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「むぎや祭り」を観てきました。

2013-09-15 12:21:04 | おでかけ
二百二十日の風も難なく過ぎた昨日、富山県南砺市城端の「むぎや祭り」を観てきました。

城端(じょうはな)町は 越中の小京都と呼ばれています。
 
何時もは長閑な街も、今日ばかりは哀愁を帯びた音色に包まれました。
      (むぎや節・歌詞)
約800年前、権勢と栄華を極めた平家一門は屋島・壇の浦の合戦に敗れてついに滅亡。日本各所へ落ちのびた平氏の中に、人里離れた越中五箇山を安住の地とした人々がいました。慣れない山仕事や農作業の合間に落人たちが都を偲んで唄い踊ったのが麦屋節の始まりだと言われています。 哀調を帯びた旋律にのせて描かれる落人たちの切なる心模様。凛とした気概を映し出す風格ある舞い。その独特の魅力は富山県を代表する祭として、人々の心を魅了しつづけているそうです。
   
併せて、むぎや節などの五箇山民謡を自由にアレンジした曲に合せ、創作した踊りを披露するストリートパフォ‐マンス「じゃんとこいむぎや」
  
も開催され、祭りは大いに盛り上がった。

 日程 9月14日 ~15日

 交通/東海北陸自動車道福光ICから車で3分
     JR城端駅から徒歩10分

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北陸自動車道を往く-4

2013-09-02 12:30:10 | おでかけ
【第二日目】
昨夜は旨い酒に酔いしれ スッキリ気分の起床である。
朝飯前にひと風呂浴びて朝食もきっちり戴き9:30チェックアウト。

今日は城めぐりの第三弾として「丸岡城」と、国民栄誉賞受賞の「松井秀喜ベースボールミュージアム」を廻る。

粟津温泉郷を出て再び北陸自動車道の加賀インターに乗り、丸岡インタ-に向う。同所より約5分で到着である。

「丸岡城」 福井県坂井市丸岡町霞町1丁目59
丸岡城は現存12天守閣のうち、最古のもので国の重要文化財となっている。

築城は天正4年柴田勝家の甥勝豊である。以降、安井家清、青山修理、同忠元、今村盛次、本多成重以下4代、有馬清純以下8代の居城を経て明治維新となる。大正中期より昭和の初期にわたり濠は埋められ、今は本丸と天守閣と僅かに石垣を残すのみである。

歴代藩主にあって本多成重の“一筆啓上火の用心 お仙泣かすな馬肥やせ”の 日本一短い手紙が有名である。↓(手紙文面)

かっては国宝であったが、昭和23年福井地震で倒壊した。昭和25年重要文化財の指定を受け、昭和30年に修復再建されたものである。   

帰路は小松インターに降りて 次男お目当ての
「松井秀喜ベ-スボ-ルミュ-ジアム」(石川県能美市山口町)
に立ち寄る。

夏休み中とあって 明日の松井秀喜を目指す若者達がたくさん入館していた。
また、展示品には国民栄誉賞をはじめ、数々の品々が展示してあった。(ここで紹介できないのが残念)

これで予定していた箇所の見学は全て終え、帰宅の途に着いた。
  
                 (完)

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北陸自動車道を往く-3

2013-09-01 15:48:08 | おでかけ
【第一日目】③

「福井城址」 所在:福井県福井市大手3−17−1
現在は福井県庁・福井警察本部などがあり、その一角にある。

福井城は柴田氏が天正3年(1575年)に築城した「柴田氏北ノ庄城」と、後、その跡地に結城氏によって慶長6年(1601年)に築城または改築を受けた「結城氏北ノ庄城(後に福井城に改名)」とがあるらしい。現地に結城秀康の顕彰像があるので結城氏北ノ庄城(福井城)をみる。

江戸時代には福井藩主越前松平家の居城・城下町として栄える。
1600年に家康の次男である結城秀康が68万石で北ノ庄に入封されると、翌1601年より天下普請による築城を開始する。1604年に秀康が松平氏を名乗ることを許され、名実共に御家門の居城にふさわしい城となるよう、全国諸大名の御手伝普請で約6年の歳月をかけて完成する。完成した城は2km四方に及んだ。5重の水堀が囲む本丸には4重5階の天守が建てられていたが1669年に焼失し、以後藩財政の悪化や幕府への配慮などから再建されることはなかった。幕府から再建の許可が下りなかったとの説あり。

1624年に福井藩第3代藩主松平忠昌によって、「北」の字が「敗北」にあたり不吉であるとして「北ノ庄」から「福居」に改名され、さらに後に「福井」と改名された由。

これで第一日目の行動を終え、宿泊地の粟津温泉「法師」に向う。
道順は福井インターに出て加賀インターまで31Km戻り、その先小松バイバスに出て粟津温泉街である。

粟津温泉「法師」 石川県小松市粟津町
石川県には山中・山代・片山津、和倉、そして粟津温泉と名の知れた温泉郷がたくさんある。
なかでも粟津温泉は開湯1300年(西暦700年)とされる歴史の古い湯で北陸で遍く信仰された泰澄大師が白山権現のお告げによって発見されたと伝えられる。
そして今夜のお宿「法師」は開湯と同時に出来た旅館で、老舗旅館である。

ゆっくり温泉に浸かり、ご馳走を戴き第一にて目が終わる。つづく

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北陸自動車道を往く-2

2013-08-31 10:06:23 | おでかけ
【第一日目】②

福井に向って車を走らすと 脇手に「一乗谷朝倉氏遺跡」の看板が見えた。

あぁ~あそこだ!~

「一乗谷朝倉氏遺跡・庭園」 所在:福井市城戸ノ内町

一乗谷は、福井市街の東南約10kmにあり、戦国時代朝倉氏の城下町の跡がそっくり埋もれていた。遺跡の発掘調査は、昭和42年から進められ、昭和46年には一乗谷城を含む278haが国の特別史跡に指定されました。また、平成3年には諏訪館跡庭園、湯殿跡庭園、館跡庭園、南陽寺跡庭園を含む4,205m2が特別名勝に指定されている。

朝倉氏は現在の兵庫県養父市の豪族で、南北朝時代に朝倉広影が主家の斯波高経に従って越前に入国している。孝影の代、1467年の応仁の乱の活躍をきっかけに一乗谷に本拠を移し、斯波氏、甲斐氏を追放して越前を平定した.以降、孝影、氏影、貞影、孝影、義影と5代103年間に亘り越前の中心として繁栄し、この間、京や奈良の貴族・僧侶などが下向し、北陸の小京都となったのである。しかし、天下統一の刀根坂の戦いで1573年織田信長に敗れ、朝倉氏は滅び、城下町も焼き討ちにあい灰燼に帰したのである。

一乗谷朝倉氏遺跡は「特別史跡」・「特別名勝」・「重要文化財」と 国の三重指定を受けている。


次は「福井城跡」である。   続く

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北陸自動車道を往く

2013-08-29 16:03:49 | おでかけ
旧盆の13日~14日、帰省中の次男と一緒に粟津温泉に行く。

親子水要らずのひととき、沿線の名所旧跡を廻ることとなった。

以下は、その道中記である。

【第一日目】①

金沢西インタより福井北インタに直行 先ずは永平寺である

「永平寺」
        
今から約760年前の寛元2年(1244)道元禅師よって開かれた座禅修行の道場である。

境内は三方を山に囲まれた深山幽霊の地に大小70余りの建物が並ぶ。

現在は曹洞宗の大本山として、僧侶の育成と壇信徒の信仰の源となっている。

〇主な伽藍
 
承陽殿(しょうようでん):御開山道元師のお霊屋 写真① 
 
法 堂(はっとう):禅師さまの説法の道場  
 
仏 殿(ぶつでん):中国宋時代様式の二重屋根と石畳の床が美しい 
 
僧 堂(そうどう):この建物は座禅・食事・就寝に至るまでの修行の根本道場
 
大庫院(だいくいん):1階=台所と廊下には名物の「大すりこぎ」がある 写真②
 
山 門(さんもん):中国唐時代様式の楼閣門・守護神の四天王を安置 写真③
 
鐘楼堂(しょうろうどう):除夜の鐘で有名な大梵鐘重さが約5㌧とか。
 
瑠璃聖宝閣(るりしょうぽうかく):国宝の「普勧坐禅儀」や法物を収めた宝物館。
 
 写真① 写真② 写真③
    
などなど 七堂伽藍に圧倒された。

約40分を掛けて七堂伽藍を廻ったら お腹がすきました。

昼食は「永平寺蕎麦」で元気を付け 

次の目的地「一乗谷遺跡」に向う。 
 
つづく


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五箇山・相倉ライトアップ

2013-05-25 15:10:07 | おでかけ
先週、世界遺産の“相倉合掌造り集落”のライトアップ”を観て来た。
     
冬場の雪景色もよいが5月は、
水面の逆さ富士ならぬ 田んぼに映る「逆さ合掌」である。
       
ほんの僅かな時間のマジックである。


所在:富山県南砺市相倉

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立山「称名滝」

2013-04-29 14:27:50 | おでかけ
を 見てきました。

称名滝(富山県立山町芦峅寺)は 落差日本一を誇る滝です。

滝に通ずる称名道路がさる26日に開通し、

その先1,3㌔を歩いて滝見台に到着です。

この地点からみる称名滝は、春から夏だけ現れる
対の「ハンノキ滝」も鑑賞できました。

立山の雪解け水35mの高さから流れ落ちる
壮大な景観を楽しんできました。

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2013-01-27 12:54:16 | おでかけ
“あれやこれやで睦月もわずか 炬燵で待ってる季節分け”

もう直ぐ節分と云うのに 雪が止まない。


“世相憂いたお天とさんが 堪えきれずに降らす雪”

であろうか?・・・

♪もうすぐ春~ですよ~は 暦上のこと、

未だ大寒なれば、この後も寒い日が続くだろうな~

そろそろ節分の準備をしなくちゃ~

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3連休・最終日

2012-11-25 11:58:10 | おでかけ
365日毎日連休の身ながら、紅葉のこの連休は格別の想いなり。

どこかお出かけしてのんびり温泉につかり、
紅葉狩りができれば最高だろうな~ ・・・



想い叶わぬならば、
ひなびた里のスーパーで開催中の 「駅弁まつり」の弁当で、



“旅行のつもり”としよう。

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近間のイベント

2012-10-21 17:49:55 | おでかけ
今年で10回目を迎えた“食都・氷見キトキトまつり”が 
氷見漁港内で行われた。

鮮魚や特産品の販売.である。
氷見と聞けば あの「寒ぶり」で知られる。
写真は今年新調された布製寒ぶり(4m)↓

氷見牛の串焼きや氷見カレー、梅、みかん、かき、自然薯など当地で収穫した旬の特産物が並ぶ。

会場の大漁鍋コーナでは 満席の盛況であっった。
他にも姉妹都市の特産品コーナーや、蕎麦打ちなどの体験コーナもあった。


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涼を求めて

2012-09-02 11:35:35 | おでかけ
真言密宗・大岩山「日石寺」に行って来た。
  
日石寺(富山県中新川郡上市町)の創建は神亀2年(725)行基が開いたのが始まりとある。

古くから立山の山岳信仰の一端として寺運も隆盛し最盛期には21社60坊を抱える大寺として名を馳せたそうである。天正年間(1573〜92)上杉勢の兵火に遭い多くの堂宇、寺宝、記録が焼失し衰退したが正保年間(1644〜48)に弘寒和尚により再興され、さらに加賀藩主前田利常の子宝祈願が成就したことで歴代前田家の祈願所となる。本尊である大岩日石寺磨崖仏(国指定重要文化財)は不動明王像、二童子像(矜羯羅童子像・制咤迦童子像)、阿弥陀如来像、僧形像の5体で構成され、中でも不動明王像(像高313.5センチ)と二童子像(像高214センチ)は行基が自ら彫り込んだと伝わるもので大きさや美しさ、保存状態から全国の中でも指折りの磨崖仏とされている。

本堂横には「六本滝」がある。

ご参詣を済ましてここで
この地の名物「冷やしそうめん」を食し この地を後にした。
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