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ぼけ防止・昭和を振り返る-⑥

2016-10-07 11:07:29 | 昭和史
   (^^♪ 見よ少量の皿あけて まだ食い足りぬ芋の粥
       哀れな子らにハラハラと 涙は落ちる親同士
       おお欠乏の朝ご飯 そびゆる富士の姿ほど
      米・味噌積んでゆるぎなき わが日本に早くなれ~

           替え歌・愛国行進曲より)

開戦3年目に入ると ♬見よ東海の空あけて~も、歌の文句とは裏腹に、♪金甌無欠揺るぎなき~ はずが多いに揺らぎ、替え歌の如き事態となり、これよりジリ貧が加速する年となるのである。

【背 景】

前年6月のミッドウェー海戦を転機に日米の勢力は逆転し、アメリカ軍の反抗は日ごとに強まり、ガタルカナルを中心とするソロモン海が主戦場となる。

ガタルカナル島には、日本海軍陸戦隊230名と飛行場建設人夫2000名がいて飛行場の建設にあたっていたが、ガ島の戦略的価値を高くみたアメリカ軍の奇襲上陸により、設営隊はジャングルに追いやられ、救援のかの一木支隊・川口支隊も全滅し、この年の二月に、大本営も敗北を認め撤退している。

しかし、大本営は国民向けには「転進」と発表し、その後の大本営発表はマユツバものとなる。そんななか、四月に山本五十六連合艦隊司令長官がソロモン群島で作戦中に、ガ島から発進した米軍機により撃墜され戦死している。

そして五月には、大本営より「アッツ島玉砕」の発表があり、国民は「全滅」ではなく,「玉砕」の道を歩んだ2千数百名の守備隊を“武士道の鑑”と賛美している。ここから玉砕が相次ぐことになろうとは、国民の思いもよらぬ戦局となるのである。

また、“足らぬ足らぬ”は戦闘機や工夫だけではなく、日中戦争以来の戦闘で軍隊に於ける下級指揮官の大量不足となって、その不足を補う為に「学徒動員」の緊急勅令が公布され、従来の大学・専門学校生の徴兵が満26歳まで猶予されていたのが、理科系を除く法文科系学生の徴兵猶予が取り消しとなっている。よって10月21日には、秋雨の降る神宮外苑で戦場に赴く学徒兵の壮行会が行われたのもこの年である。

【出来事】

  2月 ガタルカナル島撤退開始
  5月 アッツ島日本守備軍全滅
  6月 学徒動員計画発表
 11月 大東亜会議開催
 12月 第1回出陣学徒が入営する。徴兵年齢1年引き下げ(19歳)

日本は物資の無いままこの戦争をはじめたのだから「国民総力戦」であることは誰の目にも明らかである。その影響はもろに国民の消費生活にはね返って表題のごとく、「替え歌・愛国行進曲」が歌われている。

また、蓄・米英語はご法度となり、「サンデー毎日」→「週刊毎日」、「キング」→「富士」、「オール読物」→「文芸読物」の如くになる。

更に、ご婦人の服装についても大日本婦人会が長袖の女性に“決戦です!すぐお袖を切って下さい!”と、カードを渡す「長袖追放街頭運動」なるものを展開している。

一番庶民を苦しめたのは「米の買出し厳罰令」である。違反は“10年以下の懲役または5万円以下の罰金”となる。因みに米1升の公定価格が50銭でヤミ米が3円くらいの頃である。

さらに可愛そうなのは動物園の猛獣達である。空襲に備え「薬殺、餓死」となったからである。

【歌・映画】

 <歌>  
「同期の桜」 ♪貴様と俺とは同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く・・・(歌手多数) 
「若鷲の歌」 ♪若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に錨・・・(霧島・波平・唄) 
「加藤隼戦闘隊」 ♪エンジンの音轟々と 隼は往く雲の果て・・・・(灰田勝彦・唄) 
「勘太郎月夜唄」 ♪影か柳か勘太郎さんか 伊那は七谷糸ひく・・・(小畑・藤原・唄)

 <映画> 「無法松の一生」「伊那の勘太郎」「マライの虎」

などなど・・・。

独断と偏見で綴る昭和18年である。   (つづく)