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西村 洋の音楽とギター

音楽の持つ繊細、深遠、愛、ギターはこれらを表現しうる力を持っています。でもどうやって?

魔笛考(3)

2013-03-07 00:32:59 | Weblog
第1変奏

主題の後5個の変奏とコーダが続きます。
変奏曲形式には、ソナタ形式の様な決まりみたいのは無く変奏の数も自由です。

ただ古典時代までは厳格変奏と言って,主題に則って様々な変奏が作られていますが、古典期の終わりから(ヴェートーヴェンの頃)ロマン派になると主題の動機を用いて自由な形の変奏も生まれて来ます。(性格変奏)

この魔笛は厳格変奏ですがソルも後期作品では性格変奏も作っています。

さて第1変奏は主題と小節数も和声も全く同じという厳格変奏です。それでいて個性が、がらっと違って見えるのは素晴らしいです。
おなじ厳格変奏でもフェステラリアーネとは大違いです。

この第1変奏と主題を一緒に2重奏でやるとご機嫌な曲になります。まあ一卵性双生児だが個性が全く違うという感じです。この感じが第3,4,5変奏でも同じです。

さて話を戻します。曲の構成も主題と変わらず2+2+4の8小節構造です。強弱も同様です。ただし主題と大きく違う所があります。

バスの扱い方です。主題では冒頭4小節はあえてバスが無くしてあるのにV1ではバスを多用してます。反対にViの前半お終いではバスがありません。

又この後半8小節ではバスは極端に少なくなっています。僅か3音しかないのです。このバスのある、ナシを意識しなくてはよい演奏は出来ないでしょう。

作曲家は稀には学校の校歌等生活の為に曲を書く事もありますが、殆どは産みの苦しみを経てやむにやまれぬ思いや、心の迸りによって曲を書きます。
私も大した曲ではありませんが作曲の時はそうです。和声は勿論、バスの選択には血の滲むような決断を要します。
演奏家はその辺の所を良く考慮すべきです。

もう一つ最近話題になっている所があります。このV1の1小節目の1拍目の裏拍に旋律です。ソファラソの所です。
セゴビアはここのファをダブルシャープで演奏しています。ここは初版(第1版)ではファ#となっていますが、ソルの曲は他の出版社でも出しておりダブルシャープになっているのもあります。

どちらが正しいかはソルもいないし自筆譜が無いので分かりません。でもこれだけの名曲です。2種類の演奏があるのも可哀そうです。

ただ僕はダブルシャープの方が正しいと思っています。
このViの動機は何度も出て来ます。24回でてきます。この問題となっている所以外のタカタカタンの初めの2音は21回が全部半音になっています。全音に所2か所はフレーズの終わりに使っています。ですから問題の個所がファ#では不自然な感じがします。最も例えソルがファ#と書いたとしてもそぐわないでしょう。作曲家も神様ではありません。1度書いた作品も思う事があれば何度も手直しします。私もそうです。楽譜から心を読み、何度も修正し、より高みに登って行くべきです。

皆さんはどう思われるでしょうか。ただし、この部分はバスの進行や和声と言った曲の根幹をなす所ではありません。根幹にかかわる所では推敲に推敲を重ねた演奏が必要ですが、枝葉末節に捉われた演奏も考えものです。
ただし単純に、印刷された楽譜をうのみにしたり、そこに山があるから登るんだ、といった演奏はしない事です。自分なりにこうだからと推論を立てる事はとても大切な事です。

作曲者の心を汲む。作曲者と心を通わせる事は演奏家には欠かせない要件と思われます。

PS 前回の主題の項目で書きもらしがありました。前半と後半の2、3小節の1拍目は倚音です。少し強調して次の解決音を抱き込む様に演奏します。この使い方は第2変奏でも多く出て来ます。演奏上強弱の他に注意すべきはこの倚音が下拍という事です。

「魔笛」考(2)

2013-02-26 00:02:27 | Weblog
主題について

魔笛のオペラの中にはこの主題と似ているのは在りますが同じものは無いです。魔笛の中のアリア風の主題と言う方が正しいかと思います。

この主題は8小節(大楽節)2個による2部形式です。
この8小節構造は2+2+4になっています。
8小節まとまりというのはあらゆる楽曲で最も多いものです。その構造の中で最も多く、又一般的なのが、この2+2+4です。

その他には4+4や2+2+2+2などが次に多いものです。

ところでこの主題ですが6小節目が技術的に旋律が繋がりにくいせいで、5から8までひとまとまりにすべきところを5と6,7と8の様に、2+2+2+2構造として弾いてしまっている方が沢山います。
セゴビアだけは当たり前ですが5から8まで繋げています。(セゴビアはバスのラをその為にずらしていますが)
ほかの方はプロなのに何とおかしな演奏をしているのでしょうか。

このドーラソが繋げにくいのは指使いのせいです。このうちのラとソを2弦で取ればきれいに繋がります。

この主題をモーツァルト風に口ずさめば誰でも2+2+4で歌えます。素朴で自然で嫌身のない旋律です。
多分ギタリストの諸君はギターでしか音楽を捉えないのでしょう。私はいつも言っています。ギターを弾かない、音楽を弾きなさいと。

さてこの主題の後半ですが、和音が前半に比べ変化しています。後半5小節目でドッペルドミナントを使ってほんの一時的に4度下に転調してます。4度下の転調は柔らかさや、安らぎを求めるために作曲家がよく用いる方法の一つです。

ソルはこの部分を優しく(少々遅くかな)歌って貰いたかったのかと思われます。しかもこの後の6小節目の和声では微笑ましいホルン5度が使われています。モーツァルトがよく用いた所からモーツァルト5度とも言われています。

ただし使われている所は32分音符です。でもこの美しさを味わう為には多少ゆっくり弾きたいですね。
さらにリピートすると、この5小節目では今度は減7を使ってます。まあこの辺はソルが僕はモーツァルトと違うよ。ソルだよ、という自己主張でしょう。

ソルはこの5小節目を使ってモーツァルトとソルを並べたのだと思います。まあ私の感じから行くと1回目のモーツァルトの方がいいと思いますが。

さてそれからあと一つ付け加えておきます。
前半も後半も初めの4小節はバスを入れてません。バスが有ってもおかしくない旋律ですが、あえて省いたのが出版社のせいではないとするとソルはさすが慧眼だと思います。

バスが無い事で糸の切れた凧のように宙ぶらりんで不安定に思えますが旋律は同音連続進行を用いることでその不安定感を払拭し、むしろ爽やかで軽やかな感じをより一層強くしています。そしてその後に6弦や5弦の開放弦を入れて安定感を出しています。

こういう使い方は一生に何度も使えない、いわば伝家の宝刀です。魔笛がソルの代表曲となった所以の一つです。序奏の冒頭部の素晴らしさ。そしてこの、まるでノーベル賞級の主題。ますます続いて繰り広げられる変奏にいやがうえにも期待が寄せられます。

そしてソルはその期待を裏切りません。

「魔笛」考

2013-02-23 00:32:14 | Weblog
「魔笛」と言えばモーツァルトのオぺラですが、ここではもちろんソルの魔笛の主題による変奏曲について述べます。
この曲はソルの代表的な傑作というだけでなく、膨大なギター曲の中でもベストテンに入る重要な作品の一つです。

ソルのギター作品は同時代のカルッリ、カルカッシ、ジュリアーニ、アグアードといった作曲家達の中でも抜きんでて優れた作品を残しています。しかしソルといえども全てが傑作とは限らずこれがソルかと思われる様な詰らない曲もたくさんあります。
変奏曲だけに絞って見てもソルは多くの変奏曲を残してます。又幻想曲の2楽章にもいくつかの変奏曲を残しています。これらの作品の中で、鑑賞に価し又私達が演奏の意欲をかきたてる曲の筆頭に挙げられるのが「魔笛~」です。

作品の内容や私の好みにでしいて魔笛以外の変奏曲としてよい物を上げて置きます。

「もしも私が羊歯だったらによる変奏曲」
「小川の岸辺による変奏曲」
ちょっと落ちて「マールボローによる変奏曲」
まあこれら以外の変奏曲は其々いい所もありますが傑作とは言えません。それでもカルカッシや、ジュリアーニの変奏曲よりは優れてはいます。

さて「魔笛」について述べて行きます。
長い作品なので今回は序奏に付いて書き次回は主題、次は第一変奏という感じで進めて行きます。
これだけ名曲であり、又アルハンブラの思い出と並び称されるギターの代表曲で数多くの人が演奏されているにも拘わらず正しく楽譜が見えない演奏が多すぎます。ギタリストの諸君にはより一層研鑽を積んで欲しいと思っています。

ソルの変奏曲の多くは序奏無しで冒頭から主題が始まる物と短いイントロダクション(序奏)付きの物が有ります。
わざとイントロダクションと書いたのは正しい意味を知って戴く為です。
イントロはラテン語の内部という意味です。ダクトが同じくラテン語で導くという意味です。何事も語源を知ることは大切です。即ち序奏というのは、内部(ここでは主題)に導く為の前奏部分という感じになります。

この曲の主題の動機はシーラソソソソ、リズムで言うとタンッタタンです。魔笛の序奏は終始この動機の模倣が何度も出て来ます。13回出て来ます。特にお終いでは各小節に1回計4回も出て来ます。これでもかという感じです。さあいよいよ主題だよ。あの有名なモーツァルトのアリアが出るよ、出るよといった感じです。ちょっと見え透いてます。ソルほどの作曲家ならもっと創意工夫が欲しい所です。

冒頭8小節は目を見張るほど堂々としてます。7小節目のシのユニゾンと2個の前打音の誇らしく鮮度抜群でしかも美しさを感じさせる創りは感動します。ここまではこの曲を聴くものにウムッこれは傑作!と思わせる期待感が一杯になります。所が多分ソルのインスピレーションは、この期待感を超えられなかったのかと思います。以下は常に工夫のない3連音符の連続に終始してしまい、和声も単純、ハッとする様な新鮮さも無く、リズム変化も無くなっています。セゴビアがこの序奏を省いたのはこう言った事からだと思われます。

ただ、だからと言ってこの誠に捨てがたい冒頭部を持った序奏を、全てバッサリ切り捨てるのは酷な話です。多少譜面を直したり、演奏上の工夫でいい曲に持って行きたいと思います。
以下は私の変更例です。参考にしてみて下さい。
10-3,4タイにして2分音符としドミの和音を連続します。
12のラドはシド又はラシド
20の2個目のシから21の3拍目までオクターブ上げる。4拍目から元の通りで22の4拍目と次の1拍目はオクターブ下げる。

楽譜上はこんな感じに変更します。後は、とにかく、よく歌う事です。

今年のリサイタル

2013-02-14 15:39:58 | Weblog
今年のリサイタルが決まりました。
   
      西村 洋ギターリサイタル
      12月7日(土)午後7時開演 
        宇都宮市文化会館
           第1部
      プレリュードとフーガ(バッハ)
      3つのメヌエット(ハイドン)
      ラルゴとソナタ(ソル)

           第2部
      3つのエチュード(ビラロボス)
      ソナタクラシカ(ポンセ)

今回のメインはバッハとポンセです。(あちゃ!前回も同じだった。)
それ以外の曲は変更するかもしれないです。時間の関係で何曲か追加の予定です。今年は上記の曲を勉強します。

是非聴きに来て下さい。

音楽の喜びの中で幸せな時間が過ごせてもらえたらいいなと思っています。聴いてくれる人の事は分かりませんが演奏する僕はこんないい曲と親しくなれるのが、とっても幸せです。

何しろギターをもう50年も弾いていると下手でも何でも一応曲は弾けてしまいます。
それで練習しているとついついどんどんテンポが速くなってきて、興奮して我を忘れがちです。今年はそんな事のない様に、ゆっくりと弾くという最も大切な事を忘れずに丁寧に練習したいと思っています。

いい音、美しい音、

2013-01-18 00:49:29 | Weblog
いい音を出す方法というのはあると思う。ただいい音を出す為の前提条件も必要だと思う。これが人によりいろいろ違うので正しくこれがいい音というのもなかなか難しい。自分に限っていい音を出すためにどんな事をしているか、というのを書きます。参考になるといいですね。

楽器;
使用楽器 ニコファンデヴァールス(オランダ)8弦ギター。僕はこのニコのギターを8本持っています。(6弦もある。)どれもが甲乙つけがたい。コンサートの都度替えてます。どんなにいいかは実際に聞いてみないと何とも言えませんが。僕が持っているハウザー1世(1937)よりも僕は好きです。このハウザー1世は世界中でも最高と言われてます。

弦;
高音弦シーガーエース
低音弦ピラミッド社特注

この楽器、この弦だから出る音だと言われると、何とも言えなくなるのですが、一応いい音(いい演奏ともいえます。)を出す為に注意している事を書いておきます。

・開放弦は別ですがビブラートが掛かり易い力で押さえています。どちらかというとfは強くPは弱く押さえます。
・これまでの経験、体験の中で、いい音と感じた音のイメージがあります。毎日それを超えるような音が出るように心がけています。和音、単音すべてです。ただしそういう音を出そうとするのでなく、そういう音が楽器から聴こえてくるのを自分で聞いていて喜んでいると言う感じです。たまにだけどもいい音を出すと、僕のギターが拍手喝采して喜んでくれているのを感じます。

・右手ですが手首はほぼ完全に脱力しています。
・指を動かすという意識はないです。
・指が動いている速度は自分では早い感じはなかったのですが、他の方と比較すると、かなり早くすぐに弾く前の状態に戻っています。居合い切り見たくさっと切って素早く元の鞘に収まる感じで何時、刀を抜いたか分から無い感じ。(恰好いいね。)

・弦が最初に触れる所は爪と肉が同時に触る所です。指や手首を変えなければ常に同じ所になっています。
・手首が脱力していますが指先も同様です。ただ具体的には弦を指先が横切っている間(極めて短時間)だけ必要十分な力は加わっている筈です。自分では意識しません。
・第2関節は殆ど動かす意識は無いです。第1関節の動きに伴って勝手には動いてますが。

・音の美しさのイメージですが、この地球上で我々が体験するであろう最も美しい音以上の音です。この世のものとは思えない音です。(なんか怖い!)
心の奥底にジーンと伝わる音、自然にため息の漏れる音、思わず目頭が熱くなる音、体が熱くなる音こんな音です。喜怒哀楽を超えた形而上の音です。

どんな音かと言われてもなんとも言葉では難しいです。百聞は一見に如かず

私の願い

2013-01-13 10:07:40 | Weblog
明けましておめでとうございます。

今、現在私は次のリサイタルを目指して練習をしています。
今年のリサイタルは12月7日の予定です。メインの曲も決めました。相変わらずと思われるけれど、メインはバッハとポンセです。
リサイタルは私にとって心の慰めであり、勉強の場であり、今年1年を貫く大きな柱です。

僕は物心付いた頃からギターを弾いています。いい演奏を求めて懊悩呻吟する事はあってもスランプに陥ることも無く、まあひたすら音楽を続けて来ました。その間何人かの人と交流があり、多少は音楽の喜びを通して幸せを共に味わうことも出来たかと思っています。

出来ればもっともっと多くの人と幸せを甘受したい。平和な世の中になって欲しいという思いはありましたが、なにしろ私の思いは壮大ですがちっぽけな人間で、戦争のない世の中を願っても、何にもしてこなかった自分が時々悲しくなります。

新年に当たって尊敬してやまないカザルスの言葉を書いておきます。ケネディ大統領が暗殺された頃の言葉です。

“今日の世界を苦しめる混乱の中で、生の価値が軽視されている。美は私達の周囲の至る所にある。それなのに多くの人はそれに盲目である。地上の脅威を目の前にしながら多くの人はそれを見ようとしない。人々は熱病にかかった様に動き回るが、どこに向かって進んでいるか考えない。絶望に打ちひしがれたかのように、刺激のために刺激を求める。世の中に在る自然で穏やかで素朴なものに喜びを感じない。

私達は過去にも未来にも存在しない瞬間に生きている。それなのに学校は児童に何を教えているのか。2たす2は4とか、フランスの首都はパリだとかは教える。何時になったら子供たちのなんたるかを教えるのだろう。
君は驚異なのだ。世界中に同じ子はいない。何百万年の昔から同じ子供はいた事が無いのだ。君はシェイクスピア、ミケランジェロ。ベートーヴェンのような人物になれるのだ。君は奇跡なのだ。だから大人になった時、君と同じように奇跡である他人を傷つける事が出来るだろうか。君たちは互いに大切にしあいなさい。

我々はこの世界を、子どもたちが住むにふさわしい場所にするために働かなくてはならない。
私は今まで驚異的な変化と進歩を見てきた。科学も産業も宇宙開発も驚異的進歩を遂げた。それにもかかわらず世界は今も飢餓と人種上の圧迫と独裁に苦悩している。

我々の行動は依然として野蛮人に等しい。未開人の様に地球上の隣人を恐れる。隣人に向かって武器を持って防衛する。隣人も同様である。私は、人間の掟が殺すべしという時代に生きなければならなかったことを嘆く。何時になったら人類が同志であるという事実に慣れ親しむ時が来るのだろうか。

祖国愛は自然なものである。しかしなぜ国境を越えてはならないのか。世界は一家族である。我々一人一人は兄弟の為に尽くす義務がある。我々は一本の木に繋がる葉である。人類と言う木に。”

カザルスの言葉は1963年の頃だ。僕がギターでアストリアスやアラビア風奇想曲何かを初めて手にし、毎日感動で涙が乾くひまも無かった頃だ。それから50年、半世紀だ。全然世界は変わっちゃいない。

去年のリサイタルの日に衆議院選挙があった。日本人は安倍政権を選んだ。半世紀変わらなかった事を又繰り返す気がしてならない。愚かなことだと思う。

リサイタルを終えて!

2012-12-18 23:45:12 | Weblog
リサイタル(12月16日)を終えホッとしています。
演奏内容は、まあ色々あったものの(本人が一番分かるのだが)相対的には夢の様な感じだったかと思います。普段でも出ない様な(本当はそうでもないけど)美しい音があって良かったかなと思っています。

まだまだ宝石を散りばめるまでは無いが、まあ武骨な石くれに交じってきれいな石が散見できるようにはなって来ている。
ここ何年か自分の演奏をもう一人の自分が聴いている様に、少しづつなって来たように思う。

僕自身の人生は既に夕べに掛かっているがまだ“夕べに死すとも”の心境には至ってない。今は来年のリサイタルでは何をやるかとワクワクしながら曲を選んでいるところだ。僕の演奏が夕べに差し掛かるにはまだ少々時間が必要だろう。

所で、この日は衆議院の選挙があった。僕は前日に期日前投票を行ってきた。今回も日本共産党に投票したが相変わらず当選者は少ない。僕のコンサートの入場者と同じだね。いい物は注目されない、と誰かが言っていたけど、喜んで良いのか憂えるべきなのか。

今年も後2週間足らずで終わります。全ての物ごと、生き方すべて後に戻る事は出来ません。終わり又は区切りの時間が分かっている事は幸せです。其の日に向かっての努力をすれば悔いが少なくなります。1日経つ度に今日も何もしなかったという事のない生き方がしたいものです。

僕のリサイタルに来てくれた方の感謝してます。

お知らせ!

2012-11-18 00:50:45 | Weblog
     2012 西村洋ギターリサイタル            
     
     プレアンブレとガボット(ポンセ)

     無伴奏チェロ組曲第2番(バッハ)

        ~~~~~~~    

     フォリアの主題による変奏とフーガ(ポンセ)

      2012年 12月16日午後1時30分開演 
       宇都宮市文化会館小ホール
         入場料3,000円

さすがにリサイタル1か月前になると平静ではなかなか居られません。まあやるしかないのですが、ついつい今年は休憩しようかなんて気も起きますが、それでは音楽の神様に申し訳が立たないです。
僕はかれこれ60年音楽を愛して来ました。多分あと10年経とうと音楽にはまだまだ尽きる事のない魅力と深遠さが有るんだよという事を音楽の神様は僕に教えてくれました。其の感謝の意を込めて演奏したいと思っています。
一期一会の心で演奏します。どうぞ皆さんも聴きに来て下さい。

アナリーゼ~メロディライン~

2012-10-23 23:33:13 | Weblog
音楽の3要素と言われているのはリズム、メロディ、ハーモニーです。
これはこの3つのどれが欠けても音楽の形(楽曲)をなさない、ということから来ています。(実際には各々が単独で出来ている曲も少ないがあります。)

さてその中のメロディは一番目立つ所です。人で言えば顔に当たります。
一つの曲の中で、ここがメロディ、ここは別という認識は当たり前ですがとても重要です。

しかしギターは1段譜で書かれているためメロディとそうでない所との区別が楽譜上で曖昧だったり、印刷ミスなのか、作曲家の記譜上のミスか。はたまた作曲家も分からなかったのか(あり得ないと思われますが)又どちらでもよくて演奏家のセンスに任せるといった様な事もあり、とにかく作曲家がこの世にいない限り何とも言えないものもあります。

しかし、それを曖昧のままで演奏することは決して許されるべきものではありません。
演奏家は、もしどれが旋律か不明ならば分かるまでその曲の演奏は控えるべきだろうし、演奏する以上自分は、ここが旋律として認識しますという主張が成されるべきです。

具体的な例をあげて置きます。

アデリータ(タレガ)
この楽譜はだいたいが同じのが多いようです。まあすぐ分かる事ですが、バスの音価の記譜が皆曖昧です。
棒の上向き下向きもおかしいです。
旋律はまあ譜面通りですが、3小節と7小節目に関してはレ#は2分音符とも取れそうです。4分音符のままでいいのか迷う所です。
ホ長調になって6小節目の指使いですが、どの譜面もお終いのラ#を④で取っています。③の方が自然です。(次の小節はローポジションです。)

この曲で一番気になるのは冒頭の2小節の3拍目です。アデリータは出だしが頂点になりますからこの1、2小節は最重要です。
この3拍目の考え方は3つあります。

1主旋律とする。
2副旋律とする。
3伴奏音とする。

マズルカということから1は無いと思いますが捨てがたいです。
3にするには魅力がありすぎます。多分2と思います。
ただそうなると3小節目のどの音が副旋律なのでしょうか。ラとレ又はラレソ全部。
もし全部ならば3小節目の2拍目の主旋律は2分音符となります。2分音符となると4小節目のファミに繋がるのか、それとも2拍目の裏拍のミ(ミソシ)に繋がるのか、この辺もなんとも言えません。

ラグリマ(タレガ)
この曲についてはこのブログで細かく触れてますのでそれを読んでみて下さい。
まあ重複しますが一つだけ書いておきます。

ホ短調に入って7小節目の3拍めの旋律はシです。(ラとレは伴奏音です。)どの譜面を見ても記譜が間違っています。

マリアルイサ(サグレラス)
旋律はどれかは分かりやすいです。曖昧な所をあげて置きます。後半トリオの部分です。(33小節から)
出だしの主旋律ソは符点2分音符なのか2分音符で3拍目のミは旋律なのか?

38小節目の2拍目のソは伴奏音なのか、旋律なのか?

私の感じで言うとは33のソは3拍伸ばした方が綺麗、38のソは旋律として捉えます。どちらも記譜は曖昧です。

その他色々な曲でここの旋律はどうなっているかと疑問符を付ける所が一杯あります。初版の譜面をなんら考えず何十年も版を重ねている出版社の怠慢はひどいものです。

アナリーゼ

2012-10-15 23:41:51 | Weblog
アナリーゼ(楽曲分析)が成されてないと指使いを決めるのに困る場合があります。
いつも言っているようにギターが上手く弾けない原因の一つは指使いんの選び方に在ります。
市販された楽譜の間違った指使いを鵜呑みにした為、結局はその曲を断念する人を多く見かけます。
悪いのは出版社か、演奏する本人か、多分両方でしょう。
ただギターを始めてまだ2~3年位の方が弾く楽譜の場合は、指使いの良しあしの判断が付きにくいのは事実である事を考えると、平気で間違った情報を出し続ける出版社の怠慢は許されないと思います。
最も出版社としては有識者に指摘されないと気が付かない事もあるかもしれません。もしそうなら名のあるギタリストの方の怠慢かもしれません。

さてその事はキリが無いので別の機会に譲ります。
指使いは曲を楽に弾く為に何度も考え無くてはいけないものですが、曲のアナリーゼが出来てないと、とんでもない指使いを選択する場合があります。

今回はそんな事に触れて行きます。
ギターを始めた頃に誰もが弾く、コストの二短調8分の6拍子の練習曲を基に述べて行きます。楽譜を用意してこの文章を読んで下さい。1-3とか2-6とか書いて行きます。これは1小節目の3拍目とか2小節目の6拍目という意味です。

楽式;A1~8小節 B9~15 C16~20-1(実際にはD.SしてAに戻る)の3部形式です。
Bを9~14とした楽譜を見た事があります。(Cを15~20)
まあ分かりにくいかと思いますが、正しく楽譜を見られれば15-1までがB。そして15-2からの旋律、ミミ ファミは経過句20-2から始まる経過句(ラララドシラ)と対応してます。(ミミ ファミは次の旋律の省略です。ミミミソファミ、)

このBとCの場所が違ったら折角の名曲が台無しです。

さて指使いについて書いておきます。
市販されている楽譜に書いてある指使いは、唾棄すべき酷いものです。僕が知る限り40年ほど以前の指使いが改定されず放置されています。

2-3この指使いはそんなに悪くは無いですが、小さな区切りは2-2までで2-3からは別ということを考慮に入れると、2-3は2の指がいいでしょう。又は1の指のままでポルタメントして次の2の指に移ってもいいです。

4-1ここの指使いは高い音から0430がいいでしょう。市販されている0210はあり得ないでしょう。ただし僕は①0③3④4⑤0にします。
この4小節目の経過句の16分音符の連続ですが、お終いのソ#が4の指使いも、あり得ないでしょう。ここは1の指です。その為にその前のファそは②で取ります。

10-1バスのソは3の指ではいけません。2の指です。

11-4このバスの指使いもあり得ないですね。2の指にして次のどの音は1のままです。又は11-3の開放弦で指を全部離して次のドの音を2の指にしてもいいです。

13小節目の開始音ソはセーハ5でも悪くはないですが、僕は開放弦にしてドは②ミは①にします。

11小節全体の指使いは悪くはないのですが、僕なら21312342とします。11-4のファは⑤です。

20-2最も大切な所です。ここの区切りは20-1まで、20-2から20-5までが経過句20-6からが主題です。従って20-2は1の指です。20-1の上にフェルマータがあるともっと分かりやすいと思います。
一般の楽譜ではこの20-2を4の指にしているものがあったりします。あり得ないです。15と20小節の美しい対応もどこかに行ってしまいます。

この曲はコストの作品の中でも最上級の名曲です。どこに出しても恥ずかしくない素晴らしいものだと思います。
指使いの選び方(アナリーゼが出来ていないのも含めて)が悪くて、この曲の価値を貶める事があるとしたらそれは大変に残念な事と思います。