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ぼけ防止・昭和を振り返る-⑦

2016-10-08 10:46:55 | 昭和史
昭和18年-2

破局への道 「大東亜共栄圏の崩壊」

東條首相は、第79議会で「大東亜の各民族をして、日本帝国を核とし、共栄共存の秩序を確立しょう」と演説し、八紘一宇の精神により「大東亜共栄圏」を作り、『米英帝国主義』の圧迫からアジアの諸民族の開放をさけんだ。 

即、「大東亜省」が作られ、満州・中国の汪(おう)政権・タイ・仏印などの政治・文化・経済を管轄している。

s18年8月のビルマ、10月のフィリピンの独立承認、自由インド仮政府承認など、日本は一応の承認を認めるも、「共栄共存」とは、実際には各地に軍政が引かれ、日本による東南アジアの資源確保が目的である。

石油・ゴム・スズ・ボーキサイトなどの原料を略奪するための三井・三菱・住友などと大資本による現地人を無視した経済開発が進められたようだ。

またフィリピンでは日本軍により、サトウキビ畑を綿花畑に変えさせて住民の生活を破壊し、ベトナムでは、水田をジュート畑に変えさせたことで、食料不足をきたし、そののち200万人もの餓死者を出すなど、東南アジア経済に与えた影響は大きかった。

そのうえ、占領各地では、日本語の授業と君が代の斉唱を押し付けたのは言う間までもない。まことに迷惑至極な話である。

このような日本の占領に対し、ベトナムでは16年にホーチンらによるベトナム独立同盟が結成され、翌年にはフィリピンで抗日人民軍ができ、マレーでもシンガポールの中国人殺害ゲリラが起こり、インドネシアでは共産党が抗日地下組織を作り日本軍に抵抗している。

一方、朝鮮語を奪われ名前を変えさせられた朝鮮では、人民革命軍が日本支配を悩ませ、台湾でも動きがあったそうな。

このようにみると「大東亜共栄圏」とは かくの如きものだったのである。

「国民の強制労働」

資産・財力・労力のすべてを軍事産業優先としてきたものの、アメリカの反攻作戦は、南方からの資源輸送を困難にし、生産性は次第に衰えてゆく。

そのうえ、労働力の不足は著しく、国民の大動員がはじまる、
s18年を境に、徴兵と同じく、男子に徴用が課せられ、学徒による大動員がかかる。

さらに、家族制度崩壊の恐れありと反対のあった「女子挺身隊」の徹底的な強化拡大で労働力不足をおぎなったとある。

一方、農村部は?と みると、若者を戦場に取られて労働力不足で農業の荒廃がひどく、食料不足が深刻化し、米の配給も一人当たり一日2合5勺から2合1勺と減り、麦・高粱・芋などの代用食となる。

蛇足ながら小生も終戦直後にコーリャンの団子を食してる。

こうなってくると、
物資が不足すればするほど物価は高騰し、闇ルートの取引が行われ、

 “世の中は、ホシ(陸軍)にイカリ(海軍)に、闇に顔”  となるのである。

 独断と偏見で綴る 昭和18-2 である。 (つづく)