~ 気ままに歩く 沖縄 ~ |
( 画像; 琉球漆器 ) |
【 沖縄の工芸 】 『 琉球漆器 その3 』を見聞しましょう。 〓 琉球漆器工芸の歩みは次の時代区分で考察される 〓 (1)13代国王;尚 寧(1589~1620年)までの時代 (2)薩摩藩の琉球侵攻(1609年)以降の時代 (3)廃藩置県施行(1879年)以降の時代(琉球王府解体以降) (4)第二次世界大戦の終戦(1945年)以降の時代 (5)本土復帰(1972年)以降の時代 ★ 前編に続き「 社会的背景と漆技法の歩み 」を時代区分でみる ◇ 第二次世界大戦の終戦(1945年)以降の時代 ・ 社会的背景 第二次世界大戦(1941~45年)は沖縄に過大な戦災をもたらした。 大戦末期の1945年3月末から、アメリカ軍は沖縄本島周辺離島を制圧し、引き続き本島各地に上陸を開始した。 日本本土防衛の前線地として沖縄に配備されてた日本軍との間で棲さましい地上戦が繰り広げられた。 軍事能力で格段に劣る日本軍は力尽きて陥落した。 ( 同年6月23日 ) 両軍最高指揮官が戦死するなど第二次大戦における最激戦地とされる。 この沖縄戦は多くの民間人を巻き込んでの地上戦であった。 地形が変わるほどの激しい艦砲射撃・空爆戦が行われた沖縄本島、とりわけ中南部地域は殆んどの住宅や田畑が焦土と化し、多くの家族・知人・友人が戦禍に巻き込まれて亡くなった。 辛うじて命拾いした住民達は焼野が原の中で打ちひしがれて憔悴しきった状態におかれた。 敗戦からの沖縄は米軍政統治下におかれた。 日本の敗戦(1945年)に伴い沖縄県庁は解体され、1972年5月の本土復帰に至るまでの27年間をアメリカ軍政の下に統治された。 米軍政統治下の間も無くに1949年の中華人民共和国誕生や1950年の朝鮮戦争勃発に伴って米軍基地建設の拡張が急速化した。 特に1965年から激化して1975年まで続いたベトナム戦争の後方基地とされてからは駐留米軍人・軍属が飛躍的に増加した。 戦渦に因る人・物資の混乱で殆どの産業が消滅状態になった。 漆器産業も漏れなく消滅してしまった。 人々は生活の糧を得るべく右往左往の時が流れた。 2年後の1947年(昭和21)になって、辛うじて戦禍を免れた漆器関係者が漆器工房を開設して製作に取り組むようになった。 ・ 漆技法の特徴 漆器工房を再建して生産に取り組んだ商品が、はからずも米軍人軍属の土産品として好評となった。 嗜好を反映して、漆器スタイルはコーヒーカップ、サイドテーブル、オードブル皿、チェスなど洋風イメージの製品が主力となって行った。 塗り色も東洋的で神秘的な黒系が多くなった。 カラフルで描写的なハイビスカスの花図柄の堆錦や黒漆螺鈿のネームプレートも多く製作されるようになった。 ※ 米軍政統治下に於ける沖縄経済の市場通貨 当初は日本円と米軍票B円が用いられた。 1948~58年まではB円が唯一の通貨となった。 1958年以降、本土復帰までは米ドルが使われた。 ◇ 本土復帰(1972年)以降の時代 ・ 社会的背景 1969年(昭和44)の佐藤・ニクソン首脳会談で「 沖縄返還 」を約束。 1971年(昭和46)に「 沖縄返還協定 」が締結された。 1972年(昭和47)5月15日に沖縄は「 本土復帰 」した。 長期にわたり米軍政統治下で営まれた沖縄経済は本土大手資本の誘致を図る事が困難であった。 また、大規模製造業などの地場産業が育つ要因も乏しかった。 米軍基地に依存した小規模な産業や観光産業で賄う経済体質であった。 沖縄県の本土復帰記念事業として開催された「 沖縄国際海洋博覧会 」(1975 ~ 76年)は沖縄経済に大きなインパクトをもたらした。 主要幹線道路整備や大規模宿泊施設の整備拡充が展開された。 博覧会施設跡は 海洋博公園 として観光目玉スポットになっている。 国が取り組んだ「 総合保養地域整備法 」(リゾート法:1987年制定)をも沖縄経済に多大な効果をもたらした。 この法は「 民間事業者の活用に重点をおいて多様な余暇活動が楽しめる場を総合的に整備する 」を目指す内容である。 国内唯一の亜熱帯性気候にあって「 海洋リゾート 」の最適地として推奨される沖縄には大型リゾート施設の建立が押し寄せた。 また、公的社会資本の整備拡充も随時展開された。 世界有数のサンゴ礁を有する海洋に恵まれた沖縄県にとっては千載一遇の施策である。 現在でも沖縄の入域観光客数は漸増する足どりを辿っている。 地元農産物や文化工芸品などが観光土産品として需要増大している。 ・ 漆技法の特徴 観光需要が高まるに伴い、文様もデイゴ(県花)やハイビスカスの花図柄となり、量産の利く堆錦技法の加飾が多くなった。 塗り色も神秘的な黒から南国をイメージする鮮明な朱色へと変化した。 生活用品として模様の入らない朱塗りで無地の器も多くなった。 〓 琉球漆器に明るい展望 〓 徳川美術館や根津美術館が主催して「 琉球漆器展 」を開催するようになった。それらの展示会において、それまでは中国製と思われていた数多くの作品が、実は琉球製であった史事の調査検証が報告された。 琉球漆器の歴史が見直され国際的な評価を得るよ うになった。 首里城 復元(1992年)に於いて施された漆塗りの技術力は漆芸の極みであるとも云われる。 近年では若い技術者の間に本格的な漆工芸品の製作を望む声が強まり、琉球王朝時代の各種古典技法が復活する兆しがみられる。 沖縄県は漆器産業の施策展開を推進して尽力を注いでいる。 |
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〓お知らせ〓 NHK BS時代劇 19世紀 琉球王府の人間模様を描く. 毎週日曜 pm6:45 放映 |
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