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西村 洋の音楽とギター

音楽の持つ繊細、深遠、愛、ギターはこれらを表現しうる力を持っています。でもどうやって?

この所思う事等(4)

2013-09-13 00:33:06 | Weblog
その他にも檀上先生には大切な事を教えて戴きました。一言で言うと、≪音楽理論と演奏が結びつく事で生きた演奏理論が生まれる。≫と言う事です。

演奏理論は現在では演奏家には当たり前の知識とは思いますが、当時20代の私には何もかもが新鮮で、驚異的な事でした。
ビラロボスが用いるrit.とrall.の使い分けとか、アーティキュレーションやフレージングについて、等多くの事を檀上先生から学びました。

私的な話で恐縮ですが僕はかなりの本を読んで勉強をし、又事あるごとに色々な音楽家(作曲家、色々な楽器の演奏家等)の話を聞いたりしましたが本当に自分の求めている事を教えてくれたのは檀上先生だけだと思っています。残念ながら先生は他界され、先生の教えを書いた本も出版される事は有りませんでした。先生の教えが広く行きわたっていれば日本にはもっといい演奏家が生まれていたのではないかと思っています。

世の中には多くの音楽理論書が出版されています。その中には良い演奏を求める人にはとても有益な正しくそして役に立つ記述もあるのですが、その数は少なく、又一冊の本の中で大切なことに触れているのは数行のみという本も有ります。後はどうでもいい事ばかりが書いて有ったり、中にはかえって害を及ぼすような記述が有ったりします。

膨大な記述の中から取捨選択できる能力が必要です。以前このブログにも書きましたが、出版されている楽譜に書いてある、指使いのほとんどが有害な物ばかりです。又音符その物についても、酷いアレンジで到底実演にはそぐわない楽譜まで出版されています。多分出版社には人材がいないからと想定されますが、それはまあ致し方ないとすれば、こういった楽譜を手にするギタリスト諸氏の中には発言力のある人もいるかと思います。そういう方がきちんとアドバイスをしたらいいのではないかと思います。

スーパーで売られているお惣菜等市販のものは一切口にせずすべて手作りします。というのならいいのですが実際はなかなかそんな訳にはいきません。それが楽譜となると普通はそうそう手作りと言う訳にはいきません。

まあそれで私の人生訓では無いですが今までの経験からアドバイスを書いておきます。
楽書などで何らかの記述が書いて有ったら、決してそれを鵜呑みにせず何故そうなのか、正しいのか、間違っているのではないかと言う読み方が大切です。

先程の指使いでしたら書いてある以上間違いだろうから一応参考にしながら他の指使いを探す事です。
世の中を見る目も同じです。ただし、すべて猜疑心で凝り固まって物を見ると言うのでなく、物事を正しく見抜く為にはただ鵜呑みにせず真実かどうかを考える態度が大切と言う事です。真贋の森に迷い込まず正しい道を見つけて欲しいと思っています。

この所思う事等(3)

2013-08-26 23:21:16 | Weblog
僕がセゴビアの演奏を初めて聞いたのは25歳でした。この頃からは良くヨーロッパに行ってました。
スペインやスイス、イタリア、ドイツなどに良く行きました。各地の音楽祭も聴きに行きました。誰かに就いて勉強するので無く、ただその土地の空気に触れるだけでした。ホームステイもしました。クラシックの雰囲気を肌で感じる、その為だけに行ってたと思います。

セゴビアに教えを請う事が出来れば別ですがそれ以外では、まあ自分一人で勉強するほかないかなと思っていました。そんな時広島の檀上先生と知り合いました。

今までどこへ行っても習えなかった事を檀上先生に教えて戴きました。多分それまではプロのギタリストして自分程音楽を勉強している人はいないだろうと思っていました(慢心していた?)から、檀上先生に出会って頭をガーンと叩かれた感じでした。

僕が漠然と感じていた事、どちらかを選択すべきだが分からず手つかずで居たこと、演奏と音楽理論の密接な関係、セゴビアがなぜ上手なのかの的確な理由とか言ったものを理路整然と示してくれました。

初めて広島へ行った時に実感として純正調の美しさを教えて貰いました。
純正調については勿論知識も有り声楽や、弦楽4重奏でその響きの美しさは認識していましたが、ギターやピアノと言った平均律の楽器をやっている僕としては別世界の事の様に思っていました。

ドミソの和音でドとソを完全5度に合わせて幾分ミのピッチを下げると純正調の和音になる事は知っていました。檀上先生からはこの純正調の澄んだ響きを虚心坦懐に耳を傾けて聞く事を教わりました。

僕は心に沁み入る音をその時初めて経験しました。不思議なもので、これまでも注意深く他の人の音も自分の出す音も聴いていたつもりでしたがこの経験を境に僕は耳に聞こえる音の他に体に沁み入る音が有る事を知りました。

ギターで求める和音の出し方を書いておきます。皆さんもやって見て下さい。⑤の7フレットのハーモニクスの音と③の9フレットのミ合わせる。⑤の5フレット、ハーモニクスと②の10フレットを合わせる。⑤の9フレット、ハーモニクスと①の9フレットを合わせる。これで①②③の和音を心静かに心に沁み入るのを感じて弾いて下さい。

16世紀にはいってからは少しずつ音楽が転調を求めたりするようになって、平均律に移行するようになってきますが、それまで人々はこんな純な響きを聴いていたのです。

現代は音楽も含めあらゆる音が氾濫しており僕達の耳は純な響きを忘れ、麻痺している状態だと思います。

夜も更けました。続きは後ほど。

この所思う事等(2)

2013-08-21 23:43:18 | Weblog
前回の続きです。
山下君の当時(中学生?)の演奏は、若いせいもあって心に響く事は無かったものの素晴らしかったですね。その後の活躍は皆さんもよくご存知でしょう。

荘村さんはスペインから帰って来たばかりに時に聴いたのです。良くも悪くもギターをまるで鍵盤楽器の様に正確無比にあやつってたのを良く覚えています。そのほかにも多くのギタリストの演奏を耳にしましたがいい意味で記憶に残っているものは有りませんでした。

当時僕が鮮明に覚えているのはセゴビアの演奏です。
僕が25歳、セゴビアは70歳の時の演奏です。セゴビアは60歳の頃からすごい演奏になったと思っていますが70の時は多分絶頂期ではないかと思っています。フランスやイギリスでその70の時の演奏を聴きました。前の日も聴き終ったその日も気持ちが高ぶって眠れませんでした。僕が夜眠れなかったなんてこれ以前もこれ以後も有りません。

当たり前ですが天使のような美しい音、心の中にジーンと響く音楽がそこにありました。僕は初めてセゴビアの生の演奏に接するのだから、是非ともどんな風にしてあの美しい音を出すのだろうか、どんな風に指を動かすのだろうかと目を皿の様にして臨んだのですが、美しい音の瞬間は胸が熱くなり無意識に目を閉じてしまうのです。音だけで無く演奏のスタイルもレコードで感じていたのは熱きセゴビアですから、さぞ体の動き等は必見に値するかと思っていたら彼はただ椅子に座ってギターを持っているだけです。(もちろん口パクでは無いですよ)

以前本で読んだ中に、演奏には段階があり初めはとにかく演奏家が心を込め髪を振り乱して演奏をするが聴衆はそれを見て白けてしまう。次にはやはり情熱的に演奏すると聴衆もそれに引きずられて興奮する。しかし名人の演奏はただ冷静に演奏するのに聴衆だけが熱狂する。そんな事が書かれていた事を思い出しました。

「ギターは弾かない、音は出さない」僕も今はその事が多少分かるようになってきましたが当時は眠れないほど興奮したのにセゴビアは何にもして無いようで、それを僕はただ唖然として見ていただけでした。セゴビアはアンコールを何曲か弾き、お終いに難曲のアラールのエチュードをさらりとそよ風に様に弾いて、例のギターが疲れたので終わりにしますと言ってステージを去って行きました。何とキザなんでしょう。まあ僕には一生真似は出来ないですね。

それからこのころ知り合った人の中で僕に衝撃を与えてくれた人がいます。今は亡くなりましたが広島在住の檀上宣順先生です。セゴビアは特別ですが、私が心から師と思う人です。この先生に出会って初めて音楽を教えて戴きました。
いい所ですが、夜も更けました。この続きは又次回にします。

この所思う事等

2013-08-20 00:32:16 | Weblog
この所ちょっと物思いに沈んでいます。まあ、生来いい加減な私ですから、それで眠れないとか体の変調をきたすとかは全く無いのですが、このままでいいのかと思う事ばかりです。

世界中のどこかでは相変わらず戦争状態が続き、難民も含めあらゆる所で毎分毎秒餓死する子供がいたり、戦争が出来やすいように憲法を変え無くてはいけないと声高に主張する人を日本国民は当選させたり、とか思うと本当考えこんでしまいます。

こう言った事も悩みの種では有るけど一応置いて置いて、ここではギターの話だけを書きます。

私はギターを始めて55年位経ちます。(年ががばれるね。)ギターを初めた頃にはセゴビアの演奏に畏敬と憧憬を抱いてました。勿論この事は現在でも変わりません。こんな風にギターを弾いてみたい。私の原動力の殆どは彼からのお陰と思っています。

そんな風でまあ自分で言うのもおこがましいですがかなり一生懸命練習し本を読み勉強してきました。我が家は超がつく位の貧困家庭でしたから、到底音楽やギターを他人に教えて貰う金銭的な余裕は無いので僕が得た知識は全てあらゆる書物からです。音楽書はもとより医学、心理学、宗教、歴史、古典文学、等あらゆる本を読み音楽や芸術に関する所は何度も読みました。美術や、歌舞伎、能、建築、等は音楽と結び付きも深く興味を持って読みました。ギターの奏法についての本はあまりなく、ピアノ奏法やフルートやバイオリン奏法、指揮法の本等は豊富にありこれらは大いに参考になりました。なにしろ本はただで借りられるので小中高授業中はもっぱら読書に費やしました。

高校生の時には自分はプロのギタリストになるんだからと思って(身の程知らずにセゴビアの様になると思っていたのです。)楽理もやらなくてはと考えて和声学、楽式、作曲法、音楽史、音楽心理学、等を勉強し毎日1曲作品を作っていました。まあそんな事をしながら家ではギターを猛練習したんです。ギターの練習はだいたい毎日7~8時間多いと+5時間位、音楽の勉強は5時間位してました。

文章で書くといかにも僕は真面目そうなのですが、こう言った事が僕の毎日の遊びだったんです。だから実を言うと努力したなんて実感は無くて、毎日が楽しくてしょうがなかったのです。大学は音楽科でしたが僕が勉強した以上の事は学べませんでした。

でも大学へ入って初めて同じ音楽を志し、音楽を愛好する人との交流を持てた事は大いに刺激になり、さらに僕自身を音楽へと駆り立てるエネルギーになってくれました。結局僕は学生時代に最初のリサイタルを行い、ギター教室を初め、一応わずかだがギターで収入を得る様になりました。そしてほかのギタリストの人の演奏を聴いたり交流を持ったりしました。こう言った事も僕には全て新鮮で勉強になりました。

コンクールで入賞してからはさらに色々な方と交流する様になりました。その頃ジョンウイリアムスやオスカーギリアの演奏を聴き素直に感動し、だいぶ後だがバルエコの演奏などでショックを受けるほど驚かされました。日本では荘村さん、渡辺さん、山下さんの演奏にも感動しました。特にヤマハホールで聞いた渡辺さんの演奏、中でもポンセのソナタⅢ番は今でも断片が頭に残っています。惜しい人でした。山下さん、あの頃は山下君でしょうがコンクールで弾いたシャコンヌには感動よりも衝撃が走りました。あの速いスケールでクレッシェンドが出来る人を僕は初めて聴きました。

ああこの続きは明日にします。お休みなさい。

諸言

2013-06-27 01:46:21 | Weblog
何時も言っています。

ゆっくり弾いて下さい。

「ギターは弾かない。音は出さない。指は動かさない。」

やろうと思った事はやらない事です。(する事はしない。)

「幸いかな不器用な人。」

私はよく指がパラパラと動く人の上手な演奏を聴いた事がありません。

上手い人はいい演奏は出来ませんが下手な人は上手く演奏が出来るようになります。

お知らせ

2013-06-25 23:59:10 | Weblog
忙しさ、生来のものぐさなお陰で次の文章を書くのをさぼってしまっていました。後が無いでしょうから僕が知っている事はいずれ余さず書く事にします。でも出来うるなら僕に直接会って勉強してくれるといいのです。

来月末に恒例のサマースクールを行います。今回はとりあえずそのお知らせです。まあ遊びが主ですが心あれば、僕の知りうる限りの事は教えたいと思っています。

是非とも多数の方が参加されん事を願っています。


第41回サマースクールin那須高原

7月26,27,28日(2泊3日)
費用3万円位
申込期限7月15日

魔笛考(7)

2013-05-04 23:56:48 | Weblog
さあいよいよ魔笛のお終い、コーダです。

初めに特徴から触れて置きます。

・これまでと同様弱起の曲です。
・V5を受けてほぼ全体が3連音符で終始してV5と同様流れるような動きがあります。
・フレーズを結ぶ経過句(4,8,10,12,16,18の各小節が経過句)がいかにもコーダらしく躍動感に溢れています。
 ただしお終まいに出てくる経過句はスケールです。
・構造は4+4+2+2+4+2+2+2となってますが、途中一瞬イ長調になる為のレのハーモニクスから曲の感じが大きく変わるので、
 [4+4+2+2]+[4+2+2+2]の複合2部形式ともいえそうです。

最後に出てくるスケールは明らかにエコーです。従って大方の人が演奏しているように、2度目はpでスラーを交えたスケールにするのははいいアイデアです。
そしてお終いの4つのコードは、記譜が正しければソルの意図は、前2つがfそしてデクレッシェンドしながらお終いはmpという所でしょう。(私は最終和音に音を加えてffとしてます。)

ところでこのコーダ、テンポはV5よりは少々速めがいいのですが、そうなるとaimで終始するアルペジオは動き憎いです。勿論私はそんな難しい事には命を懸けません。音の順を並び替えてすべてamiで弾いています。

これで魔笛についての項目を終わりにします。
初めの頃に書きましたが、これだけの名曲です。どこに出しても恥ずかしくない堂々としてしかも過不足のない完成された作品です。あり得なさそうな演奏が氾濫する中、是非皆さんは私の考え方を参考にしてより良く素晴らしい魔笛を目指して戴ければいいなと思っています。

魔笛考(6)

2013-04-30 00:54:26 | Weblog
ちょっと旅行に出掛けてずっと居ませんでした。すみません。続きを書きます。

今回はV4とV5に付いてです。

V4の大きな特徴は楽譜を見ても音を出しても一目瞭然。そうです、同型反復進行で終始しています。
こう言った曲では、このタタタタン、タカタカタンと言う音型だけが目立ってしまい 2+2+4の構造がどこかに行ってしまいがちです。

それともう一つ大切な事があります。
この特徴ある音型のうち初めのタタタタンは問い、後のタカタカタンはになっています。
従って基本的には前はf、後はmp、位が適切でしょう。これを反対に後をfで演奏している人を見かけます。ギターを弾くとそうなるのでしょう。ギターは弾かない、音楽を弾こう。後がfだと対話で無く喧嘩しているようです。

テンポですがV3より速いけどV5よりは遅いというのが適切です。

ところでこの曲はモーツァルトの“フィガロの結婚”のアリア「もう飛ぶまいぞこの蝶々」に似ていますね。ソルの頭の中にこの曲がよぎっていたのかもしれませんね。

さて次はV5です。

この変奏だけ構造が他と違っています。4+4になっています。立ち止まることなく連綿と続く感じを出す為です。
そしてもう一つ、バスが一つも有りません。勿論先ほどと同じ理由からです。

まあこのV5ほど作曲者の思いが分かりやすいというのも珍しいです。全て曲がこんな風だと演奏家は作曲者の意図を組むことに苦労しないのですが、最も苦労するからこそ喜びも大きいのでしょう。

尚4小節目のお終いは下声部の3連音符は私はカットして弾いてます。有ると難しくなって弾けないし、流れも損ねます。

私の技術的な考え方は次の通りです。
出来るだけ楽な指使いを見つけること。どんなに工夫しても、いい指使いが見つからない時は、音を取るとか変えたりする。

魔笛考(5)

2013-04-17 00:29:31 | Weblog
さてV3です。
V2までが前半、そして幕間に当たるのがこのV3でV4V5とコーダが後半になります。

この第3変奏は幕間(中間部)と言うだけあって他の変奏とは大きく異なっている所があります。

他の変奏がいずれもソプラノ(上声部又は高声部)に主旋律を置いていますが
V3だけが中声部に主旋律があります。シソーーソファーーと言う感じです。このメロディの上に、シミソシシシシシララソラと言う小鳥のさえずりにも似た軽やかなパッセージが絡みます。

私はこの主旋律シソーーがちょっと分かりにくいので経過音を加えてシーラソーーと言うように装飾して演奏しています。

曲の2+2+4の構造は前半後半今までと同じです。

正しいかどうかのの判別は分かりませんが、第1版では前半4小節目の上声はラソファソミとなっています。しかしセゴビアはラソソファソと弾いています。主題及びV1,V4の4小節目はいずれも主音ミでは無く第3音ソで終止しています。その事を考えるて、このV3の場合もセゴビアは終止音をミで無くソに変更したのかと思います。私もそう考えていました。多分ソル若しくは出版社が間違ったのだろうと。

まあ私の考えはさし置いて、あの偉大なるセゴビア先生が指摘した多分出版社(第1版の)のミスを、V1でもそうだったけど初版にこう印刷されているからその通りに弾こうと言った浅はかなギタリストが多いのが悲しいですね。セゴビア先生と同等又はそれ以上に勉強した結果の事だったらいいと思いますが。

「魔笛」考(4)

2013-03-10 23:30:25 | Weblog
第2変奏

短調に転調します。
ホ長調からホ短調のように、同主調の転調には原則があります。長調から短調へは緊張感を伴い短調から長調へは安堵感があります。
Ⅴ1からⅤ2、Ⅴ2からⅤ3の移行にはこう言った配慮があるといいですね。

さて構成ですが此処でも主題と同じく8小節2つで出来ています。ただし大切な違いがあります。

前半の8小節は2+2+4で今まで通りでしたが後半が違ってます。4+4です。4+4となっているのはここだけです。
他はすべて2+2+4です。

ソルがこのⅤ2の後半をこの「魔笛」の中の精神的な頂点(聞かせどころ、一番訴えたい所)とした理由が、この4+4です。決しておろそかにしないで下さい。

このⅤ2では他にも重要な事が満載です。列記しておきます。

1;殆どの小節の1拍目が非和声音です。これは主題と似てます。主題は1拍目に倚音を使っていますが此処では係留音になってます。
どちらも強調して次の音(解決音)へ恋人を抱き寄せる様な感じのデクレッシェンドします。
係留音になってない所は4か所だけです。

尚前半6小節目の解決音ラと次のドシレドラな間には小さな区切りがあります。このドシレドラの歌い方が分からない為に、
ラドシ、レドラと言うように間違って演奏している方が多いです。
このドシレドラはドーシレドラと言った感じに歌います。

2;後半1小節目はソプラノ旋律と内声が反行カノンなっています。
又2小節目ですが、内声は係留解決ですが、上声(ソプラノ)は区切りでは無く、ミーラドシラソファミミーレと、この魔笛で一番の美しい旋律が出て来ます。

つまりここが先ほど述べた頂点です。
所が残念な事にこのミと次のラの間を区切って演奏している人が多すぎます。

ミッ、ラドーシと言った、あり得ない弾き方をしないで下さい。ソルが泣きます。これは先ほどのカノンの内声を2弦3弦で取るから駄目なのです。3弦4弦で取れば、美しく歌えます。

ギタリストの諸君、ギターの技術で音楽を考えない様にして下さい。

3;さて2番目に美しい旋律がその後に来ます。後半5小節目の半音下降進行のシシ♭ラソ#をレガートで弾いて下さい。

そして極めつけは6小節目のシからミへの5度下降跳躍と同型反復進行の7小節目のドからレ#への短7度下降跳躍進行の何とも言えぬ悲しみの旋律。胸に迫る悲しみや慟哭を表現するときに用いる音程変化です。
不用意にさらっとなど決して弾かないで欲しい所です。

セゴビアは6小節目の頭にバス音ミを入れてます。入れることで係留音にしたかったのかと思われますが、ここはずっとバスをわざと入れないようにした所ですから、譜面どおりがいいでしょう。

以上大切と思われる所を書いておきました。

ともあれ、このV2は聞きしに勝る名曲です。頂点の大切な変奏です。

魔笛はこの後、閑話休題(幕間)ともいえるV3を経て華やかなコーダへ向けてⅤ4Ⅴ5と駆け進む構成になっています。