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アセンション事件簿27、ヒラリーが人身売買?

2021年11月02日 | 出来事
先立っての記事では、軍事裁判の初日に発作を起こし、訴訟の行方に懸念を抱かせたヒラリー・クリントン氏でしたが、それが、どうもお芝居だったようで、一同、シラけると同時に、逆に関係者、皆んなの目が、一層、厳しくなったのではないでしょうか。

けれども、どれだけ厳しい目で見ても、実際に彼女がして来たことが分かれば、まだ自分は甘かったと、多くの人は思うのかも知れません。

さて、そのクリントン氏の訴訟、2日目になります。

この記事は、以下のサイトの記事の内容を翻訳したものです。

https://realrawnews.com/2021/04/clinton-military-tribunal-day-2/


(ここから)

クリントン(ヒラリー)軍事裁判、2日目(前半)
マイケル・バクスター記、2021年4月12日

ヒラリー・クリントンの軍事裁判は、月曜日の朝、グアンタナモ湾において再開された。

木曜日の午後に、てんかん発作のような状態で、クリントンが床に倒れ込んだ時に始まった72時間の中断を経てのことである。

しかし、土曜日に、GITMOの医療スタッフは、クリントンは、おそらく裁判を引き延ばすために病気を装った可能性があると言い、彼女が全く健康であることを保証した。

月曜日午前10時の、副提督ジョン・G・ハニンクの冒頭のコメントは、クリントンのした行為を揶揄するものだった。

「ヒラリー・ロダム・クリントンは、自分が有罪だと分かっているのです。そうでなければ、こうした手続きの進行を遅らせるために、病気を装ったりしないでしょう。この女性は、完全に邪悪で、腐敗しており、道義心を失っているのです。」副提督ハニンクは、クリントンの最終的な運命を決める、3人の士官から成る法廷に向かって語りかけた。

木曜日の審問の脈絡から方向転換をして、副提督ハニンクは、RRNとして、我々が、これまでに聞いたことのないクリントンの起訴内容へと審理の矛先を向けた。

彼は、クリントンとクリントン財団を、23人のハイチ人と3人のアメリカ人の児童の失踪に結び付ける書類を提出した。それは、おそらく、2010年に、その島国(ハイチ)で推定で22万人の人々が亡くなった大地震の時に孤児になった子供たちである。

その事件にはアメリカの市民が巻き込まれているので、クリントンのその件に関する責任を審判するのは、この法廷の義務である、と副提督ハニンクは言った。

年齢が、4才、7才と12才の3人のアメリカ人の子供たちは、その島国で布教活動をしていた人道主義者の夫婦の子だった。地震後のある日、ハイチ政府当局が、倒壊した家の瓦礫の中から、子供たちと、年長の、見たところベビーシッターのハイチ人女性の遺体を発見した。両親は、地震の震源地近くの、ポルトプランスの西のある村でボランティアをしていた。

ハイチ政府は、行方不明の両親を1週間探したが見つからなかったので、夫婦は地震で亡くなったに違いないと結論付けた。

副提督ハニンクは、法廷に、2010年1月24日に、当時の国務長官であったヒラリー・クリントンは、ハイチの大統領ルネ・プレヴァルに連絡を取り、地震が生活を破壊した、親のいない子供たちを援助したいと言った、と述べた。

副提督ハニンクは、クリントンとプレヴァルの間でやり取りされた一連のEメールを法廷に提示した。あるメールの中で、クリントンは、親のない子供たちの世話をするという提案は、アメリカ政府ではなく、クリントン財団を代表してなされ、適切に養子縁組がなされるまでの間、児童養護施設を世話すると、はっきりと言っていた。

「プレヴァルは、彼女が誠実であると信じていました。そして、彼が、3人のアメリカ人の子供たちについて彼女に話した時、彼女は、彼に、彼らの世話もすると言いました。けれども、クリントンには隠された意図があったことを、証拠が示しています。

彼女は、これを、自分が担当している国務省を通じて実行することはありませんでした。

そうではなく、クリントン財団は、そうした子供たちを島から連れ出すために船をチャーターして、その船は、ハイチで彼らを乗せ、その後、地球上から消えてしまったのです。国務省にも、連邦厚生省にも、アメリカ人の子供たちが、アメリカの土地に足を踏み入れた記録はありません。ハイチ人の子供たちもです。

その子たちは、全部、どこへ行ったのでしょうか?彼らは、消えてしまったのでしょうか?

あなたは申し出をし、あなたの名前がEメールにあります。あなたの財団が交通機関を手配したのです。何か言う事はありますか?」

審理が始まって以来、一言も発言しなかったクリントンが、言った。

「クリントン財団に聞くべきでしょうね。」

「あなたが財団でしょう。」副提督ハニンクは、鋭く切り返した。「クリントン財団というのは名前だけの財団です。あなたとそれは同じ実体なのです。」

クリントンは、全く身動きもせずに座り、黙り込んだ。

その時、副提督ハニンクは、ひとりの重要な証人を呼んだ。元クリントン財団の会計士、ベサニー・グリーンバウムで、彼女は、ズームを介して、クリントンの犯罪行為について証言した。

クリントン財団は、スペインから運行する長期間のヨットのレンタル料として、IYCヨットソリューションズに、週当り300万ドルを支払った、と彼女は言った。

グリーンバウムは、浴槽、サウナ、ミニバーを備えた、145フィート(45m)のブリス(ヨットの名前)を「パーティボート」と呼んだ。

「船は、ハイチに向けて航海するという命令で、マイアミまで運送されたのは知っています。それ以上の事は、何も知りません。私には質問しないだけの分別はあったんです。」グリーンバウムは、法廷に語った。

「けれども、被告人ヒラリー・ロダム・クリントンは、支出を承諾したのですか?」

副提督ハニンクが訊いた。

「ええ、ええ、彼女はしましたよ。」グリーンバウムは、答えた。

短い休廷の後、副提督ハニンクは、イタリア当局とIYCヨットが、米軍のヒラリー・クリントンの捜査に協力することを拒否したと言った。

「我々は、彼らが協力してくれると思っていましたが、協力してくれませんでした。被告人は、権力のある保護された女性でした。

考えてみて下さい。、2010年に、豪華なヨットをレンタルするための費用は、多少の違いはあるとしても、一週間で30万ドルですよ。それでも、クリントンは、それを10回支払ったのです。

何故でしょうか?

彼女は、もちろん、慈善的でもなければ、慈善事業家でもありません。彼女は、それを、彼らの沈黙の代償として支払ったのです。それが、彼女が300万ドルで買ったものでした。」副提督ハニンクは主張した。

「2010年当時のヒラリー・クリントンは、おそらく、地球上で最も権力のある女性でした。国務長官として、実質的に、無制限の権力を行使していました。彼女は、政府高官として、公式チャンネルを使って、そうした子供たちを救い出すことが出来ました。けれども、彼女はサイドビジネスをやっていたのです。

軍は、クリントンが、個人的な利益のために、それらの子供たちを人身売買したと主張しています。その利益は、おそらく、彼女が彼らをハイチから連れ出すのに費やした300万ドルをはるかに超えることでしょう。これは、あなた方3名の士官が判断を下さなければならない事なのです。」副提督ハニンクは続けた。

彼は午後2時30分までの休廷を命じた。


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