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西村 洋の音楽とギター

音楽の持つ繊細、深遠、愛、ギターはこれらを表現しうる力を持っています。でもどうやって?

音の出し方(2)

2014-10-14 01:21:18 | Weblog
2アルアイレ
曲の中のほとんどはこのアルアイレという奏法で音を出します。指の動かし方。関節の動きについては前回触れましたがもう1度書いておきます。

当たり前というかごく自然というかもう一つのアポヤンド奏法も同じですが、関節の動きの中心になるのは第3関節を曲げると言う事です。右手を前に出し軽く伸ばしてから握ってみて下さい。動きの中心になる関節はすぐ分かると思います。音を出す時に使われるのが第3関節です。

それからどこか痒いところを掻いたりしてみて下さい。ガリガリと掻くのです。この動きの中心は第2関節です。この引っ掻く動作で和音やアルペジオを出す人を見かけます。
第2関節は軽く弦に触れるような比較的弱い音を出す時には使えますが、強く出したり力が入り過ぎると先ほど書いたようにガリガリとした、いわゆる金属音になってしまいます。まあギターを弾く時にはなるべく使わない方がいいでしょう。

第3関節を使ったアルアイレはamiで和音を弾く練習から入っていくといいでしょう。まず弦に触れる前に空中で握る動作をして、次に弦に触れて同じ動作にするわけです。ついでamやmiで音を出す。次に単音で弾く。それから音階やアルペジオ、トレモロなどに入っていきます。

音を出す時のテンポは勿論出来るだけゆっくりでいいです。分かりにくいのは音の大きさです。最初はとにかく出来るだけ大きな音を出すようにしてください。

音を出すには関節の動きはとても重要ですが他にも、指先の弦に当たる位置とか力の入れ具合とか大切なことがあります。ただここではそのことは後回しにして、まず関節の動きを中心に練習してみて下さい。

音の出し方(1)

2014-09-23 00:48:50 | Weblog
音の出し方。力の入れ方。などはこのブログでも折に触れ書いてあります。無心音や、弾弦速度の項目などはもう1度目を通してみて下さい。

さてここでは音の出し方のごく基本的なことを書いておきます。実際の楽曲を通してこういう場合はこう音を出すという書き方のほうが分かりやすいのかと思いますがまずはシンプルに開放弦だけで音の出し方を書いておきます。

1関節の動かし方

これを説明する前に用語の説明をしておきます。指の関節には専門用語もありますが、ここではごく一般的な言い方を使います。指先(爪の傍)の関節が第1関節。ついで第2関節。指の付け根の大きな関節が第3関節。そして手首の関節が第4関節です。この4つの関節の他に肘の関節を含め計5つの関節の動かし方で色々な音を出すのです。

関節の動きには曲げる、伸ばす、回すの3つがあります。ただし回す動きは第4関節とと肘関節では使いますが1~3の関節ではめったに使いません。

第1関節は伸ばす時に使います。
第2関節はアポヤンドの時に、伸ばす使い方が多用されます。よくアルアイレの時この第2関節を曲げる方が多いのですが曲げる使い方は補助的なもので主要な使い方ではないです。
第3関節の動かし方。これがギターの基本的な音の出し方で一番重要です。アポヤンド、アルアイレ共にこの関節を曲げて音を出します。動く方向は異なりますが、動かし方は共通です。弦から離れた時にはこの関節を伸ばします。

皆さんもどんな関節の動かし方をしているかよく観察してみて下さい。

ご無沙汰しています。

2014-07-14 09:42:34 | Weblog
この所2カ月程ブログの更新を怠っていました。コンサートがが続いたせいもあり、珍しく体調がおかしくなったせいもあり、書く時間や気力を失っていました。僕は自慢ではないが学校を出てから体調を崩して病院に行った事は1度も有りません。風を引こうと多少の熱が出ようとギターを弾けば治ると信じています。治らなければそれは自分の演奏が悪いのだし、まあ天命と思う事にしています。が、しかしそんな風で治る訳は無いのですが、多分元来が丈夫なので大事に至らなかったのでしょう。

さて先日7月12日にやっと演奏会が終わりまして一段落です。これからは何時ものペースでゆらりとこのブログを書いて行きたいと思います。前回、これからは音の出し方等について書いて行くと言いましたが紙面でその方法を表すのは大変です。勿論ここで言う音の出し方とはいい音、演奏に使用できる音の事です。即ち音には演奏に使えない音や悪い音が有るという事です。

良い音を身に付ける為には次の事を常に考える事が大切です。

1.いい音とはどういうものか考える。
2.いい音と悪い音の違いを知りなぜそうなるのかを考える。
3.本当にいい音を果たして聴いた事が有るか考える。
4.演奏のための音とはいかなるものか考える。

如何に考えても分からないのは貴方がその才能が無いのではなく考え方が足らないのです。分からなければ常に考え試行錯誤をし、繰り返し繰り返し音をためす事です。およそ5年から10年もすればある程度は分かります。かといってそんなに待ってられないのも現実です。ではどうすればいいのでしょうか。今僕もそれを紙面でお伝えする為の方法を考えています。少しずつ進めていきたいと思っています。

この所思う事等(9)

2014-05-06 23:26:22 | Weblog
さて僕は、60を目前にして忙しい生活を止めギター三昧の生活に戻した。

まあ、たまたま二人の子供が大学に入る時期だったので収入の面からは忙しい生活も返って良かったと思っている。
息子二人は音楽と体育という普通以上にお金のかかる大学だったものだから音楽で生計を立ている以上それなりの事はしてやれたかな、親としての責任をどうにか果たせたかなと思っている。

ともかくこれまで忙しさにかまけて、毎年やろうとしていたリサイタルを中断した事が何度か有ったので、これを軌道に戻して必ず毎年やる事にした。

初心に戻してギターの持ち方から自分の演奏を振り返ってみた。その結果これまでの自分の方向性に間違いがない部分はいいとして、長い間、拍を取り違えて覚えていた部分に気が付いたり、ほんのちょっとした指使いの変更で苦労していた所が何でも無く弾けるようになったり、どうしても指が届かないとぼやいていた場所が、姿勢を変えてみるとすっと届くようになったり、色々と気が付く所が多かった。そんな新たな発見の連続の中で、僕はついに60歳を迎える事になった。

この年齢は20代の頃から僕が目標にしていた年齢であった。尊敬するセゴビア先生の演奏は、この年を境に飛躍的に素晴らしい演奏になったからだ。勿論それまでも最高の演奏をしていたが、さらに何度聴いてもうーんと唸り声が出るほどいい演奏になったのである。

僕も60になればあの様な演奏になるのかな。ああ早く60にならないかな。ずっとそんな風に思って勉強をしていたのだ。
さて現に僕は60を超えた。はてさて演奏はどうなったのだろうか。

結論から言えば夢半ばという事です。とてもセゴビア先生の足もとにも行ってないです。僕の頭というか心の中では、僕が究極と思っているギターは弾かない、音は出さない、指は動かさないという命題には近づきつつあると言う事です。多分、いやもう後がないけれど、70位にはいい演奏がしたい。そう思っています。

さてだいぶ時間がかかってしまったけれど《この所思う事等》はこの辺で終わりにします。次からは音の出し方とか左手の押さえ方や移動について等に触れて行こうかと思っています。

今年のリサイタル

2014-04-03 01:30:06 | Weblog
今年のリサイタル詳細が決まりましたのでお知らせして置きます。


     西村 洋ギターリサイタル    
     2014年12 月13 日(土)
    6:30 PM 開場  7:00PM開演
     入場料¥3000(全自由席)
     於:宇都宮市文化会館(小)

       ≪プログラム≫
 アンダンテラルゴ、アンダンテ……ソル
 組曲ハ長調(無伴奏チェロ組曲第4番)……バッハ


 スペイン舞曲2番、5番、10番、ゴヤの美女・……グラナドス
 ソナタメヒカーナ……ポンセ


    主催/M.C.S音楽創造空間
    電話: 028-648-0477

またもや名曲揃いだ。是非楽しみに聴きに来て下さい。

この所思う事等(8)

2014-04-01 22:25:44 | Weblog
しばらく忙しさも有って更新して無かった。又再開しよう。

さて前回は大正琴の世界に足を入れた事等を書いた。とにかくこの楽器をやって見たいと言う人は多かった。
これまで何か楽器をやって見たいけれどお玉杓子が駄目、五線譜が読めないと言う事で断念していた人が殆どであった。
確かに楽譜が読めなくてはよほど感のいい人でない限り楽器の習得は不可能だろう。だがこの大正琴は数字譜を使う。左手で押さえるボタンにはピアノの鍵盤と同じ並びで123と数字が書いてあるので楽譜が135と書いてあればそのボタンを押さえてピックを持った右手で音を出すという具合である。

曲を初めて楽器で奏でると言う喜びは格別である。瞬く間に多くの人が、この楽器を手にする事となったのである。

元々楽譜は五線譜にしても、この数字譜にしてもただの記号であり解読などという難しさは無いはずだ。所がこの日本には、それを如何にも音楽は高尚な芸術だ、とか専門教育無しにはバッハやベートーベンは語れないとか難しい事を言って、国民からわざと音楽を遠ざける傾向にあるようだ。この事を述べると話がずれてしまうので別の項目の時に触れる事として今は一つだけ書いておきます。
どうも政治家と言うのは、国民の知性や感受性等をなるべく高みに上げない様に洗脳操作しているように思えると言う事です。

さて、僕は大正琴の為の入門から専門家コースまでのテキストや曲集等の楽譜作りを一手に引き受けていた。ジャンルはクラシックからポピュラー、演歌、民謡、ラテンや、ジャズ等あらゆるものだ。これらをソロ用から合奏用、和琴や尺八、ピアノなどの入った曲等用途も様々だった。

曲を制作する様になって数年後のことだが、ベートーベンの喜びの歌(第9の4楽章)を記念コンサートでやりたいと言う依頼が有った。この楽譜を2カ月かけて作った。フルート、ピッコロ、クラリネット、オーボエにティンパニーと歌の方のソリスト4人と混声合唱は原曲のままで使い、終結部に導く経過部をベートーベン風の創作を入れ、大正琴は12パートに分けて作った。20分ほどに縮めて作った。僕が持っていたのはポケットスコアだったものだから、この楽譜を作り終えた頃には僕の視力が一気に落ちてしまった。ただ感心したのはベートーベンの楽譜を隅々まで読むなんて事は今回が初めての経験だった。いやあ、驚いた。精緻なのである。今更ながらやはりすごい人だと思った。

楽譜が出来上がってからの練習も大変だった。合唱団を含め100名以上が入れる会場で入念な練習をした。僕の指揮で皆が動くと言うのは楽しかった。本番は良かったと思う。フル編成のオーケストラとは異なるが部分的にはより緻密なベートーベンが出来たと思っている。いい経験になった。

さて僕は結局50代の半ばまでは大正琴の楽譜を作り指揮をして過ごした。勿論ギターを止めた訳で無くその感の間を縫ってコンサートをやり、何枚かのCDを作ったりしていたが、かなり忙しい日々を過ごしていた。55歳になった時そろそろギターに専念すべきと思い仕事を一気に減らしたのである。

この所思う事等(7)

2014-01-29 00:14:07 | Weblog
年が変わるや色々と心落ち着かない事が多くブログに書く気力も無くご無沙汰してしまった。

僕がこうして文を載せていく時間もいずれ無くなるであろうから(年のせい?)やはり書ける内に書いておこう。
僕もやっと、と言うか、遂にと言うか年金を貰う年になった。年金と言うのはなるべく長期間は支給したくない制度であるから、僕も支給される様になったという事は、そろそろお別れの準備の年になったということだろう。

その事を自覚する為に今まで慌ただしかった。もう大丈夫だろう。
まあ今年からどのくらい時間がかかるか分からないけど、又役に立って貰えるかも分からないけど、僕が今まで身に付けて来た事、すなわち、演奏のこと、ギターの弾き方のこと。僕が作った楽譜、曲等を少しづつ整理し残せるものは残して行こうかと思っている。

今のところ後継者はいないかもしれないが、何らかの形で残して行けばいずれ誰かの目に入り、後を継いでくれるかもしれない。

さて今まで僕の勉強過程や経験したこと等をざざっと書いて来たので、残りにも触れて置く。

僕は40代に差し掛かる頃、自分での思いもしなかった事を始めた。
前にも触れたかと思うけど、僕は殆どの楽器が演奏出来た。自宅ではギターやピアノを教えていたが、自宅以外に教室を作った時に朝から教えられるのは無いかと考えていたら大正琴がいいのではと言う意見を聴いた。和琴や三味線、尺八は知っていたけど大正琴は知らなかった。楽器屋さんから取り寄せて見ると演奏法は簡単だった。片手で弾くピアノと言う感じだった。最もギターを触っていればどんな楽器もそれほど苦労はしないのだが。

それで日本で一番上手と思われる、ある大正琴の流派の家元に、手ほどきを仰いだのである。
大正琴の楽譜は五線では無く数字譜だった。ドは1、レは2、ミは3とあらわす記譜法である。僕は子供の頃から楽譜の耳コピーは五線で無く数字譜を使っていたので、それが大いに役に立った。

まあそんな訳で大正事を教え始めたのだが、対象が中高年の女性と言う事も有り毎月10名くらいの人が入門し、1年の間には100名くらいの人が習うようになってしまった。
他楽器の経験のある人に先生になって貰った。2年後にはそれぞれの先生が一人50名位を受け持ち生徒の数はさらに増えた。

その頃手ほどきを受けた家元からテキストや合奏曲などの楽譜の依頼と全国に居る大正琴の先生の指導もして欲しいと言う依頼が有り僕はその方の仕事をやることになった。この後の展開は楽しいのですが又後で。

この所思う事等(6)

2013-12-22 23:42:09 | Weblog
リサイタルが終わってホッとしていたが今までの続きを書こうと思いながらついついさぼってしまいました。再開します。

その前にリサイタルについて書いておきます。
演奏の良し悪しは?まあ自分では終わってしまった事は後悔しないようにしています。終わった翌日から来年のリサイタルの曲を決めて少しづつ練習に入っています。
大切な事は曲に取り組み新たに勉強をしその曲の魅力を肌で感じることです。(慰めかな)

来年のメインは、ソナタメヒカーナと無伴奏チェロ組曲4番に決めました。今の所これにするつもりです。
一応年内に楽譜を作る予定です。

さてそれでは今までの続きを書きます。前回は僕が尺八を始めた事等について書きましたが、本業のギターについても書いておきます。
尺八をやっていた頃、僕は高校の頃から好きで堪らなかったソルのメヌエットが漸く人前で弾けそうな感じがしてきました。この頃はまだまだレコードの全盛期で僕はメヌエットを録音することにしたのです。
「ソルの12のメヌエット」だと約30分、時間が余るのでその他には「グランソロ」と「もしも私が羊歯だったらによる変奏曲」を入れることにしました。

今現在改めて聴いてみるとあちこちと弾き直したい部分はあるものの相対的にはまあ申し分のない、いい演奏だと思います。
でも僕の演奏は自分ではまあいいと思うけど、まだまだの所も有ります。
これはソルのメヌエットとしてはごく当たり前の標準的な演奏です。所がこの録音から30年経った今でもこれ以上の物が有りません。あまりにもギタリスト諸氏の皆さんの勉強不足としか言えないです。
僕の後に続く若い人に奮気を促したいのですが残念です。僕が歓喜にむせぶ演奏を聴かせて貰いたいのです。

この録音から数年後に作曲家の伊福部昭先生から自分がギターの為に作った曲が3曲あるので録音して貰いたいとの依頼が有りました。自分の曲を演奏して貰う為に演奏家を探していて僕のメヌエットのレコードを聴いて、この人と思ったとのことでした。勿論喜んで引き受けました。たしかレコーディングまでに3カ月程しかなかったので猛練習した事を覚えています。

伊福部先生のご自宅へ伺った時に色々映画【ゴジラ】の話など興味深かったのですが、一つ今でも感心させられる話が有ります。
先生は、自分の作品はバッハの様な境地には到底いっていない。演奏でそれを補って欲しい。と言ったのです。勿論ではそうしますなんて言える筈も有りません。僕はただただその謙虚さと常に精進の気構えを失わない先生の人となりに心を引き締めるだけでした。

録音は先生の立会いのもとに細かく打ち合わせを繰り返して行われました。この時はハウザー1世での録音です。いい演奏が出来たと思っています。この現役の作曲家の前での演奏というのは大変貴重な経験でした。

僕はソルにしてもポンセにしても何時も、その作曲家と親しくさせていただいている感じで練習しています。分からない事は僕の心の中に居るその作曲家に訊くのです。

夜も更けました。続きは後ほど。

リサイタルのお知らせ

2013-11-01 00:37:11 | Weblog
次の通りリサイタルを行います。

  西村 洋ギターリサイタル    
     12 月 7 日(土)
  6:30 PM 開場  7:00PM開演
   入場料¥3000(全自由席)
   於:宇都宮市文化会館(小)

     ≪プログラム≫
アリオーソ シシリアーノ フーガ……バッハ
3つのメヌエット……ハイドン
ラルゴとソナタ……ソル

6つのエチュード・・・・・ビラロボス
ソナタクラシカ……ポンセ


  主催/M.C.S音楽創造空間
  電話: 028-648-0477

全てワクワクする様な名曲です。楽しみに聴きに来て下さい。

この所思う事等(5)

2013-09-27 22:46:12 | Weblog
そんな訳で私の20代は、様々な体験や書物では得られない知識、多くの音楽家との出会い等が乾いた砂に水を吸収するがごとく私の体内に入り込んだ年代でした。

僕は30代に入って念願の尺八を習う事になりました。ギターやピアノなどは僕を教えてくれそうな人はいませんでした。クラッシックの方は一人でもどうにかなったのですが、他のジャンル(特に邦楽や、ジャズ)については雰囲気は分かるにしても実際の所は全く駄目でした。

その頃僕が憧れていた楽器が中国の二胡と日本の尺八でした。後年、二胡はやるのですが、この時はお付き合いしていたギター専門店のオーナーに尺八の先生を紹介して戴き、尺八を勉強する事が出来ました。

僕は小学生の頃から映画が好きで良く見に行きました。信じられないでしょうが小学校生はその頃、映画館の入場料が10円でした。僕は二日か三日に1度10円お小使いが貰えたので、ほぼ毎週位に映画館に行きました。良く見た東映の時代劇では、虚無僧が登場して尺八を吹いているシーンが出てくるのです。今思えば《鹿の遠音》とか《虚空》と言った名曲でしたが、その頃はそう言った曲を聴いてワクワクしました。

やがて黒澤映画を見る頃には尺八の奏法の一つに《ムラ息》と言うのがあるんですが、それがふんだんに出て来ました。あのブオーっという空気をつんざく様な尺八特有の音の出し方です。これに痺れました。

やがて武満徹の「ノベンバーステップス」を聴いた時は震えました。横山勝也さんの尺八でした。僕はこれまでにクラシックの楽器は色々手掛けましたが、その中ではギターが一番好きです。そして次に好きなのが尺八でした。

こうして念願が叶い、月に2回ほど我が家からは2時間電車に乗って、その先生の家へ行く事になりました。もともと管楽器は何でもやっていたので指も音の出し方にも違和感なくスムースに学ぶ事が出来ました。ただ西洋音楽と違って先程の“ムラ息”の様にフルートでは雑音として嫌われる音の出し方を、邦楽では突き詰めて行って心を表現する奏法として捉えること等は、古いと言うより斬新さを感じさせました。又、小節の無い自由リズムを駆使する尺八には吹禅という言葉がある様に、楽器の演奏そのものに悟りを求める精神が根底にある所などに関しては、僕にはこれこそ音楽だと合点が行く思いをしました。

尺八を学んでいた何年かの間には、お琴や、三味線、吟詠の先生方とも合わせる等、いい経験になりました。それに恥ずかしいのですがギターを習ってくれる人は少なかったので、ああこれで尺八の生徒を取れば生活はどうにかなるな、なんて考えていました。まあ実際に何人かの人を教えることになりましたが尺八を学んだ経験はギターの演奏には大いに役に立ちました。リズムや呼吸との関係についても以前より深く追求する様になりました。又作曲の方でも日本音階を用いる曲が増えて来ました。

作曲のほうは40才を過ぎてから依頼する人も増えたせいか、沢山作る様になりましたが、この時の経験がとっても役に立ちました。

続きは後ほどにします。とりあえずお休みなさい。