攻隊節)
【時 局】

この年1月、大本営はビルマにいた第15軍に「国境越えしてインドのインパールを占領せよ」との指示を出している。目的は、インドから蒋介石救助のルートを断つものである。

しかし、結果は食糧・弾薬とも不足のなかの強行行軍であり、7月に至り73,000人の死傷者をだす「自滅戦」で終っている。

開戦当初の中国大陸からは、
   
    ♪春まだ浅き戦線の 古城に香る梅の花  
    せめて一輪母上に 便りに秘めて 送ろじゃないか~


と、軍事郵便が届いたのに この年の6月に入り、白梅の代わりにグラマンが本土初空襲を行うに至る。

一方海上では、マリアナ沖海戦に敗北してからサイパンが陥落し、陸海あわせて31,000余のほとんどが玉砕している。なかでも哀れなのは 一般市民25,000名のうち4,000名があのマッピ山から身を投げて死んだことである。

こうなっては東条内閣も遂に総辞職に追い込まれ、東条の独裁体制は崩れたのである。しかし、後任の小磯・米内連立内閣もなんら方針も持たず、 戦争完遂を叫ぶばかりでこの期の対応になっていない。

その後の戦況ではグァム島の玉砕、そしてレイテ沖海戦での敗北と 各地の日本軍は次第に戦力を失っていったのである。  (数字は資料によりバラツキ有り)

【出来事】

  1月 大都市に疎開命令(東京・名古屋で空襲に備え建物強制取り壊し決定)
  2月 決戦非常措置要綱決定
  5月 国民総決起運動中央総会開催
  6月 マリアナ沖海戦・B29中国基地から北九州を攻撃(日本本土初空襲)
  7月 サイパン島の日本軍玉砕  ・東条内閣総辞職→小磯・米内内閣成立
  8月 グァム島の日本軍玉砕 ・学徒勤労令・女子艇身隊勤労令公布
     竹槍訓練始まる  ・学童集団疎開開始
 10月 レイテ沖海戦 ・満18歳以上を兵籍に編入 
 11月 米爆撃機B29、111機による東京初空襲

【歌・映画】

  <歌> 
 「月夜船」 ♪おおい そこゆく のぼり船  今夜は月夜だ・・(波平暁男・唄)
 「轟 沈」 ♪かわいい魚雷と いっしょに積んだ 青いバナナ・(楠木繁夫・唄)
 「ああ紅の血は燃ゆる」♪花もつぼみの若桜 五尺の生命ひっ・・(酒井・安西・唄)
 「突撃ラッパ鳴り渡る」♪勝って逢おうと 誓って往った 友の・(楠木・三原・唄)
 「いさおを胸に」♪いろはのいの字は 命のいの字  誰も忘れ・(楠木・松原・唄)
 「特幹の歌」♪翼輝く 日の丸に  燃える闘魂 目にも見よ・・(藤原義江・唄)

 <映画> 「三尺左吾平」「加藤隼戦闘隊」「小太刀を使う女」

などなど・・・。独断と偏見で綴る昭和19年である。 (つづく)

     

ぼけ防止・昭和を振り返る-⑦

2016-10-08 10:46:55 | 昭和史
昭和18年-2

破局への道 「大東亜共栄圏の崩壊」

東條首相は、第79議会で「大東亜の各民族をして、日本帝国を核とし、共栄共存の秩序を確立しょう」と演説し、八紘一宇の精神により「大東亜共栄圏」を作り、『米英帝国主義』の圧迫からアジアの諸民族の開放をさけんだ。 

即、「大東亜省」が作られ、満州・中国の汪(おう)政権・タイ・仏印などの政治・文化・経済を管轄している。

s18年8月のビルマ、10月のフィリピンの独立承認、自由インド仮政府承認など、日本は一応の承認を認めるも、「共栄共存」とは、実際には各地に軍政が引かれ、日本による東南アジアの資源確保が目的である。

石油・ゴム・スズ・ボーキサイトなどの原料を略奪するための三井・三菱・住友などと大資本による現地人を無視した経済開発が進められたようだ。

またフィリピンでは日本軍により、サトウキビ畑を綿花畑に変えさせて住民の生活を破壊し、ベトナムでは、水田をジュート畑に変えさせたことで、食料不足をきたし、そののち200万人もの餓死者を出すなど、東南アジア経済に与えた影響は大きかった。

そのうえ、占領各地では、日本語の授業と君が代の斉唱を押し付けたのは言う間までもない。まことに迷惑至極な話である。

このような日本の占領に対し、ベトナムでは16年にホーチンらによるベトナム独立同盟が結成され、翌年にはフィリピンで抗日人民軍ができ、マレーでもシンガポールの中国人殺害ゲリラが起こり、インドネシアでは共産党が抗日地下組織を作り日本軍に抵抗している。

一方、朝鮮語を奪われ名前を変えさせられた朝鮮では、人民革命軍が日本支配を悩ませ、台湾でも動きがあったそうな。

このようにみると「大東亜共栄圏」とは かくの如きものだったのである。

「国民の強制労働」

資産・財力・労力のすべてを軍事産業優先としてきたものの、アメリカの反攻作戦は、南方からの資源輸送を困難にし、生産性は次第に衰えてゆく。

そのうえ、労働力の不足は著しく、国民の大動員がはじまる、
s18年を境に、徴兵と同じく、男子に徴用が課せられ、学徒による大動員がかかる。

さらに、家族制度崩壊の恐れありと反対のあった「女子挺身隊」の徹底的な強化拡大で労働力不足をおぎなったとある。

一方、農村部は?と みると、若者を戦場に取られて労働力不足で農業の荒廃がひどく、食料不足が深刻化し、米の配給も一人当たり一日2合5勺から2合1勺と減り、麦・高粱・芋などの代用食となる。

蛇足ながら小生も終戦直後にコーリャンの団子を食してる。

こうなってくると、
物資が不足すればするほど物価は高騰し、闇ルートの取引が行われ、

 “世の中は、ホシ(陸軍)にイカリ(海軍)に、闇に顔”  となるのである。

 独断と偏見で綴る 昭和18-2 である。 (つづく)

 
  

ぼけ防止・昭和を振り返る-⑥

2016-10-07 11:07:29 | 昭和史
   (^^♪ 見よ少量の皿あけて まだ食い足りぬ芋の粥
       哀れな子らにハラハラと 涙は落ちる親同士
       おお欠乏の朝ご飯 そびゆる富士の姿ほど
      米・味噌積んでゆるぎなき わが日本に早くなれ~

           替え歌・愛国行進曲より)

開戦3年目に入ると ♬見よ東海の空あけて~も、歌の文句とは裏腹に、♪金甌無欠揺るぎなき~ はずが多いに揺らぎ、替え歌の如き事態となり、これよりジリ貧が加速する年となるのである。

【背 景】

前年6月のミッドウェー海戦を転機に日米の勢力は逆転し、アメリカ軍の反抗は日ごとに強まり、ガタルカナルを中心とするソロモン海が主戦場となる。

ガタルカナル島には、日本海軍陸戦隊230名と飛行場建設人夫2000名がいて飛行場の建設にあたっていたが、ガ島の戦略的価値を高くみたアメリカ軍の奇襲上陸により、設営隊はジャングルに追いやられ、救援のかの一木支隊・川口支隊も全滅し、この年の二月に、大本営も敗北を認め撤退している。

しかし、大本営は国民向けには「転進」と発表し、その後の大本営発表はマユツバものとなる。そんななか、四月に山本五十六連合艦隊司令長官がソロモン群島で作戦中に、ガ島から発進した米軍機により撃墜され戦死している。

そして五月には、大本営より「アッツ島玉砕」の発表があり、国民は「全滅」ではなく,「玉砕」の道を歩んだ2千数百名の守備隊を“武士道の鑑”と賛美している。ここから玉砕が相次ぐことになろうとは、国民の思いもよらぬ戦局となるのである。

また、“足らぬ足らぬ”は戦闘機や工夫だけではなく、日中戦争以来の戦闘で軍隊に於ける下級指揮官の大量不足となって、その不足を補う為に「学徒動員」の緊急勅令が公布され、従来の大学・専門学校生の徴兵が満26歳まで猶予されていたのが、理科系を除く法文科系学生の徴兵猶予が取り消しとなっている。よって10月21日には、秋雨の降る神宮外苑で戦場に赴く学徒兵の壮行会が行われたのもこの年である。

【出来事】

  2月 ガタルカナル島撤退開始
  5月 アッツ島日本守備軍全滅
  6月 学徒動員計画発表
 11月 大東亜会議開催
 12月 第1回出陣学徒が入営する。徴兵年齢1年引き下げ(19歳)

日本は物資の無いままこの戦争をはじめたのだから「国民総力戦」であることは誰の目にも明らかである。その影響はもろに国民の消費生活にはね返って表題のごとく、「替え歌・愛国行進曲」が歌われている。

また、蓄・米英語はご法度となり、「サンデー毎日」→「週刊毎日」、「キング」→「富士」、「オール読物」→「文芸読物」の如くになる。

更に、ご婦人の服装についても大日本婦人会が長袖の女性に“決戦です!すぐお袖を切って下さい!”と、カードを渡す「長袖追放街頭運動」なるものを展開している。

一番庶民を苦しめたのは「米の買出し厳罰令」である。違反は“10年以下の懲役または5万円以下の罰金”となる。因みに米1升の公定価格が50銭でヤミ米が3円くらいの頃である。

さらに可愛そうなのは動物園の猛獣達である。空襲に備え「薬殺、餓死」となったからである。

【歌・映画】

 <歌>  
「同期の桜」 ♪貴様と俺とは同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く・・・(歌手多数) 
「若鷲の歌」 ♪若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に錨・・・(霧島・波平・唄) 
「加藤隼戦闘隊」 ♪エンジンの音轟々と 隼は往く雲の果て・・・・(灰田勝彦・唄) 
「勘太郎月夜唄」 ♪影か柳か勘太郎さんか 伊那は七谷糸ひく・・・(小畑・藤原・唄)

 <映画> 「無法松の一生」「伊那の勘太郎」「マライの虎」

などなど・・・。

独断と偏見で綴る昭和18年である。   (つづく)

  
  

ぼけ防止・昭和を振り返る-⑤

2016-10-06 11:30:05 | 昭和史
昭和17年-2

「愛国百人一首」のこと

この年に、「愛国百人一首」なるものが選定されている。
戦時中の翼賛運動のひとつとして、愛国の精神が表現されたとする名歌百首を選んだものだそうな。

皇室への崇敬や国土愛、家族愛の歌が採られている。
異種百人一首のひとつなり。

カルタとしての遊び方については、百人一首に準ずるともある。

当方には都々逸ならいざ知らず、
巧者な三十一文字なんぞ縁のないジャンルなるも、お気に入りを20首選んだ。

 ①柿本人麻呂 大君は神にしませば天雲の雷の上に廬(いほり)せるかも

 ②大伴旅人  やすみししわが大君の食(をす)国は大和もここも同じとぞ念(おも)ふ
 
 ③山上憶良  士(をのこ)やも空しかるべき万代に語り続()ぐべき名は立てずして

 ④山部赤人  あしひきの山にも野にも御猟人(みかりびと)さつ矢手挟(たばさ)みみだれたり見ゆ

 ⑤菅原道真  海ならずたたへる水の底までも清き心は月ぞ照らさむ

 ⑥西行法師  宮柱したつ岩根にしき立ててつゆも曇らぬ日の御影(みかげ)かな

 ⑦源 実朝  山は裂け海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも

 ⑧藤原定家  曇りなきみどりの空を仰ぎても君が八千代をまづ祈るかな

 ⑨楠木正行  かへらじとかねて思へば梓弓(あずさゆみ)なき数に入る名をぞとどむる

 ⑩徳川光圀  行く川の清き流れにおのづから心の水もかよひてぞ澄む

 ⑫高山彦九郎 我を我としろしめすかやすべらぎの玉のみ声のかかる嬉しさ

 ⑬本居宣長  しきしまの大和ごころを人問はば朝日に匂ふ山ざくら花

 ⑭吉田松陰  身はたとひ武蔵の野辺(のべ)に朽ちぬとも留め置かまし日本魂(やまとたましい)
  
 ⑮徳川斉昭  天(あま)ざかる蝦夷(えぞ)をわが住む家として並ぶ千島のまもりともがな

 ⑯佐久間象山 みちのくのそとなる蝦夷のそとを漕ぐ舟より遠くものをこそ思へ

 ⑰久坂玄瑞  取り佩()ける太刀の光はもののふの常に見れどもいやめづらしも

 ⑱真木和泉  大山の峰の岩根に埋めにけりわが年月の日本(やまと)だましひ

 ⑲平賀元義  武夫(もののふ)のたけき鏡と天の原あふぎ尊め丈夫(ますらを)のとも

 ⑳高杉晋作  後れても後れてもまた君たちに誓ひしことをわれ忘れめや

追記、
 
⑫高山彦九郎
  (^^♪ 人は武士 気概は高山彦九郎
       京の三条の 橋の上
      遙かに皇居をネ 伏し拝み
       落つる涙は 加茂の水  サノサ~

⑳高杉晋作 
    (^^♪ 三千世界の 烏を殺し
         主と朝寝が してみたい~


諸兄のお気に入り歌は如何に・・・

  独断と偏見で綴る昭和17-2である。 (つづく)

  

ぼけ防止・昭和を振り返る-④

2016-10-05 13:13:21 | 昭和史
昭和17年

(^^♪藍より蒼き 大空に 大空に  たちまち開く 百千の
   真白き薔薇の花模様   見よ落下傘 空に降り
      見よ落下傘 空を往く 見よ落下傘 空を往く~

             (空の神兵)
【背 景】

昨年12月の開戦以来、旧日本軍は数ヶ月で、フィリピンの首都マニラを占領し、スマトラのバレンバンには落下傘部隊を降下させて油田地帯を確保している。

その様子を唄ったのが冒頭の歌(空の神兵)である。

勢いづいた旧日本軍は、その後も進撃を続け、ジャワ・ビルマ・ニューギニア、更には赤道を越えたラバウルまで占領地を広げ、東南アジアと西部太平洋の要地をおさえて第一ラウンドを終えている。

しかしこの時点では、緒戦の大勝利に酔った政府と大本営は、戦争を終結させることなどコロリと忘れ、このあとも、陸軍は対ソ戦を視野に、そして海軍はミッドウェー・ハワイの攻略を目論み、陸・海統一作戦の見通しのないまま時を過ごすこととなる。

そんななか、米軍が4月18日に突如日本本土に初空襲を仕掛け、軍部の度肝を抜くことになる。この攻撃による物的損害は大したものではなかったそうだが、それにもましてショックだったのは、天皇のまします皇居の上空に敵機が飛来したことである。

この事実は軍の威信にかかることであり、ここに世紀の一戦とされる「ミッドウェー海戦」へと引き出されるも、この戦局で大敗北を喫した旧日本軍は、それ以降の戦いでは、ジリ貧へと追い込まれる事になるのである。
   
よって大政翼賛会は「大東亜戦争一周年・国民国民決意の標号」を募集し、以下を選定している。
                ↓
          「欲しがりません勝つまでは」
          「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」
          「さあ二年目も勝ち抜くぞ」

【出来事】
 
 1月・日独伊新軍事協定締結  ・マニラ占領
 2月・衣料切符制 都会で一人100点(背広50点・ワイシャツ12点ほか)
 4月・シンガポール占領 ・本土初空襲(東京・名古屋・神戸など)
 5月・翼賛政治会結成 ・金属回収令発動(仏具・梵鐘まで強制供出)
 6月・ミッドウェー海戦(6/5~7) ・関門トンネル開通
 7月・全国中等学校野球、中止 ・加藤隼戦闘隊長(加藤建夫中佐)戦死
     ♬エンジンの音 轟轟と 隼は往く雲のはて
      胸に輝く 日の丸と 胸に描きし 赤鷲の
          印はわれらが 戦闘機~


【歌・映画】

  <歌>
 「新 雪」  ♪紫煙る新雪の 峰振り仰ぐ・・・・(灰田勝彦・唄) 
 「空の神兵」 ♪藍より蒼き 大空に 大空に・・・(四家,鳴門・唄)
 「南の花嫁さん」♪ねむの並木を お馬のせなに・・(高峰三枝子・唄)
 
 <映画>
     「新 雪」「母子草」「父ありき」「マレ―沖海戦」

 独断と偏見で綴る昭和17年である。(つづく)

  
  

ぼけ防止・昭和を振り返る-③

2016-10-04 15:14:02 | 昭和史
昭和16年-③

昭和16年は、太平洋戦争(日本では「大東亜戦争」)に突入した年である。

この年に於いても15年戦争となった日中戦争は止むことなく続いていた。

では日本はどうして身の丈をわきまえず 米英蘭に立ち向かったのだろうか?・・・ 

「開戦に至る日米交渉の顛末」

4月中旬より、重慶工作の道がないため、日米交渉が開始されている。

日本はアメリカ仲介による日中戦争解決を要望するも、アメリカは門戸開放、機会均等の無条件適用を提示している。

 5月 - 米国、対中武器貸与法発動。
 5月 - 日本軍、江北作戦。5月7日~6月15日 - 北支那方面軍、中原会戦(百号作戦)
 5月~8月末 - 日本軍、再び重慶を大空襲(一〇二号作戦)
 8月1日 - 米国、対日輸出を大幅に制限
10月 - マニラで英米蘭中の軍事会談。

こうした手詰まりのなか、近衛内閣を引き継いだ東条内閣は、「大東亜新秩序を建設」するための米英蘭戦争を決意するとともに、対米交渉が12月1日までに成功すれば武力発動を中止するという帝国国策遂行要領が採択されている。

対米案では甲乙二案が了承され、
甲案では、これまでに日中提携が消えて、中国での通商無差別原則の無条件承認を認める譲歩をし、また和平成立後2年で撤兵するとされ、満州については議題として触れないというものである。

乙案は、南方に限定したもので仏印南部の日本軍の北部移駐、在米資産の凍結復帰などが書かれ、11月7日に甲案が11月20日に乙案がハル国務長官に提示された。

11月22日 - 米国務長官ハル、ワシントンの英蘭濠中代表に日本の乙案を提示するも、蒋介石は”アメリカは中国を犠牲にして日本と妥協しようとしている”とし強い反対で受け入れず。

11月24日、ハルは英蘭濠中代表の説得を再度行ったが中国側は北部仏印の日本軍25000を5000にするよう求めて譲らず、英国チャーチルも、もし中国が崩壊すれば英国も危機に瀕するとしてルーズベルト大統領を説得している。

11月26日 - 米国務長官ハルは暫定協定案を放棄し、ハル・ノートなるものを作成、同日野村・来栖両大使へ手交。

日本はこれを最後通牒と解し、対米開戦に傾くのである。

 独断と偏見で綴る・昭和16年-③ である。(つづく)

   

10月の真夏日

2016-10-04 11:22:15 | 季節
今日の日本列島、群馬県館林で31,8°Cなど関東圏で30°C越えの真夏日なり。
台風18号の影響だろうか・・・
浴衣を終いに衣替えをしたばかりなのに・・また浴衣に逆戻りの日となるようだ。

「台風状況」
台風18号は4日午前9時現在、沖縄県・久米島の北北西約170キロの海上を時速20キロで北に進んでいる。中心気圧は915ヘクト・パスカル、中心付近の最大風速は55メートル、最大瞬間風速は75メートルと超大型台風だそうな。

4日未明には、沖縄県久米島町で59・7メートル、渡嘉敷村で41・2メートル、那覇市で33・1メートルの最大瞬間風速を観測したとある。

5日にかけて予想される最大風速は九州北部35m(最大瞬間風速50m)、中国30m(同45m)、沖縄、近畿、北陸25m(同35m)だそうな。

台風進路にあたる諸兄には、くれぐれもご用心のほど。

  
  
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ぼけ防止・昭和を振り返る-②

2016-10-03 14:16:44 | 昭和史
昭和16年-②

では、この年の家族・親戚、そして隣組の暮し向きは?・・・

【世 相】

 先ずはホットな話から進める。
正月二十日に、[賢賛型美人の条件]なるものが、「新女性美創定研究所」でまとめられている。それによると、“顔や姿は飾らぬ自然美・顔色艶々日焼けの自慢・大きな腰骨たのもしい”など、10項目である。(うちの女房は落第)

美人といえば古来、飛鳥美人で始まり、江戸時代以来では、色白できめ細かい肌・すらりとした手足・涼しい目元・鼻筋が通り、豊かな黒髪が美人の条件とされ、関東大震災後から、パーマネントや断髪・口紅を唇全体に塗るなど、欧米の影響を受けて従来の美意識と相容れないような美容が広まったのである。こうしたことからか、風雲急を告げるこの時期、何故こんな指針がだされたのだろうか?・・・
この時期だからこそ、西洋かぶれを嫌う お偉方の考えも分からぬでもないが・・

 次に二月十一日の紀元節(現・建国記念の日)の日のことである。
[満映スター・季香蘭]の日劇公演で観客が殺到し、警官50人、従業員120人が整理に当たる盛況ぶりだったそうな。この日の東京は、“建国祭よりも季香蘭”の日であったようだ。

季香蘭=山口淑子であるが、このことが判明するのは、伎芸証申請によるもので、それまでは中国人と信じられていたのである。

※山口 淑子(1920年2月12日 )は、満州の奉天(現在は中国東北部の瀋陽)生まれの国際的女優・歌手。戦前には李 香蘭(り こうらん)の芸名で、戦後は本名の「山口淑子」などの名で活躍した。結婚引退後は、テレビキャスターとしても活躍。大鷹淑子として日本の参議院議員もつとめている。

 さて、前置きが長くなったが、この年も庶民生活にいろんな事が取り入れられている。
先ずは、小学生である。小学生の一日入営が各地で行われている。静岡県では、女子学生の一日入営があった。その目的は、「兵士の労苦を味わう事は銃後(祖国・日本のこと)の女性の第一課」だそうだ。

そして小学校が国民学校になったのもこの年で、国語教科書は「アカイアカイ アサヒアサヒ」となり、通知簿の甲・乙・丙・丁が、優・良・可・不可となった。(戦後生まれの皆様は、A・B・Cでは?)更に農繁期には学校を休校にして、小学生も農業生産に参加している。

 続いて巷の様子であるが、
乗用車のガソリン使用が全面禁止となり、六大都市ではお米が配給制となり、成人1日一人2合3勺となる。そして隣組組織のバケツリレー訓練が盛んになってゆく。

こんなか、遂に運命の12月8日を迎える。
ニイタカヤマノボレ一二〇八」の暗号電で、海軍はハワイ・真珠湾へ奇襲攻撃をかけ、それに呼応して陸軍は、英・植民地マレー半島・コタバル付近へ敵前上陸を開始している。

ただ,ハワイとマレーでは時差が6時間半あり、日本のマレー侵攻の後に、海軍は真珠湾攻撃を行なったことになる。

こうして第二次世界大戦・太平洋ブロックでの戦いの幕が切って落とされたのである。
朝の臨時ニュースでは「帝国陸海軍が西太平洋で米英と戦争状態に入れり」と、繰り返し伝えている。なお、この詳細は別カテゴリー戦争史を参照。

【歌・映画】

 <歌> 
 
 「十三夜」  ♪河岸の柳の 行きずりに ふと見合わせる・・・(小笠原美都子・唄)  
 「里の秋」  ♪静かな 静かな 里の秋  お背戸に 木の実・(多数) 
 「海の進軍」 ♪あの日揚ったZ旗を 父が仰いだ波の上・ (藤山・伊藤・二葉) 
 「航空百日祭」♪望めば遥か 漂渺の 七洋すべて 気と呑みて・・・(多数) 
 「戦陣訓の歌」♪日本男児と生まれ来て 戦の場にたつからは・・(岡本敦郎)
 「そうだその意気」♪なんにもいえず 靖国の 宮のきざ・ ・ (コロムビア合唱団)
 「出せ一億の底力」♪出せ一億の底力 さくら咲く国日の本の・・(大政翼賛会後援)

※この年から軍歌・戦時歌謡が増え、今も残る名曲が少なくなる。よってアレルギー症のお方は、マスクをして下さい。

<映 画>  
 
「馬」「戸田家の兄妹」「蘇州の夜」「花」「みかえりの塔」 

などなど・・・。独断と偏見で綴る昭和16年‐②である。 (つづく)

    

ぼけ防止・昭和を振り返る-①

2016-10-02 16:02:02 | 昭和史
今日は朝から暑い一日となった。
暑さのせいばかりではないのだろうが、近頃物忘れが進んだようだ~

こりゃ~やばいぞ! 艶歌ばかり唄っていたからだろうか?・・・

少し脳みそに刺激を与えなくちゃと思い、 
先に連載中の「昭和時代を振り返る」を再開することにした。

前回分は ブログ右横・カテゴリー【・・・太平洋戦争史・雑感・昭和史(21)】の
昭和十五年分 ♬紀元は二千六百年~ 迄である。。

  (^^♪ 金鵄(きんし)輝く日本の 
    榮(はえ)ある光 身にうけて
      いまこそ祝へこの朝(あした) 
         紀元は二千六百年   
          あゝ 一億の胸はなる~   
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昭和16年-①
  
  (^^♪ 思い出した 思い出した  思い出した 去年の三月 花の頃~
昭和16年は、太平洋戦争(日本では「大東亜戦争」)に突入した年である。

  (^^♪あの日揚ったZ旗を 父が仰いだ波の上 
        今日はその子が その孫が
        強く雄々しい 血を継いで  
        八重の潮路を 越えるのだ~   
     
          (海の進軍)

【時代背景】

ここまでに至ったのは、昭和6年の満州事変に始まり、その後の中国戦線において、戦況は優位に進めるも、上げた拳のおろすタイミングを失していたのである。

この時期、追い討ちをかけるようにアメリカの経済制裁で国内経済は破綻し、それを打破のためのさらなる領土拡張と経済圏確保を図る必要に迫られ、欧米の植民地であった東南アジアに進出を企てたからである。

こうなれば米英も黙っていない。今までアメリカに依存していた生活必需品のガソリンや、軍事産業の鉄などの輸入ができなくなり、今のペポドン依存国のようになったのである。

後戻りの出来ない行き先は必然的に 近衛首相の唱える新体制運動(挙国一致の総動員体制)にのせられて、戦争へと追い込まれることとなる。

【出来事】

 1月 翼賛型美人の条件が「新女性美研究会」でまとめられる
    (顔やすがたは飾らない自然美・大きな腰骨頼もしい・・など10則)
 2月 満映スター・李香蘭の日劇公演に観客殺到、警官50人・従業員120人が整理
    (建国祭より李香蘭といったところ・・・中国人と思いきや日本人の山口淑子)
    小学生の「一日入営」が各地で行われている。静岡では女学生の1日入営も有り
     (「兵士の苦労を味わうことは銃後女性の第一課」とか・・・)
 3月 隣組組織によるバケツリレー訓練さかん
 4月 小学校が「国民学校」に・・・教科書ニ「アカイアカイ アサヒあさひ」が登場
     (通知簿の 甲・乙・丙・丁が優・良・可・不可に)
     六大都市で米穀配通帳制実施 李香蘭
     日ソ中立条約締結
6月 農繁期に小学生まで動員・・・学校は休校、農業生産に参加
7月 米英加,日本資産の凍結  日本軍南部仏印に進駐   
   仏印共同防衛協定締結  第3次近衛内閣成立
10月 ゾルゲ事件  近衛内閣総辞職、東条内閣成立
   乗用車のガソリンしようを全面禁止
12月 米英に宣戦布・・・大東亜戦争に突入
   (海軍:ハワイ真珠湾奇襲  陸軍:マレー半島上陸)
   大日本帝国とタイ王国の間に日泰同盟が締結される

などなど・・・。独断と偏見で綴る昭和16年‐①である。 (つづく)

    

神無月

2016-10-01 09:44:41 | 季節
今月は、
出雲大社に全国の神様が集まって一年の事を話し合うサミットが有るため、
出雲以外には神様が居なくなる月だそうな。

      
    ☚ここがサミット会場

しかし当家では出雲へは行かず、 
年から年中家から離れない山の神がいなさる。

よって当家でも出雲と同じ神在月なのである。

   
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