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西村 洋の音楽とギター

音楽の持つ繊細、深遠、愛、ギターはこれらを表現しうる力を持っています。でもどうやって?

演奏の実際~愛のロマンス~

2012-02-27 23:03:04 | Weblog
今回は誰もがご存知の「愛のロマンス」です。
この変な題名とか、曲の由来、作曲者は誰かと言ったことは抜きにしても、この曲は美しいし純真で素敵です。
この純真で美しいのには理由があります。

1美しい曲、名曲は短調音階の5番目から始まる。
2旋律が基本リズムで出来ている。(すべて四分音符で構成)

この曲はホ短調です。ホ短調音階の5番目シから旋律が始まっています。長調の曲では3番目、ハ長調だったらミ、ホ長調ならソ#です。短調音階の5番目、長調の曲では3番目から始まる曲には美しい曲が一杯あります。(例;アルハンブラの思い出、オリエンタル、メンデルスゾーンのVn協奏曲、人しれぬ涙)
ただし長調の場合はアフタクトで6度跳躍して一拍目に音階の3番目の音が来る場合が多いです。(ハ長調ならソ~ミ)

基本リズムだけの曲は子供の歌にはいっぱいあります。単純なだけにとっても歌いやすいし、一度覚えると記憶から薄れにくいのも特徴です。そして作為が無い分とても純粋です。
(例;きらきら星、平城山、ペチカ、喜びの歌、荒城の月)

では細かく見て行きます。先ず形式です。

大きく見ると、ホ短調の部分(A)が16小節、次に同主調のホ長調が(B)16小節、もう一度初めのA部分に戻って終わります。
つまり3部形式(ABA)ですが、A部分は4+4+4+4(a,a’,b,b')の2部形式。次のBも同じ2部形式です。と言う事で正しくは複合3部形式となります。

ここまではごく当たり前の事ですのですが、同主調転調の事は大切です。ラグリマでも触れましたが短調から長調に移行する場合で、同主調の場合は、弾んだり明るく移ったりしないこと。ソフトに、ホッとするように移って下さい。救われた感じがいいと思います。
(探し物が見つかった様な感じ、懸案事項が解決したような感じ、燭光を見い出した感じです。)
アルハンブラの思い出のイ長調に移る時も同じです。

Aについて

4小節のフレーズが4つで出来ています。
1-4(1小節から4小節)と5-8は同型反復進行です。(a,a')
それぞれ頂点は1の1(1小節目の1拍目)と4の1です。旋律線は、下がって上がる、いわゆる谷型。

9-12、と13-16は同型反復とまではいきませんが旋律線は反対で山型です。同じ山型なのでb,b’と考えます。
bの頂点は10の1、b'の頂点は14の1です。

A全体の頂点は10の1です。

テンポは速く演奏する人も多いですが私は遅い方が好きです。
注意するのは遅いと2小節を一つのフレーズと取ってしまう事です。

6の3の和音(伴奏音)がドラ(下属和音)となっている楽譜がありますが、ここは非和声音シソ(先取和音)の方が7の1が美しくなります。

1,5,13、15の各小節はすべて同音連続です。
同音連続は同じ気持ちで音を出さないこと。
この曲では15小節以外は皆、緊張感が高まる様に音を出すといいでしょう。

ギターの曲はいい曲ほどテクニックが大変ですが、この曲は例外です。易しいけど本当に魅力のある曲です。さらっと弾き流す様なことは避けて、愛情をこめて一音、一音大切に弾いてみて下さい。
Bは次回書きます。

演奏の実際(3)

2012-02-14 00:13:44 | Weblog
さて、ラグリマの中間部(B)についてです。
Bの大きな特徴は次の通りです。
1;Aの同主調、ホ短調に転調している。
2;Aと同じく8小節構造(2+2+4)で出来ている。

それでは細かく見て行きましょう。
9小節目でホ短調に転調です。同主調の短調転調は急激な展開の合図です。しかもこの小節ではいきなり9-1で堂々とした主和音を提示して居ます。(ソプラノに主和音の第3音をもって来ている)しかも旋律全体をAでは用いなかった8分音符を使っています。
さらに9-2では5度下降(シ~ミ)を用いることで悲痛な感じを出しています。Aの穏やかさとは反対で見事な対比です。

10では刺繍音風の経過句があります。この経過句は11-1のシまでです。この経過句の運指がすべて3弦4弦と書いてある楽譜を見かけます。分からなくもないのですが10-2は開放弦で十分でしょう。

さて9小節で劇的展開をしましたがタレガは次の11でもあっと驚く離れ業を行ってます。
いきなりこの曲の最高音をしかもすべてシンコぺーションで提示しています。
オクターブの跳躍をシンコぺーションで行うとどうなるか。つまり1オクターブ高い音が本来出てくるであろう所を半拍ずらすことでこの跳躍が神秘的で愛に満ちた優しさに変身するのです。

色々器楽曲の作品を見ていますが、こういう使い方は少ないものです。タレガの才能の高さがここに表れています。

技術的な事ですが11の旋律、ミード―ラーファーは運指、指の移動をよく考えて音が途切れない様にして下さい。
この11の記譜法には問題があります。一段譜では仕方がないと思いますが、出版社としては注意書きがあってもいいと思います。11-2のラは指が届かない人は4弦の12フレットのハーモニクスにしてもいいと思います。

12ー1は11の旋律の終わりの音になっており残りのシドシシファが経過句です。12-3は2小節目の経過句の模倣で本来はオクターブ下がるのが普通ですが、タレガはギターの特徴の同音異弦を用いることで下げずに次の旋律につなげています。(こう言った所もタレガの天才的な所です)

さていよいよBも終わりに近づきます。12と2が同じ経過句と書きましたが、13と3が従って同じ旋律になります。(短調、長調の違いはありますが)

さて次の14-1が頂点です。クライマックスです。和音は頂点に用いられる頻度が高い4度です。4度の頂点は美の化身です。しかもこの14-1はアポジャトーラ(イ音)と言う非和声音です。本来のドになる前にワンクッション置いています。(レが非和声音。ドは解決音)この配慮は実に心憎いばかりです。是非ここは最愛の人を抱き寄せる様な感じで演奏して下さい。

15-3ここの記譜法はでたらめです。6小節同様、主旋律が見えません。一応諸説を書いておきます。

1ミーファーシラミ--ー
2ミーファー――ミーーー
3ミーファーシ―ミーーーー

1は論外です。シラミなんて汚い旋律はタレガが書くはずもないです。
2か3ですが私は3を取ります。タレガらしい事。美しい事。1,2拍目と同じリズムであることが理由です。

15-1の運指ですが開放弦は確かに楽でいいですが2弦あたりがいいでしょう。まあそうすると全体の指が変わりますが、ここは美しさを優先して下さい。

曲はこの後そっくりAを再現部として演奏して終わります。

タレガはよくこの短い曲に斬新なアイデアを盛り込んだなあと思います。多分タレガお気に入りの曲だったんでしょう。

演奏の実際(2)

2012-02-07 00:21:09 | Weblog
続きです。
さて5ー1が頂点と言う事は前回述べましたが、このラグリマでは中間部(B)の頂点14-1のどちらも4度の和音です。

4度の頂点は色んな曲に多いです。
基本的に1度の頂点は幅広く、5度では孤高を保つ緊張感そして4度は美の化身という感じです。
ここでも同じで十分な強さを持った美しい音を求めています。

さて6小節です。旋律が楽譜だけで判断出来にくい所です。
作曲者が生きていれば聞く事が出来ますが、他界してます。まあ私達が演奏する曲は殆どがそうで聞く事が出来ませんから正しく判断するには、その作曲家の他の曲の似たような所を見て類推したりします。でも結局は演奏家のセンスで決定するほかありません。(演奏家のセンスとは、勘では無くて、深い音楽知識、経験、人間性などから生まれます。)

旋律と思われるものを列挙します。
1;シードミファラ
2:シードー
3;シーー
4;シーミファラ

これらで有りうるのは3番と4番です。どちらも捨てがたい美しさです。1と2は論外です。

私は3番目を選びます。理由は美しいからという他に、ここは主題の(1~2)のソラシミーーの反進行ミレドシ--と見るからです。
バスがシドーでミファラは経過句となる訳です。

続いて7小節です。ここでも楽譜の記譜は、あいまいでどれが旋律か分かりにくいです。でも6小節ほど諸説はありません。
分かりにくいがこの旋律はソーファーーレミーーです。

ただ一般的な楽譜のここの運指はあり得ません。

7-2は13、3弦と4弦で取り7-3はバスが6弦の1裏拍が3弦4弦で42がいいでしょう。以上でAの部分が終わります。

何処も不自然さの無い完璧な8小節構造。1~4が山を登り5~8で山を下りる。5-1が山の頂上。
登りはクレッシェンド、降りる時はデクレッシェンド。

8小節の問答形式(どおして?どおして?それはね、こうなんだ)
巧みな反復進行。
曲が終わる寸前にシンコペーションの旋律を置いて変化を与えている。

基本通りとはいえ実に見事な出来栄えです。しかもこのラグリマは次のBに至ってはさらに度肝を抜く見事さが出て来ます。
Aが完ぺきな秀才とするとBはまさに天才、鬼才を思わせます。

はい。いい所ですがこの辺で、また次に続きます。

演奏の実際

2012-02-06 00:03:24 | Weblog
実際に演奏するに当たっての注意点などを取りとめもなく書いて行きます。
今回はタレガのラグリマです。楽譜を用意して読んで下さい。(ブログに五線譜を載せる方法が分からないので。)

曲の構造は8+8+8(ABA)大楽節3つの典型的な3部形式です。
Aの部分1~8小節までがホ長調、B9~16小節までが同主短調(ホ短調)

一般的に同主調の転調では長調はリラックスしてほっと落ち着く感じ、短調は厳しく緊張した感じが多いです。

曲の雰囲気は題名と速度記号(Andante)からもうかがえます。

1小節の2拍目(以下1-2と表記)の運指は42(高い音から書いている1-3も42がベスト。1-2を21とする楽譜があるが信じられない。

1-1は主和音でしかも旋律は音階の3番目の音(ハ長調ならミ)
つまり動くでもなく止まるでもなく宙に浮いて漂う音です。(ちなみに一番めドは安定、固定、5番目のソは動的)という事で、この曲始まりの音だけで優しく親しみやすさが伝わります。

そして1-2から曲は動いて行きます。
1~2と3~4は同型反復進行です。こういう進行ではエコーもありますが、Aは8小節構造で4+4になっていることから、これはエコーとは捉えず頂点(3-1)に向かうクレッシェンドが標準です。

またこの1~4には属音オルゲンプンクトが内声にあります。遅めの曲なので躍動感は無いですがどこかフアフアとした感じを表現してます。

1ー3から2-1は4度の下降進行があります。これは柔らかい進行ですがギターで演奏すると技術的に結構難しくて、まるで5度下降見たいな強さを表現する人がいます。注意しましょう。(左手の力が入り易い為)

さていよいよAの部分のクライマックス(頂点)の5-1に移ります。旋律は7度跳躍、結構気持ちのエネルギーが必要です
ただ注意して欲しい事があります。ギターはヴァイオリンや人の声の様に音を同じ大きさで伸ばせません。(減衰します)
それでいわゆるギターの音で演奏してしまうと(音楽で演奏しましょう)4-3の②の解放弦からの跳躍すなわちシ~ミと勘違いしやすいです。

それから大切なことですが2小節と4小節のバスを注意して下さい。4-3ではバスにシが入ってます。2小節ではバスはレ#だけです。これが印刷ミスでなければ演奏上この4-3のシは十分な強さで音が出されるべきです。
私の好みでは大切に弾きます。(クレッシェンドもしやすい)

さて本当にいい所ですが時間切れです。次回に続きます。

続き

2012-01-22 14:45:53 | Weblog
4:指使いについて

今回のリサイタルでバッハのVnパルティータ2番は初めて演奏しましたがシャコンヌだけはコンサートでの演奏は4回になります。この曲に限らずバッハの曲は演奏の度に編曲が変わります。いまだに私にとって、これぞという決定版は無いです。取り組む度に曲の中から宝物が見つかり、編曲もアーティキュレーションも変わっていきます。それに伴い指使いも変わります。

多分あと10年ほど経てばいい楽譜が出来ると思います。そうなればやっと誰でもがあまり苦労する事がなく本物のバッハが演奏できる様になるのではないかと思います。

今出版されているのは、技術的に困難だったり、バッハから離れ過ぎていたりします。
音楽を表現する為には、深い知識、教養、経験、人間性といった得体の知れないものが必要かもしれませんが、たんに演奏するのであれば、いい楽譜、いい指使い、まあいい楽器があればそんなに難しい事ではありません。

先ずその曲が弾く事が出来なくては音楽の表現は無理です。私には殆どの人が「弾けない曲を弾いている」(???)様に見えます。

今回のバッハに関して言うと練習の開始は1月からでしたが指使いなどが決まるまでに半年くらいかかりました。

以上が特に今回のリサイタルについて感じた事です。さて今年のリサイタルは12月16日(日)です。曲目も主要なものは決まっています。後ほど発表します。

2012年になりました。

2012-01-10 00:02:14 | Weblog
明けましておめでとうございます。
しばらくブログの更新を怠っていると、ついつい延び延びになってしまいます。でも結構多くの方がこのブログを読んでいます。その為にもさぼらないで小まめに書いていこうと、反省している所です。

さて去年のリサイタルは12月24日に終わりました。まあ大変な曲をやってしまったから、さあしばらくは、遊べるなと思っていたのですが、次は何を弾こうか、自分の演奏はここが駄目だし、とかあそこ、どうして速く弾いてしまったのかな、とか色々頭からギターの事が抜けません。結局終わった後も毎日ギターと格闘しています。

さて前回書いていたのですが、リサイタルに向けて1年間練習をしていて気がついた事などを書いておきます。

1:自分の演奏について

昨年1年ほぼ毎日練習していたのはバッハの曲です。ソルの方はリサイタルが近づいた頃10月くらいから始まったのです。という事ではるかにバッハの方が練習量は多かったのですが、やはりソルの方のキャリアにはかないません。いかに練習量を増やしても高校生のころから続けているソルには音楽があるけどバッハにはそこまでのゆとりとか大きさが出て来ません。当たり前だけど一つの曲を10年20年と弾き続けることが何よりも大切と思いました。

2:ギターの持ち方

3年ほど前に、ギターの持ち方をガラッと変えました。今回はその演奏スタイルをよく注意して練習しました。その性で以前はどうしても思うように出来なかったシャコンヌのハイポジションのスケール、レソファミレドシラの10フレットから15フレットへ指が楽に届く様になった事は、まあ記念すべき事です。なにしろこのシャコンヌも16歳頃から弾き始めて50年近くやって来て今回初めて音が出せたんです。もっともっと早くに気が付いていればとは思うのですが、まあ音楽なんてこんなものなんでしょうか。

3:拍節リズム

初めのうちは楽譜を見ながら練習していたのですが、暗譜するようになると、すらすらと弾けるものでいい気分で弾いていると、どこか不自然な歌い方になったり、リズムが重い感じがしてくるのに気がつきました。原因はいつの間にか別の所を1拍目と勘違いしていた事です。演奏では1拍目の認識は重要です。特にバッハの曲では初めから終りまで休符なしで16分音符が連続なんてのが多いものですから要注意です。

まだまだありますが次回続きを書きます。

西村 洋ギターリサイタル

2011-12-09 00:54:53 | Weblog
ずっとこのブログお休みしてました。3月の大震災でキャンセルだったコンサートが10月、11月に復活して忙しい日を過ごして書く暇がありませんでした。

今月(12月)も18,23,24日にコンサートがあります。その中で重要なのは今年1年の締めくくりの私のギターリサイタルです。

よりによってクリスマスイブにやらなくてもという声を聞きましたが、私も聴く方も一期一会と思って来て下さい。

この演奏会が終わりましたら、ブログの方再開します。今年一年練習してきて気がついた事などを書きたいと思います。これは必見(?)の価値あります。

 
          「西村 洋ギターリサイタル」
            12月24日午後7:00開演  
        宇都宮市文化会館小ホール  入場料\3000

               プログラム

       無伴奏ヴァイオリンパルティータ2番(全曲)(バッハ)

             悲歌風幻想曲(ソル)

             12のメヌエット(ソル)


バッハはシャコンヌの入っている物です。ソルの幻想曲はソルの最後のソロ曲です。12のメヌエットは今回新しく編集しました。いずれも長大な曲ばかりです。じっくり聴いて下さい。

良い演奏、悪い演奏(13)

2011-09-23 23:19:45 | Weblog
「よい演奏、悪い演奏」のについて色々と思う事を取りとめも無く書いてきましたが、いよいよ今回で終了して次回からは新たな項目で述べて行くつもりです。

何人かの方から私のブログを楽しみに読んでいる、というお便りをいただくことがあり、嬉しく思っていますが、なかなか音楽を文章にするのは難しく自分の思いを半分も伝えられないもどかしさがあります。

私が音楽を勉強していられる時間はあと10年位かと思います。
それまでにより多くの人に伝え、本当の音楽、真の演奏と言うものを広めたいと思っていますが、言葉だけではなかなか大変です。私の演奏を通して伝えたいと思っています。

心ある人は私を訪ねて下さい。叩かなくては門は開かないでしょう。

今の世の中は偽善に満ち溢れ、そこから真実を見出す力がマヒされているように思います。
聴覚も視覚も、味覚もあらゆるものがマヒされているように思います。

すべて軽薄短小を求めがちです。携帯電話はその典型でしょう。

さてそれでは最終稿です。
演奏の定義の項目で触れたことがありますが演奏の語源には次の5つあります。

play, perfomance, concert, translation, interpretation

このうち演奏の役割として大切なのは4番目のtranslationです。翻訳するという意味です。

音楽語と言う意味の分からない言葉(楽譜)を意味のある音に置き換える事を云います。
其の手段として、楽譜を音にする技術は勿論、強弱、テンポ、音色の変化、間の取り方、心の緊張や弛緩、リズム、呼吸などを駆使して翻訳するのです。

今、季節は秋です。秋の大変有名で美しい詩があります。ベルレーヌの「落ち葉」です。

Les sanglots longs
Des Violons
de l'automne
Blessent mon coeur
D'une languer
Monotone

直訳します。

秋にビオロンの長いすすり泣くような音が私の心を刺す。
そしてモノトーンの(単色の)憂鬱を引き出す。

次はご存知の上田敏の名訳です。

秋の日の
ビオロンの
ため息の
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

音楽語を訳した時、初めの直訳がいいとは思はないが、今世の中に出回っているものでしょう。
上田敏のは名演奏家のものでしょう。

この詩は大きく3つの部分に分かれています。ここに書いたのは其の冒頭部だけです。何かの折に全文読んでみて下さい。

さてこの初めの直訳でも一応詩の雰囲気は伝わると思います。
しかしフランス語や英語などを翻訳するのと違って音楽語を訳するとなると、大変です。

心しないと全く意味が通じないか、若しくはいいものを破壊してしまう恐れもあります。

まずせめて意訳だけでも出来るようにし、さらに推敲してより良いものを目指すようになりたいものです。

良い演奏、悪い演奏(12)

2011-08-21 21:59:27 | Weblog
前回は楽譜に書いてあるものをすべて疑問視するところから始める。と書きました。

この事は音楽を聴く時にも当てはまります。良い演奏や悪い演奏はパッと聞いた印象で分かると思いますが、あなたがよりよい演奏を望むのであれば、なぜあのテンポなのか、なぜあの音色なのか、なぜあんな風に弾くのか、等の聴き方をする事も大切です。

なぜと思う所がなくて、なるほど言う感じの演奏ならいいですが。

さて話を戻します。ある音(仮にAとします)からある音(B)に移っている時、なぜAからBなのだろう。Cではいけないのだろうか、と考える事が大切です。勿論和音についても同様です。A~BのときなぜCの和音ではだめか?という事を考える事が大切です。

例を上げます。
ファミミー、ファミミー、ファミミドー、ドシラー、ラソファー、ファミレー、

モーツァルトの名旋律です。ファミミーが3度続いて次に6度の跳躍をします。なぜドなのだろうシやミでは駄目なのか。と疑問視するところから始めましょう。

常に覚えて戴きたい事があります。作曲者がある音からある音にするのは

行き当たりばったりではなく、そこにはそうせざるを得ない、やむにやまれぬ事情があった事を。!

作曲者はそうすることに命を掛けているし、ある音を考え付くのは、産みの苦しみに等しいほど崇高だし、奇跡的なことだということを。!

自分がどうでもいいと思っている作曲者は、こんな風には作って無いけれど、自分の作品にプライドを持っている作曲者の作品は1音1音に、命が宿っています。

そういう風にして創られた曲を演奏者が何の疑問も持たず音を出すのは大変失礼なことでしょう。

和音の例もあげます。

ソルの月光の後半。お終いから5小節前、普通ならBmだがGコードになってます。偽終止になってるわけです。主和音で無く6度の和音にしたのも、もちろんやむにやまれぬ事情があります。そういう事を考える事が良い演奏には大切です。

ついでにこの月光の24小節目の3拍目ファ#は4分音符です。同型の16小節の3拍目は8分音符です。セゴビアの指定したクレッシェンド記号は24小節の3拍目から付けています。

これらの事は16小節と17小節は演奏上のブレスがあるが、24と25の間、特に3拍目のファ#から次のレ#はブレスしないで、という願いをソルなりセゴビアが楽譜に表しているのでしょう。(先程のモーツァルトと同じく何とも美しい6度進行になってます。)

                  ~以下、続きます~

良い演奏、悪い演奏(11)

2011-08-09 22:09:44 | Weblog
いよいよこの項目の最終稿は楽曲の理解です。
しかしその前にいくつかこのブログを読んでいる方から質問が届いていますので,
お答えさせて戴きます。

右手pの弦に当たる位置についてです。i,m,は爪の左はじに弦があたり中ほどまで滑って離れて行きますがpはどうなのかという質問です。

pはi,m,と違い爪の中ほどに弦に当たり左はじに抜けて行きます。(質問した方と同じです)
ついでに書いて置きます。和音をpで流す弾き方の場合たまにpを立てて爪だけで弾く事もありますが、ほとんどは爪を使いません。

それから2つ目の質問,スケールを弾く時の左手に付いてです。上向音階は指を立てず寝せるようにすると書いてあるが、下降音階も同じかという質問です。

上向音階は指のばたつきを解消するためと手首がスムースに腕と同じ角度に(後ろの親指が上に上がりやすくする)なりやすくするために寝せる様に押さえますが、下降音階は指を寝せると今度は手首を前に出しにくくなるので。指は多少立てて押さえます。

これもついでの書いて置きます。左手の手首は⑤,⑥弦を押さえたりセーハする時以外はなるべく曲げない事。真っ直ぐか手の甲が腕より下を向く位です。それからネックに触れるのは、押さえている指と後ろの親指ともう一つ、人差指の付け根がネックの下を触れているといいです。

左手に関してでギター奏法の解説で、指を立てるとか指の向きはフレットに並行に、とか後ろの親指はネックの下の方を押さえるとか書いてあるのを見ることが在りますが、そう言う時もあるけど、全体的には間違いです。

さあ長くなってしまいましたが、楽曲の理解の項目に入ります。
曲を理解しているのがいい演奏、してなければ悪い演奏になります。

でも世の中には理解していても悪い演奏、全然曲の事なんか分からなくともいい演奏があるんです。この事は他の人の例をとらずに私の例で行きます。
私は自分で言うのも恥ずかしいけど(本当は恥ずかしがってない)曲の理解に関しては誰よりも勉強しています。じゃーいい演奏をするかというと、まあ自分では悪くは無いと思うけど世の中には私よりもいい感じで演奏する人がいます。


まあこの事に関しては前回の感性とか生まれもった才能とかとも関係してくるので、あまり触れません。
普通のいい演奏の段階では、こういうことは起こりますが、最高レベルの場合は間違いなく理解している方がいい演奏になります。

今回は楽曲の理解の方法を書いて置きます。

楽曲の理解~その1~

楽譜に書いてあるすべてを疑問視する.
まずタイトルはなぜアンダンテと書いてあるのか、月光と書いてあるのか、アレグロでは駄目なのか日光ではだめなのか。こんな感じで疑問視して一つ一つ楽曲を理解する事が大切です。

拍子もなぜ2拍子なのだろう4拍子ではだめなのか。という感じです。

最初の音がドとなっているには作曲者がそうする心の必要性があった訳ですから、それを考えるのが楽曲の理解の第一歩です。

調についても色々理由があります。それを考えて下さい。

すべてこの疑問視から始まりますが、曲の背景すなわちその曲の生い立ち、歴史背景、作曲者の生き方などは知らないよりは知っておいた方が理解は深まると思います。

が大切なのは楽譜そのものです。ああ大切な事を書き洩らしました。世の中には間違った楽譜が、結構出回ってます。初めから、タイトルから間違っているのもあります。そんな楽譜で疑問視から始まるんだよ、なんて思っても何にもなりません。

この稿続く